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1980年代「CPUが約1000万円」の時代から続く“日本UNIXユーザ会”の軌跡【連載:法林浩之のUNIX温故知新】

ITニュース

法林浩之@jusがお届け!

UNIXエンジニア温故知新

UNIXが生まれてから半世紀。脈々とソフトウエアの進化を支えてきた技術は、どのようにして今に至るのか? そこから学べるものとは? 日本UNIXユーザ会「jus」の法林浩之さんが、イベントレポートを中心に「UNIXの今」をお届けします!

日本UNIXユーザ会(jus)の法林です。この連載では、jusの活動報告を通して、IT関連のさまざまな話題をお届けしていきます。お楽しみください。

今回は、2021年7月に開催した「平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座」の模様をお送りします。なお、イベントレポートはjus幹事の古川菜摘さんが執筆しました。

イベント概要

・タイトル:平成生まれのためのITコミュニティ歴史講座
・講師:井上尚司(jus)、古川菜摘(jus)、法林浩之(jus)
・日時:2021年7月31日(土) 16:00-16:45
・会場:オンライン

jusでは「平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座」と題して、会報「/etc/wall」の内容をもとに当時の活動やIT業界の状況を紹介するセッションを実施しています。

今回はjus幹事/武蔵野美術大学 デザイン情報学科 准教授の井上尚司さんをお招きしました。井上さんは1980年代の設立当初からjusにいる数少ない会員の一人です。今回はjus黎明期の話や、jusの事務局長の仕事について伺いました。

法林さん

UNIXの夜明けとjus設立

日本でUNIXが使われ始めた当初は、DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション:かつて存在したコンピュータ企業)製のマシンで動作していたため、UNIXに関する情報交換はDECのユーザ会(DECUS)内のUNIX部会で行われていました。その後各社からUNIXマシンが発売されるようになったため、独立してjusが新たに発足したという経緯があります。

1983年にjusが発足してからは、UNIXシンポジウムが毎年春と秋に開催されるように。論文発表の場としてのテクニカルセッション、展示会、BOF、情報交換パーティー(懇親会)が主に行われていました。

これらのプログラムの他にも、有志によるUNIXマシンのベンチマークテストが行われ、井上さんもベンチマークテストに参加し、測定用プログラムを実行されていました。

測定用プログラムの例として、下記のようなプログラムが使われていました。これはディスクI/Oの性能を測定するためのもの。展示会場で直接手入力する必要があったため、短いコードが好まれたようです。

法林さん

井上さんは設立当初のセッション登壇で「専門学校でのUNIXの運用」と題した、VAX-11/780をいかに速く動かすかについてお話しされることもありました。VAXのモニタレベルでクロックを早める手法などを取り上げたそうです。

その当時は学校でUNIXが使われることはまだ少なく、ちょうどUNIXが学校教育に使われ始める過渡期でした。カリキュラムの面では言語処理を教えるために有用だったようです。

初期のjusが行っていたその他の活動としては、UNIXワークショップ(1986年に開催)、UNIX Fair(UNIXの商業展示イベント)などがあります。これらの活動を通して、ベンダー中立なコミュニティーとして組織を超えたIT技術者の繋がりを形成していきました。

ここで少し雑談ですが、第一回シンポジウムの開催報告の中に、SystemV(AT&T社のUNIX)のライセンス価格についての記述があります。

当時は、1台目のCPUが$43,000(日本円に当時のレートで換算して約1000万円)、2台目以降が$16,000とかなり高額なものでした。

井上さんが所属していた専門学校はEducationライセンスが認められていたため、それより安い$800で購入できたそうですが、それでも当時の日本円にして192,000円ととても高額です。当時のことを考えると、無料でUNIX系OSを利用できる現代はとても恵まれていると言えるでしょう。

法林さん

UNIX Fairの終了と運営体制の改革

イベント後半は、井上さんのjus事務局での活動についてお話されていました。井上さんは1990年頃に幹事として活動し始め、その後1997年から事務局長を務められています。

事務局長の仕事の一つは収支報告です。今回は収支報告からみる、jusの運営体制の変化について取り上げていました。

1993年の収支報告によると収入、支出ともに5000万円台となっていました。利益を追求しない任意団体としては驚くような額です。これはjusが開催していたUNIX Fairの収入/支出とjusの運営体制が大きく影響していました。

UNIX Fairは企業のUNIX関連機器やソフトウエアの展示会です。現在のイベントで例えるとInteropが近いでしょう。企業からの出展料がjusに大きな収入をもたらした代わりに、大きな会場を借りて大々的に行っていたため支出も膨大になっていました。

また、イベント以外のjusの基本的なサービスにかかる費用を会費のみで賄えず、UNIX Fairなどの収益に頼る構図になっていました。

一方、1990年代中盤にはUNIXが一般的なものとなりネットワークなど商材の幅が広がり、一つのユーザ会が実施するイベントとしてのUNIX Fairは役割を終えつつありました。そこでUNIX Fairの終了を想定し、jusを維持するための基本的な費用を会費のみで賄えるよう、運営体制の改革が行われました。

一例として、
・郵送料の別途オプション料金制
・人件費削減
・勉強会など幹事の自主運営イベントの増加
などが挙げられます。

井上さんによると、財政改革では費用をどう削減していくかが大変だったそう。会員数から収入は予想できるため、予算をそれに合わせてうまくコントロールすることが必要となります。

法林さん

おわりに

井上さんはjusの黎明期から活動されているということもあり、黎明期-黄金期のjusとUNIXの歴史を初期から順に辿っていく内容となりました。

もちろんjusの歴史がそのまま日本のUNIX・ITの歴史というわけではなく、あくまでその中の一つではあるのですが、jusの歴史を辿っていくとUNIX Fairや勉強会など現代のイベントの原点となった活動は多数あります。

今後もOSCなどのイベントでUNIX&IT歴史講座を開催していきますので、UNIXやITの歴史の一片に興味がある方はぜひいらしてください。(日本UNIXユーザ会HP

プロフィール画像

法林浩之さん(@hourin

大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIX ユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている

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