本連載では、外資系テクノロジー企業勤務/圓窓代表・澤円氏が、エンジニアとして“楽しい未来”を築いていくための秘訣をTech分野のニュースとともにお届けしていきます
文系ポンコツエンジニアが、「澤円」になるまでの話
株式会社圓窓 代表取締役
澤 円(@madoka510)
立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手テクノロジー企業に転職、現在に至る。プレゼンテーションに関する講演多数。琉球大学客員教授。数多くのベンチャー企業の顧問を務める。
著書:『外資系エリートのシンプルな伝え方』(中経出版)/『伝説マネジャーの 世界№1プレゼン術』(ダイヤモンド社)/『あたりまえを疑え。―自己実現できる働き方のヒントー』(セブン&アイ出版) Voicyアカウント:澤円の深夜の福音ラジオ メルマガ:澤円の「自分バージョンアップ術」 オンラインサロン:自分コンテンツ化 プロジェクトルーム
みなさんこんにちは、澤です。
ステキなご縁があり、この度『エンジニアtype』さんで連載を持たせていただくことになりました。とてもワクワクしています。
今回は、初回ということで自己紹介をさせていただこうと思います。
私は外資系テクノロジー企業でセールスの部門に所属しており、「すべての製品・サービスを、主にエンタープライズ顧客に対して価値訴求する」というけっこうざっくりとした仕事をしています。
全世界50数か所に展開されていて、個別の製品や技術領域に偏ることなく、自社以外の技術も合わせて紹介することがミッションになっています。
テクノロジーがいかにしてビジネスを加速させるのか、あるいは人々の生活を豊かにするのか、人類の未来をどう変えていくのかについてプレゼンテーションやデモンストレーションを通じて顧客に紹介しています。
はっきり言って、最高に楽しい仕事です。テクノロジーの発展を追いかけることがそのまま仕事になっているので、新し物好きとしてはたまらない環境です。
また、それ以外の仕事でも、「圓窓」という屋号で講演を個別に承ったり、ビズリーチ、FiNC、サーキュレーション、カウンティアといったスタートアップ企業の顧問を仰せつかっていたり、Industrial Co-CreationやStartup World Cupなどのスタートアップ向けイベントに登壇したり、複数のメディアで連載を持たせていただいたり、いわゆる「複業」を楽しんでいます。
おかげさまで今は毎日とても忙しくも充実した日々を送っているのですが、この私を支えているのは「エンジニアとしての澤」のバックグラウンドです。それも、「スーパー・ポンコツ・エンジニア」としての澤です。
私のエンジニアとしてのキャリアのスタートは、社会人としてのスタートと同時です。つまり、エンジニアとしての基礎を学生時代に一切作ることなく、ゼロの状態から「エンジニア社会人」となったわけです。
私が就職活動をしていた頃は、もちろんインターネットなど一般人は知らない時代ですから、郵送される企業パンフレットと電話で就職活動をしていました。バブル崩壊元年だったのですが、まだ企業採用はバブル時代の流れが残っていて、割と内定は簡単に頂ける時代でした。
なんとなく就職活動をして、なんとなく会社を決めて、なんとなく内定式などにも出たのですが、「うーん、なんか違うな……」と感じて、大学四年の年末に内定辞退して就職活動を再開し、年明けに面接を受けに行ってギリギリで採用されました。
私は経済学部出身だったのですが、いわゆる「文系SE」を増やし始める時代で、「ゼロから教えてあげるからエンジニアになってごらん」という会社が多数ありました。
私は生命保険会社のグループ企業向けの会計システムの開発をCOBOLという言語を使って行う部署に配属されました。COBOLプログラマとして私の社会人生活はスタートしたわけですが、とにっかく全然使い物にならない新人でした。なにしろまったく基礎的な知識がないわけですから、用語などがさっぱり分からない。同期の中でも相当な落ちこぼれだったと記憶してます。今思えば、よくあんなの雇ってくれてたなぁ……と思います。日本社会の懐の深さを垣間見ました。
私が社会人になったのは1992年。Windows3.1日本語版が発売される寸前のタイミングでした。もちろん、よほどのコンピュータ好きでなければ、自宅にパソコンはない時代です。コンピュータを触るのは会社に行ったときだけ。自分で勉強したいなら本でしか学べないような状態でした。なにせ下地がないので、自習しても飲み込み悪い。悶々と日々過ごしていました。
そんななか、1995年にWindows95が発売されます。世の中が一気にインターネットに繋がり始めたわけです。これがまさに私のキャリアのターニングポイントでした。
インターネットのビジネスは、まだ周りの誰も理解していません。これはチャンスかも………と直感的に思って、だんだん増えてきたコンピュータの雑誌を片っ端から読み、安い給料をはたき、ローンを組み、自分用のパソコンを買いました。
