ソフトウエアエンジニアからプロダクトマネジャー、エンジニアリングマネジャーを経験し、活躍の場を広げている及川卓也氏と共に、強い開発チームを持つ企業各社のエンジニア出身マネジャーたちのキャリア観や仕事術に迫る。多種多様なマネジメントスタイルから、自身のこれからのキャリア選択のヒントを見つけてほしい。
「クオリティー最優先」 CygamesのCTOが説く“ヒットを生むエンジニア”を育てる場所づくり【及川卓也のマネジメントキャリア考】
ソーシャルゲームの『神撃のバハムート』や『グランブルーファンタジー』、本格スマホカードバトルの『Shadowverse』など、多くのゲームタイトルをヒットさせ急成長してきたCygames。
スマホゲームのクオリティーは日進月歩で上がり続け、予算面・人員面ともにコンシューマーゲームとほぼ変わらない規模の開発になりつつある。Cygamesも、今ではエンジニアだけで数百人の大所帯になっているという。
こうした状況の中で、同社CTOの芦原栄登士氏がコンシューマーゲーム会社の出身というのはうなずける話である。ただ、興味深いのは、芦原氏がエンジニアには珍しく「望んでマネジャーのキャリアを選んだ」人物である点だ。
研究者を目指していた時期もあるという生粋の技術屋だった同氏は、なぜマネジャーの道を進むことになったのか。マイクロソフトやグーグル、Incrementsなどの開発現場で豊富な経験を持つ及川卓也氏が、その理由を聞いた。
株式会社Cygames 取締役 CTO
芦原 栄登士氏
大学で分散オブジェクト指向言語に関する研究を行い、卒業後は大手コンシューマーゲーム会社に就職する。オンラインゲーム開発を主として経験を重ねながら夜間の大学院に通い、MBAを取得した後に転職。2009年よりゲーム制作ベンチャーの技術部部長に就任し、社内技術共通化やミドルウエア選定ほかマネジメント全般を担当。その後、全世界規模のゲームサービスネットワーク基板開発におけるサーバー構築・運用までを担当。2012年に現職に就いてからは、5000万人超のユーザーを抱えるCygamesでインフラ運用からゲーム開発までを主導する
株式会社クライス&カンパニー 顧問
及川卓也氏
早稲田大学理工学部を卒業後、日本DECに就職。営業サポート、ソフトウエア開発、研究開発に従事し、1997年からはMicrosoftでWindows製品の開発に携わる。2006年以降は、GoogleにてWeb検索のプロダクトマネジメントやChromeのエンジニアリングマネジメントなどを行う。2015年11月、技術情報共有サービス『Qiita』などを運営するIncrementsに転職。17年6月より独立し、プロダクト戦略やエンジニアリングマネジメントなどの領域で企業の支援を行う。17年9月、ヘッドハンティング・人材紹介を展開するクライス&カンパニーの顧問に就任
研究者を目指すも、ゲーム開発が面白くなった
及川 芦原さんは、大学を卒業してからずっとゲーム業界でお仕事をしてきたそうですね。どんなきっかけでゲームの世界に入ったのですか?
芦原 大学時代には分散オブジェクト指向言語などを学び、コンパイラを開発したりしていました。その経験を生かせる企業ということで就職したのが、たまたまゲーム会社だったという流れで。それが1995年のことです。だから当初は、ゲームというよりはコンパイラを作っているという意識の方が強かったですね。
及川 そうだったのですね。
芦原 それに、20代半ばまでは研究者になりたいという気持ちが強かったんですね。なので、働きながら夜間の大学院に通っていました。
及川 そのまま研究者の道に進まなかったのはなぜですか?
芦原 当時はまだ珍しかったオンラインゲームの開発を担当しているうちに、仕事の方が面白くなったんです。研究は研究で楽しかったのですが、それ以上に、人を楽しませるコンテンツをつくることが楽しくなって。
私は大学院で通信プログラムなども開発していて、会社にはTCP/IPでプログラムを書ける人が不足していたこともあり、オンラインゲームの開発チームに配属されたんです。最初のうちは、Windows 95の環境でゲームを作っていました。
及川 Windows 95が出た当初は、TCP/IPのスタックも後付けでしたよね。そもそも、オンラインゲームを作ろうという会社は非常に少なかったと思います。
芦原 ええ。ネットワーク環境も良くなかったですし、夜11時以降になると通信料が安くなるので、急にトラフィックが増えるような時代でした。
ですがその後、インターネットの普及とともにオンラインゲームも加速度的に成長していきました。そのプロセスに立ち会えたことは、とてもラッキーだったと思います。
次の10年を考えて、失敗覚悟で技術部長に立候補
及川 その後、マネジャーとして仕事をするようになったのはいつ頃からですか。
芦原 私は何度か転職を経験しているのですが、初めてマネジャーになったのは3社目の時です。立ち上げ間もないベンチャー企業で、管理体制が未整備でした。そこである日、40~50人のエンジニアを束ねる技術部門を作るという話を聞いて、私が部長になると手を挙げたのが始まりです。
及川 一般的に、マネジメントは面倒だと考えるエンジニアが多いと言われます。芦原さんはなぜ、自ら立候補したのでしょうか?
