元エンジニアのプロ棋士・瀬川晶司さんが会社員を経験して気付いた、「好きなことを仕事にしろ」の本当の意味
子どもの頃、あんなに自由に持てた夢。大人になるにつれて、なんだか口に出すことすら恥ずかしく感じてしまう。「どうせ無理なんだから、現実みなきゃ」と、本当にやりたいことを押し隠しながら、日々の仕事に向き合っている人もいるだろう。
だが将棋界にはかつて、夢を公言して奇跡を起こした“元・会社員エンジニア”がいる。
プロ棋士を養成する『奨励会』に在籍する棋士には、26歳までに四段に昇格しなければ即退会、プロ棋士への道が閉ざされるという“年齢制限”がある。そんな中、35歳で会社員のアマチュア棋士からプロ棋士へ異例の転身を叶えたのが、瀬川晶司さんだ。9月7日公開の映画『泣き虫しょったんの奇跡』では、将棋界の慣例を破り、瀬川さんがプロ棋士になるまでが描かれている。
小学生の頃から憧れていたプロ棋士への道。26歳で一度は閉ざされた可能性を再び切り拓いた男は、「夢」と大きく書かれた扇子を手に、穏やかに微笑む。元エンジニアの、夢への軌跡を追ってみよう。
半生を描いた『泣き虫しょったんの奇跡』。こだわりの対局シーンが見どころ
映画『泣き虫しょったんの奇跡』は、瀬川さんが自ら書いた同名の自伝が原作。将棋に明け暮れる幼い頃から、26歳の年齢制限に焦燥する奨励会時代、会社員として働きながらアマチュア棋士として活躍し、絶対に不可能と言われていたプロ棋士になるまでの軌跡が描かれている。
「映画という形で客観的に見て、自分の人生はなかなか面白いなと思いました。小学校の先生や父から言われたこと、子供の頃からこれまでにあった出来事が、全て繋がっている。改めて、人生にムダなことはないんだということを感じることができましたね。自分では分からないんですけど、周りからは、瀬川晶司役を演じた松田龍平さんの将棋の指し方や仕草、雰囲気が、僕にそっくりだと言われて嬉し恥ずかしかったです(笑)」
エンジニアとして就職後、将棋は趣味に。アマチュアとして指すことが本当に楽しかった
瀬川さんが一度夢に破れた26歳、プロ棋士になれる最後のチャンスを逃した帰り道。スクリーンの中で唖然と街を歩く瀬川晶司の姿からは、絶望感がひしひしと伝わってくる。将棋に打ち込んできたこれまでが泡と化し、残ったものは“何者にもなれなかった自分”だ。
「将棋を辞めた瞬間、プロを目指していた12年間が無駄になった……と絶望感が襲ってきました。もう生きていてもしょうがないと思って、車の前に飛び込むことも考えたし、1年くらいはニートみたいな抜け殻状態。でも、一人でいろいろ考えるとロクなことがないんですよね。奨励会時代の後悔が蘇るし、『26歳で何もない自分のこの先は真っ暗だな……』とネガティブなことばかり考えてしまっていました」
何者でもない状態から抜け出したい気持ちから、瀬川さんは27歳で大学に入学。勉強やバイトで忙しい日々を過ごしながら、再び趣味で将棋を指すようになった。奨励会での年齢制限のプレッシャーから解放されて指した将棋は、まるで別のゲームかのような新鮮さがあったという。
「何のしがらみもなく、アマチュアとして指すことが、本当に楽しかったんです。大学卒業後は、IT企業にエンジニアとして就職したんですが、社会人になっても将棋は趣味で続けていました。“常に先を読み、頭をフル回転させる”という点で、将棋とプログラミングは似ているんですよ。だから仕事にもワクワクした気持ちで取り組めていました」
会社員を経験して分かった、「好きなことを仕事にしろ」という父の言葉の意味
だが、アマチュアとして驚異の勝率を記録する瀬川さんの活躍が、周りの人を動かした。「瀬川さん、プロになる気はないの? 気持ちがあるなら、応援するよ」そう声をかけられたのだ。
26歳で奨励会を卒業できなかったら、プロになれる可能性はゼロ。しかし、応援の声を聞くうちに「プロ棋士になりたい」というかつての想いが、瀬川さんの中に蘇ってきた。
そこで周りの声に応えるかたちで、異例の『プロ棋士編入試験』の実施を日本将棋連盟に懇願。“アマチュア最強サラリーマン棋士”の異例の申し出はメディアを中心に話題を呼び、世論の動きもあって編入試験は承諾された。
