本連載では、外資系テクノロジー企業勤務/圓窓代表・澤円氏が、エンジニアとして“楽しい未来”を築いていくための秘訣をTech分野のニュースとともにお届けしていきます
駆け出しのITコンサルタントだった僕と、カゴメさんの思い出【澤円】
株式会社圓窓 代表取締役
澤 円(@madoka510)
立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手テクノロジー企業に転職、現在に至る。プレゼンテーションに関する講演多数。琉球大学客員教授。数多くのベンチャー企業の顧問を務める。
著書:『外資系エリートのシンプルな伝え方』(中経出版)/『伝説マネジャーの 世界№1プレゼン術』(ダイヤモンド社)/『あたりまえを疑え。―自己実現できる働き方のヒントー』(セブン&アイ出版) Voicyアカウント:澤円の深夜の福音ラジオ メルマガ:澤円の「自分バージョンアップ術」 オンラインサロン:自分コンテンツ化 プロジェクトルーム
皆さんこんにちは、澤です。
前回は、ポンコツエンジニアのキャリア黎明期をお話しさせていただきました。
今、私が働いている会社での最初の役割は、ITコンサルタントでした。
20年以上前には、まだITコンサルタントという職種の人口はさほど多くなかったと記憶してます。
ということで、あまりロールモデルになるような人もいない中で、手探りでキャリアを作り始めました。
入った当初、コンサルティング部門は15人程度。できてからまだ2~3年しか経っていない状況でした。
組織マネジメントもまだまだ未熟な状態でしたが、とにかく仕事は容赦なく降ってきます。
日本企業のように手取り足取り教えるなんてカルチャーはないので、とにかく自分でどうにか情報を集め、必死に取り組むしかありません。
幸いなことに、「誰にとっても初めて」のことをやっていて、何をもって成功なのか失敗なのかわからないような状況だったので、お客さんとも共同作業のような意識で仕事をすることができていたように思います。
その中でも最も印象に残っている会社さんが、カゴメさんです。
そう、トマトジュースやケチャップのカゴメさん。今でも大好きな会社です。
カゴメさんの情報共有基盤を刷新するために、コンサルタントとして入らせていただきました。その当時Lotus Notesというグループウェアをお使いだったのですが、マイクロソフトのExchangeへの移行をするプロジェクトでした。
ほとんど世界的にも事例がないので、かなり手探りで実施をさせてもらいました。
その時に、カゴメさん側の窓口になってくださっていたエンジニアが、饒村(にょうむら)さんでした。
饒村さんは私と同い年で、とても人当たりがよく、すごく仕事がしやすい環境を作ってくださいました。
まだコンサルタントとしては駆け出しだったこともあり、いろいろとへまもやらかしたのですが、かなり饒村さんには助けていただきました。
移行プロジェクトというのは、かなりリスクを伴うものですし、一般的にユーザーインターフェースが変わるのをエンドユーザーの人たちは嫌がります。
饒村さんをはじめとするカゴメさんのメンバーは、ユーザーさんからの声を大事にする人たちで、フィードバックを丁寧に検証しながら、「前のシステムよりも使いやすいシステムを作る」ということを目標に頑張ってくださいました。
結果として、移行は無事に完了し新システムはユーザーの評判もとてもよかったそうです。
カゴメさんはシステム開発を外注に丸投げをすることなく、自社のシステム部門でほとんどの開発をなさっていました。
今考えると、非常に先進的なシステム開発の体制をとっていたなと思います。
こんな素敵な方々と大きな成功体験を得たことで、私はITコンサルタントとして、あちこちで移行プロジェクトにかかわるようになりました。
既存システムを棚卸して、「思い切って捨ててしまうもの」「機能は踏まえつつ刷新するもの」「インターフェースも含めて残すもの」に振り分け、それぞれに最適な開発及び設定作業をするというスタイルが、数多く手がけた移行プロジェクトを通じて自分流に確立できました。
その当時から好んでやっていたのが「エンドユーザーの一日の日記を作ってもらう」というアプローチでした。
システムの観点ではなく、朝家を出てから帰宅するまでの行動を説明してもらい、それぞれの振る舞いに最適なシステムを考える、というやり方です。
ユーザー体験を主体にテクノロジーを考えるのが今でも好きなのですが、これはITコンサルタント時代のお客様との経験を通じて培われたものだと思います。
たくさんの失敗体験と、それを通じてどうにか手に入れた成功体験が、今の私のキャリアを作ってくれています。
カゴメさんのコンサルタンティングを担当させていただいてから、なんと20年近くの時が流れました。
私があの頃に導入したシステムと同じことはすべてクラウドで実装できるようになり、当時なら数週間を要したサーバーのセットアップはブラウザの画面から数分で終わってしまう世の中になってしまいました。
私もすっかりベテランになり、若い世代をサポートする役回りがどんどん増えてきています。
そして、驚いたことにあるイベントで登壇したとき、主催者の枠でお話しされていたのが饒村さんのお嬢さんでした。
たしか私がコンサルティングをしていた時は、まだ小学生にもなっていなかったはずです。
なんという時の流れだろうか、と思うとともに、今でもテクノロジーの世界でたくさんの人に価値を届け続けられていることを実感することもできました。
もう饒村さんにもずいぶんと会っていないのですが、SNSでつながっているので簡単に連絡することができて、「私の連載に登場してください」と依頼して快諾をもらいました。
結局テクノロジーは、こうやって人をつなげ、楽しさや喜びを共有するためにあるんだよな、と改めて思いました。
前回、今回と澤の思い出話を中心に紹介させてもらいましたが、次回からは最新テクノロジーとの付き合い方や、エンジニアのキャリアの作り方について書いていきたいと思います。
お楽しみに。
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