芦原 ゲームプログラマーとして、(当時使っていた)C++を自分のものにできたと自信が持てるまでに10年ほどかかりました。30歳を過ぎた頃です。その頃から、「じゃあ次の10年はどうしようか?」と思案するようになったんですね。
おそらく、どこかでエンジニアとしての成長は鈍化するでしょう。後輩の中には、驚くほどC++に詳しい若手プログラマーもいました。そういう環境の中で、40代になった時にもプログラマーを続けているのか、それともマネジメントサイドに進むべきかを真剣に考えました。
その結果、「マネジャーとして自信を持てるようになるには、やはり10年くらいはかかるだろう」、「だったら今からマネジャーのキャリアをスタートさせよう」と決めたんです。
及川 その時期に、マネジメントについて何かを学んだりしましたか?
芦原 いえ、特に何も(笑)。もともと、失敗覚悟で実践しながら学ぶつもりでした。
実は技術部長に立候補する前にも、あるゲーム開発プロジェクトのディレクターのような役割を任されたことがあって、そこでプロジェクトの中止を経験しているんですよ。
及川 失敗を経験すると、「自分はマネジャーに向いていない」と思って現場の開発業務に戻る人もいます。芦原さんはそう思わなかったのですか?
芦原 当時はもう腹を括っていたというか。そのきっかけになったのは、社長の励ましでした。
「したいこと」のために道を作り、トリガーとなる
及川 ほう、どんな励ましを?
芦原 プロジェクトが中止になった時、いたたまれない気持ちになって、休日に社長の家に押しかけたんです。その際、「どう責任を取っていいのか分からない」と素直な気持ちを話しました。
そうしたら、「プロジェクトの中止はお前の責任じゃなくて、オレの責任だ」、「お前は次にもっと良いゲームを作ってくれ」と社長に言われまして。それで吹っ切れて、もっとチャレンジしようと思えるようになりました。
ちなみにその社長というのは、あの『モンスターストライク』のプロデューサー岡本吉起さんなんです。
及川 岡本さんの励ましは、芦原さんにとってすごく重要な転機になったのですね。
芦原 ええ。もともと楽天的な性格なのもあって、その後はもう、何とかするしかないと覚悟を決めました(笑)。
及川 とはいえ、技術部長になってチームを束ねるようになると、自分の得意分野以外の部分も見なければなりませんよね。マネジメントを機能させる上で、どんな工夫をしましたか?
芦原 自分の専門以外のところは、詳しい人に任せるしかないと割り切って、現在もそれに近いマネジメントスタイルでやっています。ただ、当時は部長らしいことをほとんどでできなかったという反省もあります。
及川 具体的には何ができて、何ができなかったと?
芦原 採用面接など、人材の確保に関わる部分では役割を果たせたと思います。一方で、エンジニアの育成や組織づくりについては十分な仕事ができなかったというか……。
立ち上げたばかりの会社だったので、すべてが手探り。部長として何をすればいいのか、正直よく分かっていませんでした。
及川 それでも、今では立派なCTOになっておられるわけですよね? 先ほど、楽天的という話がありましたが、マネジャーにとって、それは大事な資質ではないかと思うことがあります。芦原さんは、マネジャーに求められる資質をどう考えていますか?
芦原 技術的な知識や技量があるのは当然として、チームを明るく楽しく盛り上げる能力というのはマネジャーとしての大事な資質の一つかもしれません。
及川 では、エンジニアをマネジャーに昇格させる時、Cygamesではどんなポイントに注目していますか? 一定の技術力が求められるのは当然として、ほかに見ている点は?
芦原 仕事に対する真面目さや責任感などは見るようにしていますが、それらがあれば必ず良いマネジャーになるとは限らないのが難しいところです。実際、いろんなタイプのマネジャーがいた方が、組織全体としてパワーアップできる気がします。
もう一つは、マネジャーではなく現場寄りの立場の方が向いている人材もいるということ。技術をとことん追い掛けたいタイプの職人肌のエンジニアには、マネジメント業務よりも新しいことを追求する仕事を任せた方が良いパフォーマンスを発揮できます。
こういう気付きもあって、現在Cygamesではエンジニアのキャリアパスを大きく2つに分ける方向で制度の見直しを検討しています。
これまではメンバー→リーダー→サブマネジャー→マネジャーという一本道しかなかったのですが、中には技術を極めたいというエンジニアもいます。こうした社員向けに、スペシャリストコースのようなパスも用意したいと考えています。
400名近いエンジニアがマトリクス型組織で動く
及川 ちょっと話を変えて組織規模をお聞きしたいのですが、現在のCygamesにはどれくらいのエンジニアがいますか?
