テクノロジーの進化や競争のグローバル化を背景に、企業の規模に関係なく、新規事業を創出できる人材こそが求められるようになってきている。テクノロジーの担い手であるエンジニアは、本来そうしたイノベーターに最も近い存在のはずだ。
けれども実際には、エンジニアは技術的な実現可能性を考えるあまり打ち手が小さくなってしまい、新しいモノを生み出す上で抵抗勢力になってしまうことも少なくない。こうした壁を自ら乗り越え、エンジニアがイノベーションをけん引する存在になるにはどうすればいいのか。
LINE前CEOで、現在は女性向け動画メディア『C CHANNEL』を運営する森川亮氏は、転職や起業をするたびに年収を半額以下にしてまで、新しいモノを生み出すチャレンジを続けてきた。就職後、最初の配属は日本テレビ放送網のシステム部門だったという同氏の足跡には、エンジニアがイノベーターに近付くためのヒントが数多く隠されている。
そんな森川氏がこのほど、『ダントツにすごい人になる』という人材論をテーマにした著書を上梓した。森川氏の言う「ダントツにすごい人」とはすなわち、「今までにない新しい価値や大きな概念を生み出すことのできる人」のことだ。
組織のリーダーとして多くのエンジニアとも仕事をしてきた森川氏に、「ダントツにすごいエンジニア」になるための6つの心得を聞いた。
C Channel株式会社 代表取締役CEO
森川 亮氏
1989年に筑波大学を卒業後、日本テレビ放送網に入社。コンピュータシステム部門で、ネット広告や映像配信、モバイル、国際放送など多数の新規事業立ち上げに携わる。仕事の傍ら、青山学院大学大学院にてMBAを取得。2000年にソニーへ、2003年にはハンゲームジャパン(後にNHN Japan→現LINE)へ転職。2011年にリリースしたメッセンジャーアプリ『LINE』が大ヒットとなり、2007年、同社代表取締役社長に就任。2015年3月に退任後は、女性向け動画ファッションメディアを運営するC Channelを設立。その他、スタートアップ支援など「日本を元気にする」活動に従事している
【1】「こうしたい」から考えよ
例えばライト兄弟やエジソンみたいな人は、「こうしたい」という気持ちが先にあり、そのために必要な技術を開発しました。やりたいことがあるから、そのために技術を開発・改善する、というアプローチがいいのではないでしょうか。
逆に、「こういう技術があるからこんなことができる」というアプローチで考えると、どうしても発想が小さくまとまってしまいます。専門家であればあるほど、自分はその分野について十分に詳しいと思っているから、過去にないものはできないという結論を出しがちです。しかし、そもそもやろうと思わなければ、できるものもできません。
私が昔いたソニーにも、『ウォークマン』という大ヒット商品がありましたが、これも技術ありきでは生まれなかった製品です。上層部から来る「これくらい小さい筐体に収めろ」というリクエストに対して、現場は「そんなことできません」という反応をしていたと聞いています。
エンジニアが「できない」と言ってしまってはそこで終わってしまう。そうではなく、できるためにはどうすればいいかと考えるのが、イノベーションを生む重要なアプローチだと思います。
僕自身が普段意識しているのも、基本的には今言ったようなことです。今いる立ち位置からではなく、かなえたい未来から逆算するということを大事にしています。
例えば「エベレストに登ります」と言った時に、途中で「無理です」と言うのは簡単ですが、絶対に登る方法はあるはずです。その前提に立って、ある意味で登れない言い訳のようなものを一つずつ潰していくようなことを意識してやっています。
【2】受け手側の気持ちに立て
物事を新しい角度で考える際には「引き算の発想」が重要ですが、エンジニアの中には、どうしても機能を足す方向で考えてしまう人がいます。これは、専門家の立場で物事を考えている証拠だと思います。
例えるなら、お客さんに向かって「嫌なら出て行け」と言うラーメン屋の頑固親父のようなもの。作り手側ではなく、受け手側の気持ちにどこまでなれるかというのも、イノベーションを生むポイントだと思います。
その点が徹底できていなかったから、私自身もかつて多くの失敗をしてきました。LINEの前身であるハンゲーム時代の2006年ごろには、現実世界の天気や時間をゲーム内の世界に連動させる「リアゲー」というコンセプトを打ち出して、大失敗したことがあります。
