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プロの思考を可視化するAI『ORGENIUS』開発者に聞くスポーツテックの未来

働き方

    平成29年度の皇后杯全日本バレーボール選手権大会ファイナルラウンド2回戦で、Vプレミアリーグ所属のバレーボールチームJTマーヴェラスと筑波大学女子バレーボール部が対戦した。試合はあと1点でフルセット、というところまでもつれ込んだ末、3-1でJTマーヴェラスの勝利に終わったが、なぜ一大学の部活に過ぎない筑波大学は、当時リーグ上位の強豪チームに迫ることができたのかーー。

    その背後にあったのは、「AIコーチ」の存在だ。

    通称AIコーチ、『ORGENIUS(オルジニアス)』を開発したテックベンチャー・LIGHTz(ライツ)代表の乙部信吾さんは、「AIを活用したゲーム戦略立案の成果が、プロと互角に張り合えるレベルまでにアマチュアチームを進化させた」と自信を覗かせる。

    そんな乙部さんに、スポーツ領域におけるAI活用の可能性や、スポーツテックの今後について話を聞いた。

    乙部信吾さん

    株式会社LIGHTz 代表取締役社長
    兼 株式会社O2 取締役 CTO 乙部信吾さん

    1977年生まれ。2001年、上智大学理工学部機械工学科卒業後、キヤノンに入社。エンジニアとして活躍後、11年、製造業向けコンサルティング企業、株式会社O2(オーツー)に転じ、コンサルタントとして製造業の企業改革に従事する。16年、社内ベンチャーとして株式会社LIGHTzを立ち上げ、代表に就任。AIコーチ『ORGENIUS(オルジニアス)』や、それを用いた技能継承の事業を牽引している。19年、佐賀県に進出。有田焼の熟達者知見AI化やサッカーJ1/サガン鳥栖とのAIツールの共同開発等に取り組んでいる

    「スキルを言語化できない」職人とアスリートの意外な共通点

    LIGHTzは製造業向けコンサルティング会社O2(オーツー)の社内ベンチャーとして立ち上がり、現在は冒頭に挙げた筑波大学女子バレーボール部をはじめ、フェンシング、サッカーなどのスポーツ領域における技能継承を支援。具体的には、トップアスリートの“思考”をAI化し、伝承することで選手の技術力向上をサポートしている。

    2019年8月には日本フェンシング協会とオフィシャルサプライヤー契約を結び、2020年東京オリンピック・パラリンピックでのメダル獲得を目指す。しかし、製造業のコンサルティングを生業としていた彼らがなぜスポーツの領域でAIコーチをつくっているのだろうか。

    「これまで私たちは、お客さまの製造現場に眠っている“匠の技”を可視化するためのコンサルティングに取り組んでいました。2014年ごろから、これまでやってきた『言語化することによって暗黙知を形式知に変えるノウハウ』を“デジタル化”することで新たな可能性が見いだせるのではと考え始め、『ORGENIUS』の開発・事業化に至ったのです」

    ORGENIUSの事業化にあたっては、当初からスポーツ分野への適用も視野に入れて開発に取り組んだという。実は、工場で働く熟練の職人とトップアスリートには共通点が多いからだ。

    「例えば安定稼働しているように見える工場でも、気温や日照などの周辺環境や、原材料の組成が日々異なります。職人は技術と経験に基づいて微妙な調整を行い、一定の品質を保とうと試みますよね。

    アスリートも同じで、スタジアムの状況や対戦相手の実力、戦術に合わせて自らを変化させ、勝利を得ようと努力します。また、職人もアスリートもこうした自らの知見を“分かりやすい言葉で表現すること”に慣れていません。そうした彼らの『思考』を言語化し、活用可能なデータにしようというのが、ORGENIUSを開発した意図です」

    職人もアスリートも、経験によって培った能力を日々無意識に発揮しており、それらを言語化する機会はほとんど訪れない。そのため、自身の能力を言葉でうまく説明するのは困難だ。ではどうやって、彼らの行動をデータ化したというのだろう。

    「まず始めに、ヒアリングの訓練を受けた専門家が、経験豊富な指導者やプロスポーツのトッププレイヤーに映像資料などを見せながら、局面ごとに『この場合は何を考え、どう動くことが得策か』ということを、感覚や思考、視点などの観点からヒアリングを重ねて言語化。出てきた言葉の意味や関係性を分析し、ブレインモデル(BrainModel®)という”言葉の関係式”にまとめます。

    ブレインモデルに選手の位置情報や心拍数などのバイタルデータを組み合わせ、トップアスリートの思考回路をネットワーク化。これを用いてAIを構築し、実際のデータ解析やシミュレーションに活用するのです」

    ブレインモデル

    引用:https://lightz-inc.com/solution/orgenius/

    つまり、ORGENIUSを用いることによって、これまで継承されてこなかったトップアスリートや職人たちの思考を「覗き見る」ことができるというわけだ。

    実際の画面にはテキストやビジュアルで分かりやすく表示されるため、誰もが「この瞬間、トップアスリートであればどんなことを考え行動していたのか」を、自身の行動と照らし合わせて振り返ることができる。

    ORGENIUSで“勝機”を探り、勝率0%から大健闘

    「ORGENIUSには解析モードとシミュレーションモードがあり、解析モードを用いると、トップアスリートが試合中に何を考えているのか追体験することができます。また、自分のチームと相手チームのスキルを入力して対戦結果を再現できる『シミュレーションモード』を使えば、格上の対戦相手の数少ない弱点を見つけて対策を取るといったことも可能です」