芦原 私が統括するエンジニアの数は300~400人です。これにテスターを加えると、500人規模になります。
及川 非常に大きな組織ですね。
芦原 ええ。私がCTOに就任してから一度、200人近いエンジニアと1on1で面談したことがあります。全員との面談が終わるまで半年以上かかりました。
及川 面談をして気付いたことは何かありました?
芦原 1on1では全員に「夢は何か?」と聞いたんですね。その答えで一番多かったのが、「自分がメインで関わったゲームをヒットさせたい」というもの。それなら、Cygamesで十分実現できるはずです。私にとっては安心材料でした。
及川 芦原さんの下で現場をまとめるマネジャーは何人くらいですか?
芦原 マネジャーは現在14人います。そのうち私の直下にいるのは、技術本部2人、研究所1人、内部統制室1人、CTO室1人の合計5人です。
及川 14人のマネジャーは、職能単位で分かれているのですか? それとも、ゲームタイトルごとでしょうか?
芦原 職能単位ですね。例えば、クライアントサイドとかサーバーサイド、モバイルアプリ、インフラ、コンシューマーなどのグループごとに、マネジャーを配置しています。
及川 各グループのサイズはどの程度ですか?
芦原 サイズはバラバラです。最も大きいのがサーバーサイドで、ここには100人以上のエンジニアがいます。
及川 職能ごとのエンジニアのグループが横のラインだとすると、縦のラインにゲームタイトルがあるわけですね。
芦原 そうです。一種のマトリクス型組織ですね。ゲーム開発プロジェクトが立ち上がると、「横のライン」からエンジニアをアサインする仕組みです。
現場の自由さと全体最適をどうバランスさせるか
及川 その体制で作ったゲームタイトルは、どんな流れでリリースに至るのですか?
芦原 まず、プロデューサーやディレクターが企画を立ち上げます。最初はプランナー1人とプログラマー1人といった少人数でプロトタイプを作り、Goサインが出ると次第に人数が増えていきます。ピーク時には、プログラマーだけで30~40人になります。
当社のやり方はクオリティー最優先。一度予算を決めたらその範囲内で開発するというゲーム会社も多いと思いますが、Cygamesでは最初に予算を想定はするものの、それは目安でしかありません。あくまでもクオリティーを追求し、良いものができたらリリースするというスタンスです。
なので、現場が「完成しました。リリースしましょう」と言っても、「これはCygamesのゲームクオリティーじゃない」と経営陣が止めることもあります。
及川 リリースするかどうかも、経営陣が最終判断をするのですか?
芦原 はい。毎月レビュー会があり、社長や役員もレビューします。当社の役員は全員現場でゲームを作っていた人間で、ゲームのクオリティーには厳しいんです。少しでも気になることがあれば、全部つぶしてからリリースするというスタイルなので、時間もかかります。
及川 では、開発現場における技術選定については、誰がどのような基準で行っているのでしょうか。やはりCTOの芦原さんが最終判断を?
芦原 いえ、実質的にはサブマネジャーやマネジャーに任せています。この部分の自由度は、エンジニアが「明るく楽しく」働く上で大事なポイントになると思うので。
一つだけ、私が口うるさく言うようにしていることがあって、それは「全体最適」です。現場にいると、どうしても目の前の最適化を求めがちだからです。
例えば、当社ではサーバーサイドの言語をPHPで統一しているのですが、仮にどこかのチームがPythonでやりたいと独断で動いてしまうと、ヘルプに行ける人(=Pythonを使える人)が限られてしまいます。
ですから「実験は自由にやって構わない」、「ただし、本番環境で使いたいなら、全チームで使うことを前提に考えてね」という話をよくしています。
及川 技術スタックの観点では、ゲームタイトルごとのクセをできるだけなくして、新しいものを採用する場合は全社的に使えるものにしたいということですか。
芦原 そうです。
チームで、仕組みで。マネジャーなりの「開発」を
及川 最後に。芦原さんはCygamesの強みというか、魅力はどこにあると感じていますか?