今になってPokemon GOなどがヒットして、リアルとデジタルが融合する時代が来た感がありますが、当時としては早すぎたのでしょう。
多分僕は普通の人と感覚が違うので、僕が欲しいモノというのは世の中的には売れない。自分がやりたいことをやってうまくいったことは、ほとんどありません。いつも、徹底的に受け手側の気持ちになって考えるように意識しています。
自分が100%受け手の立場になるのは難しいのも事実です。今手掛けている『C CHANNEL』でいえば、ユーザーターゲットはファッションに興味のある若い女性ですので、男性である僕が「女性とは何か」ということを専門的に語ることはできません。
なので、そういう部分はユーザーに近いチームの仲間に任せて、僕は自分の得意分野である戦略を考えるところや資金調達、営業といったところに専念するようにしています。
【3】型を破れ、常識を疑え
日本人にはプロセスが大事だと考える人が多いようです。型があるのは分かりやすいという点ではいいですが、あまり型を愛しすぎると進化は止まってしまう。
ダントツにすごいモノを作る、つまり超越したいと思ったら、型は壊さないといけません。マニュアルは平均点を取るのにはいいですが、高い点を取るには、むしろない方がいいということです。
僕は父親が教師で、幼少期は「挨拶の声が小さい」とか「礼儀をきちんとしろ」など形式的なことを口うるさく指導されました。それに対するモヤモヤした気持ちが小さいころからあって、「こう決まっているんだから、こうしろ」と言われることにすごく抵抗があった。さらに、高校時代はブラスバンドに入ったのですが、ここでも、譜面があって、指揮者がいて、細かく言われるやり方がすごく辛かったんです。
対して、大学へ入って始めたジャズの、自由にコラボレーションするようなやり方とは、すごく相性が良かった。そういう意味ではおそらく、自分なりに理解したり納得したりした上でないと動きたくないタイプなのでしょう。
もちろん、昔からそういうことに自覚的だったわけではありません。そのことを明確に意識したのは、日本テレビ時代、ちょうど26歳の時です。
それまでは「自分の望まない仕事でも我慢してやっていれば、いつか人事異動の辞令が来て、やりたかった音楽関係の番組ができる」という期待を抱きながら仕事をしていました。しかしある時ふと、「そもそもなぜ我慢する必要があるのか」と考え始めたんです。
他人や会社、世間から提示される「当たり前」に盲目的に従うのではなく、そうやって自分なりの幸せについて考え始めたら、父親のことやブラスバンド、ジャズのことも全部つながって、何となく自分自身というものが見え始めた。それで会社を辞めたんです。
【4】未来を定義しろ
会社や組織は「四の五の言わずにやれ」と言います。組織運営上、言われたことをきっちりやる人が必要というのも分かるのですが、今後はそういうところはコンピュータがやってくれるはず。だから僕は、「これからの人間とはどうあるべきか」ということをよく考えるんですね。
AIやコンピュータに興味があるというより、人間の未来、人間社会の未来がどうあるべきなのかを考えているんです。今、資本主義にしても民主主義にしても、まずい感じになってきている。そして、その次の社会を定義しきれていない現状がある。このままではよくないという問題意識が、僕の中にはあります。
仕事をする上では、どういう社会を作りたいのかというものが見えた上で、そこに向かって足りないものを事業化する、という発想が重要と思っています。悪いことをして金儲けをしている人がいるというのも、その視点が欠けているからではないでしょうか。
もちろん、結果的に利益を生むことはとても大事なのですが、儲けるためにやるという発想だと、結局搾取する方向へ行ってしまう。
「儲けるからやる」というスタート地点ではなく、例えばメディアであれば、「メディアとは何か」という本質を定義してからサービスを作るべきだと思っています。今、メディア周りが何かと騒がしいですが、問題はそこがなかったからではないかという気がします。
そして、そうやって本質を突き詰めて考えることが、ダントツにすごいモノを作ることにもつながるんです。というより、そうでないと新しいモノは生み出せない。
人間は目の前のことに意識の8割9割を奪われていて、放っておくと10年後のことなんて考えられない。ダントツに新しいモノは今の延長上にはありません。今あることをいったん忘れて、定義し直す必要があるんです。