当時買ったのはGateway 2000という日本に上陸したばかりのパソコン。自宅でインターネットにつなぐことができた時の感動は忘れられません。仕事が終わって家に帰り、アナログモデムの「ピー、ギャー」という音を聴くのが何よりも楽しみでした。
それほど英語が得意だったわけではないのですが、海外のサイトを回っていろんな情報を得たりしました。
そうこうしているうちに、最新技術に関しては社内でも割と詳しい人、というポジションを取ることができました。もともと新し物好きな性格がここで生きたわけです。
そして、社内で論文コンテストのようなものがあり、賞をもらって会社の経費で海外に研修に出かけることができました。当時のコンピュータ最大の見本市である「COMDEX」に見学に行き、インターネット時代の大きなうねりを肌で感じることができました。
「これからはインターネットの時代であり、あらゆる情報が世界中で共有されるようになる」と直感的に思いました。インターネットの魅力にすっかり取りつかれた私は、国内のコンピュータ関連のイベントにも足しげく通うようになりました。
また、COBOLのプログラマから「オープン系」と当時呼ばれていたWindowsのソフト開発に軸足を移したり、「グループウェア」としてだんだん認知度が上がっていた「Lotus Notes」の機能検証などを行っていました。
ある時、大きな展示会場をあるいていたら、ある転職エージェント企業に声をかけてもらいました。そのエージェントの方と話をしているうちに、「ぜひ転職先を紹介させてほしい」という流れになりました。そして、エージェントの会社に訪問したときに転職先候補として提示された数社のうちの一社が、今の会社だったわけです。
実は、当時働いていた会社というのは「人材輩出」などをするようなタイプの企業ではありませんでした。ましてや、キャリアアップのために転職をするという雰囲気がある会社でもなく、外資大手への転職などの例はほぼゼロ、という状況だったため、ロールモデルが不在でかなり不安になった覚えがあります。「はたして自分なんて通用するんだろうか、こんなポンコツは瞬殺でクビになるんじゃないか」と勝手にビビっていました。
とはいえ、やはり大きなチャンスだろうと思い、えいやっ!と転職してみました。1997年9月、28歳の澤は晴れて今の外資系テクノロジー企業の社員になったわけです。
与えられた役割は、ITコンサルタント。当時まだできたばかりで15人しかいない部署でした。
担当技術領域は、グループウェアの経験を生かせるということで「Exchange」という製品を中心とした情報共有基盤の構築支援でした。
入社したら、案の定私は技術的には圧倒的なビリ。新天地でもまたえらい苦労をすることになるわけです。大手企業のIT子会社で私が得たスキルセットは、そのまま外資大手で通用するレベルまで達していなかったのです。
でも、「スキルがたまってから転職しよう」と思っていたら、今の私はないでしょう。
転職してから最初の1~2年はずいぶん苦労しましたが、小さな成功体験を積み重ねることで、だんだんと自分なりのキャリアアップを果たすことができました。
周りはいい人ばかりだったわけではありませんし、ひどいパワハラも受けました。それでも、優しい同僚や私を頼ってくれる顧客に支えられ、だんだんと力をつけることができました。
私を既にご存知で、今の姿だけを見ている方の中には、「この人は苦労なくここまで来たのかな」と思う方もいるかもしれません。別に下積みを自慢する気は毛頭ないのですが、今の私を支えているのは、「今も変わらぬポンコツ・マインドセット」です。
私は、自分ができていることは全て説明できます。そして、できないことがたくさんあることも知っています。それが今の私の強みになっているのです。
この連載では、エンジニアとしてどうやってキャリアをつくっていこうかと思っている皆様に、私というサンプルを中心にさまざまなケースを紹介していきたいと思います。エンジニアは、未来をつくることができる最高の仕事の一つだと信じています。楽しい未来を一緒に考えていきましょう。
RELATED関連記事
RANKING人気記事ランキング
NEW!
ITエンジニア転職2025予測!事業貢献しないならSESに行くべき?二者択一が迫られる一年に
NEW!
ドワンゴ川上量生は“人と競う”を避けてきた?「20代エンジニアは、自分が無双できる会社を選んだもん勝ち」
NEW!
ひろゆきが今20代なら「部下を悪者にする上司がいる会社は選ばない」
縦割り排除、役職者を半分に…激動の2年で「全く違う会社に生まれ変わった」日本初のエンジニア採用の裏にあった悲願
日本のエンジニアは甘すぎ? 「初学者への育成論」が米国からみると超不毛な理由
JOB BOARD編集部オススメ求人特集
タグ