芦原 先ほどの技術選定の話と重複しますが、全体最適の視点さえ持っていればチャレンジを歓迎する会社なので、新しいことをやりたいエンジニアには向いていると思います。
最近は次世代ハイエンドコンソール向けの独自ゲームエンジンを開発していますし、2016年にはR&Dを活性化させる目的でCygames Researchという社内研究所も設立しました。大学の先生に兼任という形で入ってもらい、すでに国際学会で論文を発表するなどの成果を上げています。
及川 研究所を持っているゲーム会社は珍しいですよね。研究テーマはどのようなものですか?
芦原 ビッグデータや機械学習、MR(Mixed Reality)、UIなどさまざまです。研究というと、企業はあまり冒険をせずに既存技術の延長のようなものに偏りがちで、一方で大学では学術的すぎて実用化から遠いものになりがちな傾向があります。そこで、Cygames Researchでは両者の良い面を取り入れて、ゲーム開発そのものをアップデートするような新技術の創出にこだわりたいと考えています。
及川 そもそも、Cygames Researchはどんな経緯で設立することに?
芦原 冒頭でお話したように、私自身かつては研究者になろうとしていた時期がありました。途中で諦めた形だったので、自分の中では心残りがあったのも確かです。
しかし、数年前から「研究とゲーム開発、両方やったっていいじゃないか」と思えるようになったんですね。そこで社長に「研究所を作りたい」という話をしてみたら、すんなりと承諾してもらえました。
研究の道を諦めた頃から20年ほど経ってようやく気付いたのは、必ずしも自分で研究する必要はないということ。プログラムも同じです。自分でプログラムを書かなくても、やりたいことはできるんです。
エンジニアからマネジャーに方向転換して「開発」への関わり方は変わりましたが、やりたいことがあったら仕組みを作ってやればいい。今はそう思っています。
及川 やりたいことを、別の立場でかなえることができたと。素敵なお話ですね。
ただ、先ほど自分が開発したゲームをヒットさせたいというエンジニアの夢をお聞きしましたが、その夢と「自分が直接やらなくてもいい」の間には何段階かあるようにも思います。芦原さんは、そこに一抹の寂しさのようなものはありませんでしたか?
芦原 本気でマネジメントをやろうと決めた直後は、確かに自分でコードを書かないことにモヤモヤする時期もありました。1年くらいはそれが続いた気がします。
及川 技術面でスキルが落ちていく恐怖感のようなものもありませんでした?
芦原 ありました。でも今は、特定の技術分野で学んだことは、他の技術分野の課題解決にも応用できると感じています。私の場合は、コンパイラ開発がそれに当たるというか。
及川 全く同感です。私も、特定の技術分野を深めた人なら、他の技術分野についても習得した技術がベースとなって理解が早まることは多いと思います。
芦原 結局、マネジャーの役割というのは、課題解決とみんなが気持ち良く仕事ができる環境づくりだと思うんです。そう意識するようになってからは、コードから離れる不安はなくなりました。ちなみに、今でも個人的な趣味ではプログラミングを続けていて、書いたコードをGitHubにアップしたりしています。
及川 すごくよく分かります。面白さを量産できる組織づくりには、直接コードを書いてプロダクトを作る仕事とは別の面白さがありますよね。
私はグーグルでChromeのエンジニアリングマネジャーをしていたのですが、ある重要な機能を自分のチームが開発したとしても、自分の中には「自分が書いたコードが入っているわけでもないしな」といったちょっと寂しい気持ちがあったんですね。でも、周囲には「これはタクヤが作ったんだよ」、「お前が作ったチームの成果だよ」と言ってくれる人たちもいて。そういう声がとてもうれしかったし、自信を持てるようにもなりました。
芦原 チームマネジメントって、実は面白いですよね。
及川 多くのエンジニアに、その面白さを味わってもらいたいですね。本日は、どうもありがとうございました。
対談の冒頭、芦原さんに私が20数年前に執筆したWindows関連の技術書で勉強していたとおっしゃっていただいてから、しばらくは昔のWindows、特にネットワークプログラミングの話で盛り上がりました。
ちょうどインターネットの黎明期を過ごした仲間として、芦原さんのキャリアの変遷は私には非常に良く分かります。
インターネットという、進歩が特に速く、世の中を大きく変えていく技術に関わっている中で、あえてその技術に直接携わるのではなく、マネジメント領域に舵を切る。これには大きな決断が必要だったと思いますが、その決断があったからこそ、Cygamesの、もっと言うと日本のゲーム業界の今の発展があったのではないかと思います。
キャリアは巡ると言いますが、社会人としてスタートした時に関わっていた研究に、また違う形で関わるようになったというのも面白いエピソードだと思います。スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式典でのスピーチではないですが、「Connecting The Dots」、いつかまた点は交わる。そんなことも思い起こさせられました。(及川氏)
取材・文/津田浩司 撮影/小林 正(スポック)
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