個人間カーシェアの先駆者『Anyca』馬場光さんに聞く、エンジニアが“欲しい未来”をつくるための方法
所有から利用へ。モノからコトへ。ハードからソフトへ--。さまざまな業界でこうした動きが進んでいる。モビリティー(移動)の世界も然り。MaaS(Mobility as a Service)は2030年には国内で6.3兆円、50年には世界で900兆円まで市場が成長すると言われる、今もっともホットな領域の一つだ。
この領域にいち早く身を投じたのが、DeNAグループで個人間カーシェアサービス『Anyca』の事業責任者兼プロダクトオーナーを務める、DeNA SOMPO Mobilityの取締役・馬場光さんだ。このサービスは馬場さんの体験が元になって生まれている。つまり、『Anyca』が実現しようとする世界は彼自身が「欲しい未来」でもあった。
馬場さんが『Anyca』を立ち上げた2015年当時、日本には個人間カーシェアの市場も文化もまだなかった。ゼロからサービスを普及していく過程で、もともとエンジニア志望だった馬場さんはエンジニアとしての立場を“捨てて”現在に至っている。だが、本人の中では本質的な変容はないという。
エンジニアが欲しい未来をつくるために必要なこととはなにか。彼が夢想するモビリティーの未来と、そこで求められる理想のエンジニア像について聞いた。
ビジネスサイドへの転向は「必要に迫られて」
馬場さんは早稲田大学大学院を修了後、2012年にDeNAに入社。『Mobage』の開発運用チームからキャリアをスタートし、『戦国ロワイヤル』などのゲームタイトルのリードエンジニアとしてシステム開発を牽引した。
「ゴリゴリのエンジニア志望。この時点では、そのままエンジニアとしてのキャリアを歩むものだと思っていました」
入社2年目にマイカーを購入したことが、後に針路を大きく変えるきっかけとなった。
「特に車好きというわけではないが、カーライフ好き」を自称する馬場さん。週末のたびに車に乗って出掛けるライフスタイル自体は好きだったが、維持費の高さが悩みとして付きまとった。
当時はちょうど「シェアリングエコノミー」という考え方が徐々に世の中に浸透し始めていた時期。「自分が車を使わない土日に他の人が乗って、見返りに1万円でもお小遣いをもらえたら嬉しいな」と、個人間のカーシェア事業を同期の仲間と構想し始めた。調べていくと、日本には自家用車が約6000万台ある一方、稼働率はわずか3%という事実も分かった。
新規事業として採択され、『Anyca』が正式なプロジェクトとしてスタートした当初、開発に当たったエンジニアは当時のDeNAのCTOである川崎修平さんと馬場さんの二人だけだった。アプリなどのユーザーが直接触る部分は川崎さんの担当。それ以外が馬場さんの担当という振り分け。だが、ひと口に「それ以外」と言ってもやるべきことは山ほどあった。
「サービスの裏側を支える決済や振込みなどのサービス運用管理システムや、例えば保険会社など他社/他部門のサービスとの連携を実現する部分はすべて作っていました。外部との連携というのはもちろんエンジニアリングだけでは完結しません。ビジネスサイドの担当者も忙しかったため、自分でアポイントを取って営業をし、契約を交わし、そのまま実装してリリースまでするという感じでした」
現在では開発を他のエンジニアに任せ、取締役・事業本部長としての役割に専念している馬場さんだが、もともとエンジニア志望だった彼に最初からビジネス的な素養があったわけではない。『Anyca』立ち上げ当初のこの時期に必要に迫られて「死ぬほど考えて働いた」ことが、エンジニアリングの範疇を超えたスキルやマインドセットを身に付けさせた。「そこから徐々に軸足を移したからこその今」だと馬場さんは言う。
コードで書くか、パワポで書くか、話すかの違いだけ
馬場さんと『Anyca』が思い描くのは、世界中の人と車をシェアするというより、世界中の人が自分の住んでいる周辺でシェアし合うことにより、擬似的にマイカーを複数台持てるような未来だ。そうすれば、自宅にいながらにしてすぐに移動を開始できるというマイカーの良さは保ちつつ、ただ所有するよりもコストを抑えられ、なおかつ用途や気分によって車を乗り換えることもできる。
「マイカーを持ちたい人は引き続き持てばいいし、持たなくてもマイカーっぽい選択肢がある状態をつくりたい。そうすることで、『所有から利用へ』と言われる二元論をなるべく滑らかにしたいんです」
現在では利用者数のべ25万人、登録車数8000台(2019/5 時点)と順調にサービスは伸びている。だが、2015年9月のローンチ当初は今とはまったく状況が違っていた。当時の日本はシェアリングエコノミーの黎明期であり、車に関しては個人間でシェアするという市場や文化自体がなかったのだ。
では、『Anyca』はどうやってゼロから市場や文化をつくり上げていったのか。「ビジネス的な戦略もあるにはありますが、究極的には、ユーザーと徹底的に向き合い、一つ一つ丁寧に機能改善を重ねていく以外に道はないと思っています」と馬場さんは言う。
「まったく新しい市場ということは、解決すべき問題自体が見えないということです。まして『Anyca』はプラットフォーマーだから、マッチングや保険、決済のシステムを準備することはできても、ユーザーと直接、商品の取引をするわけではない。車のオーナーとドライバーとの間でどんなやり取りがされていて、どんなことに困っているのかを直接聞きに行くことが、とても大切だと思っています」
