仕事にとことん没頭する人生もいいけれど、職場の外にも「夢中」がある人生は、もっといい。「偏愛」がエンジニアの仕事や人生に与えてくれるメリットについて、実践者たちに聞いてみた!
「現実逃避だった」島めぐりが仕事の潤滑油に。400超の有人島に上陸したエンジニアの偏愛ストーリー【山岡成俊】
今回話を聞いたのは、国内に存在する有人島400島全てに上陸を果たした「離島」をこよなく愛する山岡成俊さんだ。
インターネット黎明期にあたる1990年代に新卒でシステムエンジニアとなり、現在も大手情報通信系の会社でプロジェクトマネージャーとして活躍しながら、日本全国の離島を周り、島の写真を撮り続けている。
山岡さんの離島への偏愛は、大手テレビ局の目に止まり、つい先日は大人気バラエティー番組に出演を果たした。写真家としての評価も高い山岡さんだが、離島を訪れたきっかけは「仕事からの現実逃避だった」と話す。
忙しい日々の合間を縫ってまで、なぜ山岡さんは遠い離島へ通い続けるのだろうか。離島めぐりが仕事にもたらした影響と、今も離島へ足を運び続ける理由を、山岡さんに伺った。
システムエンジニア 写真家 山岡成俊さん
1967年、広島県能美島生まれ。90年にメーカー系のIT会社にシステムエンジニアとして就職、主にインフラ系のSEとして勤務する。その後情報通信系のIT会社に転職、現在はプロジェクトマネージャーとしてナレッジ管理やコールセンターの音声IVR構築などに携わっている。 一方、93年に沖縄県座間味島を訪れたことをきっかけに離島の写真を撮り始め、現在までに400以上の有人島、200以上の無人島に上陸を果たす。第46回ニッコール大賞受賞、TBS系「マツコの知らない世界 沖縄離島の世界」に出演。書籍『おきなわの離島 島の散歩』(新日本出版社)『瀬戸の島じま 島の猫』(ネコ・パブリッシング)、YouTube「島の散歩」
「現実逃避」から始まった離島めぐり
大学卒業後、メーカー系IT会社のシステムエンジニアとして就職した山岡さん。時は90年、インターネット黎明期で、ちょうどWindows3.0が発売された年でもある。
2000年以前のIT業界を知っている方であれば、当時の過酷な仕事環境は想像に難くないだろう。山岡さんもまた、例外ではなかった。
「仕事環境は過酷でしたよ。労働時間は1カ月に200時間以上は当たり前でした。当時エンジニア職は『3K(キツイ、汚い、危険)』なんて言われていましたから」
過酷な日々のなか、唯一安らげる場所が、「島」だった。1993年、旅行で沖縄県座間味島を訪れたことをきっかけに、山岡さんは島の魅力にはまっていくことになる。
「座間味島ではダイビングをしました。座間味の水の透明度とサンゴ礁の美しさにすっかり魅了されてしまって。水中には、陸では見られない世界があると気付いたんです」
座間味島の海は世界有数の透明度と言われるほど美しい。海中の楽園は、都会で忙しい日々を送る山岡さんを優しく包み込み、別世界へ連れて行ってくれた。
そして山岡さんは、その美しい景色を記憶に残すため、水中写真を撮り始めたという。
「今思えば、忙しい日々からの現実逃避だったのかもしれません。海の中に居ると安らぎを感じましたし、また仕事に戻って頑張ろうという活力が湧きました」
沖縄の離島を訪れて美しい水中写真を撮ることに夢中になった山岡さんだったが、やがて関心は、海中から島そのものへ広がっていった。
「『島』そのものの面白さに気付いたのは、八重山諸島でした。海に入らなくても、島は面白い。島ってね、日本社会の縮図なんですよ。学校があって、商店があって、病院があって、ちゃんとコミュニティーが存在している。なんだか昔の日本に入り込んだみたいにな、不思議な気持ちになります」
瀬戸内海に浮かぶ島、能美島で生まれ育った山岡さん。故郷で暮らした思い出と島の風景がリンクし、離島の魅力に引き込まれるまでに時間はかからなかった。
そして、初めて座間味島を訪れてから約15年、沖縄離島を写真に収め続け、気付けば沖縄の有人島約50島(当時)、全ての島に上陸を果たしていた。
エンジニアとしての忙しい日々と離島の楽園とを行き来することで、山岡さんは心と身体のバランスが整っていったという。どちらが欠けてもバランスは崩れてしまっていただろう。
「離島はエンジニア生活の厳しさを忘れさせてくれました。しかし、離島をまわって写真を撮るだけの生活だったら、それもまた厳しかったでしょう。