    ORGENIUSの動作画面(解析モード)

    ORGENIUSの動作画面(解析モード)。左側には自分たちのプレー動画を表示させ、中央の図では各選手のポジションや動きを表示。右側には、「トップアスリートの場合であったなら、このシーンでは何を考え、視点はどこに向いているのか」ということがテキストで表示される。選手たちはそのデータを活用し、トップアスリートの思考を借りながらプレーの振り返りを行うことができる

    前述の筑波大学女子バレー部とJTマーヴェラスの試合では、ORGENIUSのシミュレーションモードが大いに役立ったと乙部さんは振り返る。

    「最初にシミュレーションを100回繰り返した結果は0勝100敗と、筑波大学にとって惨たんたるものでした。しかし、失点しがちな場面と得点の可能性が高い場面を洗い出し、対策を徹底したところ、負けはしたもののあと一歩で勝利というところまでプロチームを追い詰めることができました。AIがうまく機能し、指導者、選手双方に納得感のある示唆が出せたからだと思います

    ORGENIUSは現在バレーボールだけでなく、サッカーやフェンシングの選手強化策にも活用されている。今後も分析対象となる競技やチームは増える見込みだ。

    「ORGENIUSの特性上、陸上競技や水泳競技など、瞬発力や身体能力を競う競技の分析には、あまり向きません。しかしバレーやサッカーといった複雑なチーム競技や、フェンシングのように一瞬一瞬で行動の判断が迫られるような競技の分析は得意。個人や団体を問わず、さまざまなスポーツ競技で活用できると見ています」

    加えて乙部さんは、ORGENIUSについて「スポーツを超えてあらゆる分野で応用・社会適用が期待できる技術だ」と話す。

    「そもそも、AIとは大きく『数学的なもの(=データ)』と『言語的なもの(=テキスト)』に分かれますが、この2つを本当の意味で両立している企業やサービスは非常に少ないのです。僕はよく『この2つを両立することは、同じ医者が小児科と内科を運営することと同じだ』と例えています。できなくはないものの、必要な技術や知識が全く異なるため、難しいわけですね。

    これによって、それぞれの“活用の範囲”も限定されがちです。例えば、AIデータを見て一般人が中身や有用性をすぐに理解することは不可能なため、せっかくつくり上げたものを使ってもらえず、フラストレーションを溜めている機械学習エンジニアも山ほどいます。

    ORGENIUSは試行錯誤の末、“『データ』と『テキスト』をつなぐ”ということを実現しました。これは私が知る限りでは国内では唯一、世界的に見ても稀有な事例になるでしょう。職人やトップアスリートだけにとどまらず、“専門家”にしか分からなかった物事を、誰もが理解・活用できる形にするというこの技術は、あらゆる分野において活用の可能性を秘めているはずです」

    スポーツテックの市場は拡大。toCへの広がりも

    ORGENIUSの今後の活躍はかなり期待できそうだ。ではスポーツにおけるテクノロジーやAI活用はこれからどのように進むのだろうか。

    「スポーツテックの可能性は、スタジアムでの観戦体験のリッチ化と、選手のパフォーマンス強化、この2つの分野でますます広がっていくと思っています。そのため、AIの活用もそこで進んでいくはずです。ただ、後者の中にはたくさんのデータが取得できるものの、使い勝手があまりよくないサービスがあるのも否めません。

    また、われわれと同じように『思考』といった主観的な情報を扱い、かつ定量的なデータと組み合わせて活用しようというスポーツテックは世界的にみてもかなり少数派。これからの領域と言えるでしょう」

    2020東京オリンピック・パラリンピックの開催まで1年を切った。選手のパフォーマンス強化策だけに限っても、センサーデバイスや解析技術を駆使した多様なアプリケーションの登場が期待されるのは確かだろう。

    「プロ、アマ、観戦者を巻き込んで、これからさまざまなサービスが登場するでしょうが、われわれが特に注目しているのは次世代育成の分野です。『自ら考え、行動できる選手』を育成することは社会的意義も深く、非常に将来性のある分野だと考えています」

    スポーツテックやAIはハイエンドなトップアスリートを育てるだけではなく、競技人口の裾野を広げる上でも有効に作用すると乙部さんは考えている。

    「名監督、名コーチは数が限られていますが、AIをはじめとするソフトウェアテクノロジーは複製可能です。将来的にはスポーツ愛好家が少ない途上国などでも、AIが生み出す有益な示唆が生かされ、優れたアスリートを生み出したり、競技人口を増やしたりする原動力になるはずです。われわれとしてもこうした未開の領域を切り拓くことに貢献できればと思っています」

    AI開発にはデータサイエンティスト、データアナリストのほか、アルゴリズムを生み出す機械学習エンジニアやAIをサービスに実装するソフトウェアエンジニアが不可欠だ。だがこの分野に携わるエンジニアはまだ少ないのが現状だと乙部さんは話す。

    「現在スポーツビジネスはBtoBが中心ですが、今後は例えばAIによる解析の結果を個人向けに配信提供したり、教育ビジネスに展開したりするようなBtoCビジネスも盛んになっていくでしょう。市場全体を盛り上げていくには、優秀なエンジニアの活力が必要です。2020東京オリンピック・パラリンピックを機に、より多くのエンジニアがスポーツテックに関心を持ってくれたらうれしいですね」

    国内のスポーツ市場は2025年までに15兆円規模に達するという試算もある。もし自らの技術を生かす新たな領域を模索しているなら、スポーツテックは有望な選択肢の一つになるはずだ。

    取材・文/武田敏則(グレタケ)

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