だから馬場さんは、数万件のレビューすべてに自ら目を通すし、毎月一度ユーザーを招いた飲み会を開催し、新たに加えようとしている機能について直接ヒアリングすることも続けている。もちろん、ユーザーに聞いただけでは分からないことはあるし、定性的な意見を定性的なまま扱っていたのでは判断を誤ることもある。
そんな時、馬場さんは自ら分析コードを書いて定量的な裏付けを取りにいく。こうした局所局所で、6年間のエンジニア経験が役に立っていると感じる場面はあるという。だが、「だからエンジニアをやってきて正解だった」とは必ずしも言えない自分いる、とも馬場さんは吐露する。
「2年前から事業責任者・取締役として会社の経営をしている今の立場からすると、できれば新卒の時からエンジニアとしてではなく、経営に関するトレーニングを積んでおいた方が良かったかも。とよく悩むのも本音です」
誤解してはいけないのは、馬場さんは決してエンジニアリングを軽視しているわけではないということだ。そうではなく、必要に迫られて身に付けていったビジネス的なスキルと同様、かつてこだわっていたエンジニアという職種、あるいは技術という武器も含めて、すべては欲しい未来をつくるための手段に過ぎないということだろう。
「エンジニアもマーケターもデザイナーも、個人的な感覚で言うと変わらないというか、そのままなんですよ。思ったことをコードで書くか、パワポで書くか、話すかの違いだけで」
手段が目的化することはないし、必要とあらばどんな役割だろうと担う。そうした姿勢が、未知の領域を切り開く馬場さんと『Anyca』の歩みを支えてきたのではないだろうか。
設計力と専門性を磨け。そして誰かに頼ること
今後予想されるように市場が急成長し、「モノからコトへ、ハードからソフトへ」という流れが加速すれば、モビリティー領域でソフトウエアエンジニアが活躍できる場がどんどん広がっていくことは確実だろう。では、そのときに必要とされるエンジニアであるために、今からできることは何だろうか。
まず、エンジニアに変わらず求められる能力として馬場さんが重視するのが「設計力」だ。8年前にエンジニアとしてのキャリアをスタートした馬場さんは、ガラケーのゲームからスマートフォンのブラウザゲーム、ゲームアプリ、さらに『Anyca』を考案したことでモビリティーのアプリ開発へとフィールドを移してきた。「車や車載器など、アプリを飛び出してハードやリアルとの接点が増えたことで、設計や思想を考える難易度は間違いなく上がった」という。
「一方、ゲームの世界で培った設計の思想は今にも生きていると実感します。どんなアクシデントが起こってもカバレッジが効くような設計をし、それを実装・運用するのがエンジニアだとすると、『Anyca』で今やっていることも何も変わっていません。その意味では、小さな閉じた世界でできたことは、その先の世界でも生きるということ。今取り組んでいるのがどんなシステムだったとしても、それと真摯に向き合うことで設計力を磨いておくことが大切ではないか、と」
加えて、馬場さんがこれまで以上に大切になってくるものとして挙げるのが「専門性」だ。ビジネスの世界でもエンジニアの世界でも「スペシャリストの時代とゼネラリストの時代が交互に来る」というのが持論だという。
「ガラケー時代のゲームは極論すれば一人の天才だけで作れるという世界でしたが、スマホアプリになってシステムがリッチになったことで、フロントエンドとバックエンドで分業するようになりました。その後、サービスの充実によりそれすらも一人でできるようになったけれど、ハードやリアルが絡んでくると、さすがに人間のキャパシティを超える。その結果、再びスペシャリストが協業する時代に入らざるをえないのです。となると、なにかしらの自分の武器を磨いておくことが大事で。なおかつ、その専門性の中でも変化のスピードが速いから、なるべく早くに自分の武器を見極めて、それを更新し続けられる人間が強いと思います」
スペシャリストの時代は、さまざまな人との連携が不可欠な時代であるとも言える。自身の苦い経験を根拠に「自分ですべてやろうとするのではなく、ときには人に頼ることも必要ではないか」と馬場さんは強調する。
『Anyca』立ち上げ当時、個人間カーシェアはまったく新しいサービスだったため、それ専用の保険も日本には存在しなかった。最初は最も親和性の高い既存の保険商品を使っていたが、次第にそれだけでは対応できないケースも出てくる。そうなった時に馬場さんは当初、自ら保険の設計を学び、試案をつくって保険会社に持ち込むというアプローチをとったのだという。だが、結果としてこれはうまくいかなかった。
「保険のプロから見れば所詮は素人のつくったもの。見向きもされませんでした。それが今回、損保ジャパンさんと提携して新たに会社をつくり、『こういう世界を支える保険がつくりたいんです』と伝えたら、理想的な商品がポンポンと出てきて……。同じことはエンジニアの世界でも言えると思うんです。できる人ほど無理に自分の手を広げがちだけれど、そうすると逆に自分の手の届く範囲だったり、発想の範疇だったりに収まってしまう。だから、欲しい未来をつくりたいと思ったら、まずはいろいろなところにいろいろなことができる人がいることを知る。そして、そうした人に頼ることも重要なのではないかと今では思っています」
取材・文/鈴木陸夫 撮影/栗原千明(編集部)
Information
馬場光さんが登壇するイベント『SHARE SUMMIT2019』が、
2019年11月11日、虎ノ門ヒルズにて開催されます
>>SHARE SUMMIT2019 公式ホームページ
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