プロ編入試験の実施が決まってからも、プロ棋士への命運を賭けた大勝負は大きく報道された。応援してくれている人の期待に応えるためにも、勝たなければならない。想像するだけで胃に穴が空きそうなプレッシャーの中、熱戦の末瀬川さんは念願の『プロ棋士編集試験』に合格を果たしたのだ。
「プロ棋士を目指していた若い頃は、『この道でいいのか?』という疑問もあったんです。幼い頃から『好きなことを仕事にしろ』と父から言われていたけれど、将棋しか知らない人生が、果たして幸せなのかが当時の私には分からなかった。でも一度他の世界を見たことで、父の言葉が本当の意味で理解できました」
「会社員生活も充実していて楽しかったのですが、やっぱり僕は将棋が好きだし、将棋を仕事にできたら、こんなに幸せなことはないと思った。プロになる道が閉ざされたことで、夢を追うことの大事さに気付けたんです。結果論ではありますが、会社員の経験も僕にとって必要なものだった。人生に無駄な経験なんてないし、遅すぎることなんてないんだと実感できましたね」
「本当にプロを目指す気なの?」半信半疑だった人も、本気だと分かったら応援してくれた
瀬川さんがプロ棋士になるという夢を勝ち取ることができたのは、「プロになりたい」という本気の想い。「やりたいことがあるのなら、ぜひ声に出してみて」と瀬川さんはアドバイスを送ってくれた。
「最初に僕がプロになりたいと言った時、『安定した会社員生活を捨てて、本当にプロを目指すの?』と、ほとんどの人は半信半疑でした。でも、僕がいかに本気なのかを根気よく伝えていたら、周りの人も理解して、応援してくれるようになったんです。
プロ棋士を目指していることが報道されて、会社からは怒られてしまうかなと思ったけれど、ありがたいことに当時一緒にプロジェクトを手掛けていた上司も同僚も背中を押してくれました。そしてみんなの応援があったからこそ、ありえなかったはずの道が開けたんです。僕自身はプロになりたいって自分の希望を言っていただけで、押し上げてくれたのは周りの人たち。夢があったらまずは声に出してみること、そんな些細なことで人生は変わるんだと思います」
”元サラリーマンのプロ棋士・瀬川晶司”が誕生してから、10年以上の時が流れた。現役の棋士として活躍する瀬川さんは、棋士になって以来変わることなく、今日も”好きなことを仕事にする”幸せを噛み締めている。
「この映画のテーマは、『夢を諦めない』。未来を描けるような夢があると、毎日の張りが全然違うんです。今は一つの会社にずっと勤める時代でもないですし、エンジニアであればなおさら。どんどんやりたいことにチャレンジしてほしいですね。熱中するものがあると、つらいこともあるけれど、きっといいこともある。好きなことを楽しんでやっていれば、きっと道は開けるはずです。映画を見た人に、そんなことが伝わるといいなと願っています」
夢を諦めない。それは、会社員であっても、決して不可能なことじゃない。瀬川さんの人生が、それを教えてくれる。
取材・文/天野夏海 撮影/大室倫子(編集部)
『泣き虫しょったんの奇跡』2018年9月7日公開!
監督:豊田利晃(『青い春』『クローズEXPLODE』)
脚本:瀬川晶司「泣き虫しょったんの奇跡」(講談社文庫刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作幹事:WOWOW/VAP 制作:ホリプロ/エフ・プロジェクト
©2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 ©瀬川晶司/講談社
公式サイト:http://shottan-movie.jp
※本記事は、姉妹媒体『20’s type』より一部編集して転載しています
RELATED関連記事
RANKING人気記事ランキング
NEW!
ITエンジニア転職2025予測!事業貢献しないならSESに行くべき?二者択一が迫られる一年に
NEW!
ドワンゴ川上量生は“人と競う”を避けてきた?「20代エンジニアは、自分が無双できる会社を選んだもん勝ち」
NEW!
ひろゆきが今20代なら「部下を悪者にする上司がいる会社は選ばない」
縦割り排除、役職者を半分に…激動の2年で「全く違う会社に生まれ変わった」日本初のエンジニア採用の裏にあった悲願
日本のエンジニアは甘すぎ? 「初学者への育成論」が米国からみると超不毛な理由
JOB BOARD編集部オススメ求人特集
タグ