それをやり続けるのは確かに大変です。ある程度「習慣化」する必要もあるでしょう。私は5年くらい前から、仕事やプライベートで何をしたのかから、食べたものやお金の使い道まで、自分がやったこと全てをExcelに記録し続けています。時間とお金と体こそが自分のリソースですから、その使い方を自分の理想と比較し、ギャップがあればその原因を分析・改善していくためです。
いつも反省ばかりではありますが、そうやって同じ失敗を繰り返さないような「習慣」を続けてます。
【5】ハングリーであれ
現状、IT分野で世界的イノベーションが起こるのは、シリコンバレーや中国からであって、残念ながら日本からではありません。その理由としてよく言われるのは資金調達のことだったりしますが、本質はそこではないと思っています。
シリコンバレー、中国からイノベーションが生まれるのは、人がハングリーだから。日本はハングリーさが足りないんです。
会社の中であれば、責任の重くない係長くらいでいいという人が増えていると聞きますし、起業家にしても、1兆円企業を目指すというより、5億円程度でバイアウトしようという人が圧倒的に多い。それはそれでいいのですが、そういうところからはダントツなモノが生まれるわけがないですよね。個人的には、それが少し寂しくもあります。
なぜ日本人にはハングリーさが足りないのか。いろいろな要素があるでしょうが、学校や家庭における教育は大きな一因だと思います。先生や親というのは本来、「こういう人になりたい」と思わせる存在であり、だからこそ子供は学ぼうと思うはずです。ところが、現状はそうはなってはおらず、先生や親もそれが分かっているから、それでもなお子供をコントロールするために枠にはめようとする。
その結果、こじんまりとしてしまうというのはあるのではないでしょうか。
そうではなく、何かに特化したり、それまでの流れを壊すようなことを後押しする教育なら、まず一人一人の意識が変わるだろうと思います。
また、社会の構造としては、日本は安全で平和だからこそ、あまり物事を考えません。足りない状況があるからこそ、人は動く。組織運営の面でも、リーダーがあえて足りない部分を作り出すという視点は重要に思います。
そう考えているから、僕自身は個人的にも、ハングリーになれるような環境に身を置くようにしています。好調だったLINEを辞めて起業したのも、その一環です。
何かを成し遂げようと思ったら、幸せになってはいけない。幸せというのは一つのピリオド。いかに自分を不幸な方向へ追い込み続けられるかが大事だと思っています。
【6】無駄を嫌がるな
エンジニアは、サービスを形にしなくてはいけない立場にあります。そのせいか、「プログラマーは怠惰であれ」という言葉もあるように、なるべく仕事を減らしたいと思う傾向にあるのではないでしょうか。
日本の場合、ITリテラシーの低い経営リーダーが多いので、彼ら彼女らの指示で無駄なことをやらされるのが嫌だというのもあるでしょう。でも、ダントツにすごいことをやりたいと思ったら、あえてそういう人が言ってくる無茶にとことん付き合うという方法もあるのです。
例えばゲーム開発で言えば、子供は嘘をつかないから、つまらないものに対してはハッキリとつまらないと言うんですね。コードを書き直すのが面倒臭いからと言って、そうした子供の意見を無視して作れば、形にはなったとしても、果たしてそれは面白いと言えるのかどうか。
逆にそこにずっと付き合い続けると、面白いゲームができることがあります。その過程はまるで猿に英語を教えるような絶望感のある、辛い作業かもしれないですが、何かしらの気付きが得られるでしょう。
私自身の話で言えば、20代のころに「とにかく新しいモノを生み出したい」と言ったら、ある先輩に「それは賢くない」と言われたんです。なぜかと尋ねると、「一番賢いヤツは楽して稼ぐものだよ」と。愕然としましたね。
日本の場合、賢さや知識を社会のために使わずに、楽をすることに使っているケースがあまりに多いように感じます。
失敗も含めていろいろと体験することなく、一気にゴールに行くことは難しい。物事には必ず良い面と悪い面がありますから、それを体験した上で、何が問題なのかと自分なりに考えることが大切でしょう。
特に今は情報があふれかえっている時代なので、情報に触れただけで分かったような気になってしまう。でも、そこで分かった気になってしまっては、ダントツにすごい人にはなれません。
マラソンを走った人は、その瞬間は走っていない人よりも疲れてしまうけれども、1週間後には確実に体力がついているものです。失敗や無駄を恐れず、体験してみることが重要というのは、そういうことだと思います。
取材・文/鈴木陸夫 撮影/竹井俊晴