移動に時間はかかるし、いい写真を撮ろうと思ったら、何時間もかけて段取りを組まなければなりませんから。ときどき、なんでたかが趣味のために、こんなにつらい目にあってるんだろうって、我ながら悲しくなることもありましたし(笑)」
エンジニアの仕事と、離島の写真という趣味。一方が他方の潤滑油となって両輪を滑らかに回し、明日への活力となっていたのだ。
徹底したスケジュール管理・コスト管理で旅行時間と費用を捻出
初めて離島を訪れて以来、山岡さんは忙しい日々の合間を縫うようにして離島を巡り、写真に収めている。
既に彼の興味は沖縄から全国の離島に広がり、現在訪れた島は、日本だけでも有人島400以上、無人島200以上にのぼる。
しかし話を戻せば当時1カ月200時間以上の激務をこなしていたエンジニアが、なぜ長距離移動を伴う離島巡りができるのだろう。
「時間がないってみなさんよく言いますが、不要な時間を切り詰めれば、時間は十分捻出できるんです。
島に行くために、飲み会やゴルフなど、同僚からの誘いも極力遠慮させてもらって、休みを全て旅行に充てました。それに移動手段を上手に組み合わせれば、意外と短時間で離島まで行けるものです」
例えば、仙台市にある松島に行くには、拠点としている大阪から金曜の夜に夜行バスに乗り、土曜の朝に到着。その日一日を撮影に充て、日曜日にLCCの飛行機で帰ってくれば、翌日月曜日から仕事に戻れる。
北海道や沖縄となればさすがに有給休暇を組み合わせなければならないが、それ以外の離島であれば、わざわざ休暇を取らなくてもだいたい行き来できるのだと、山岡さんは言う。
「『よく旅行費用が続くよね』って言われますけど、ちゃんとコスト管理もしています。夜行バスに乗れば宿泊費と交通費がいっぺんにカバーできますし、飛行機移動が必要な場所はLCCを使います。
宿泊費を抑えるために、旅館に泊まらずキャンプで済ませることもよくありますよ。とにかく私は他に趣味もないので、離島めぐりに全振りできます」
仕事を続けながら離島を巡って写真を撮るという活動には、スケジュール管理とコスト管理が欠かせない。
特にいい写真を撮るには、タイミングが命。潮の満ち引き、当日の天気、催される祭りの日程など、その瞬間、その場所でシャッターを押すためには、何日も前から逆算して計画を立てなければならないのだ。
その徹底したスケジュール管理、コスト管理の経験は、エンジニアの仕事にも役に立った。この日までにこの仕事を終わらせるために、いつ何をすべきか、逆算で段取りを組んで仕事を進める力が向上したという。
「エンジニアの仕事をおろそかにして島で遊んでる人だって、思われたくないんですよ。
最近はテレワークが普及したので、離島でもネット環境があれば仕事はできるようになりました。だからこそ、プロのエンジニアとして、仕事の手を抜くわけにはいきません」
趣味も極めれば仕事になる。心と体のバランスを保つ「二足のわらじ」
1990年に山岡さんがエンジニアになって以降、社会は目まぐるしく変わり、仕事はより高度に、複雑になっている。
95年にはWindows95が発売され、同時に一般社会にインターネットが普及し始めた。その後99年のITバブルを経て、2000年代にはFacebook、Twitter、YouTubeなど、現代社会のインフラと呼べるようなSNSが立ち上がる。
そして現在、ChatGPTを始めとする生成AIなどのサービスが開始され、今後社会を大きく変えていくだろう。
システムエンジニアとして、これからも常に新しい技術を学び続け、変化に対応し続けていきたいと山岡さんは語る。
一方、離島をめぐり写真を撮り続けるという活動も、いつのまにか単なる趣味から逸脱し始めていた。
山岡さんはフォトコンテスト入賞者の常連になり、大手カメラメーカーNikonが主催する「ニッコールフォトコンテスト」で、第46回ニッコール大賞を受賞するまでになった。
撮り続けた離島の写真は写真集として発売され、23年7月には人気バラエティー番組からのオファーを受けて出演することに。ゴールデンタイムのテレビ電波に乗って、山岡さんの離島への偏愛が日本全国に届けられた。
今、山岡さんの離島写真は趣味を超え、生活を支える片輪になろうとしている。
「島は、何度行っても新しい発見があります。
同じ島でも、初めて行ったときは曇りだった空が、二回目に行ったときに真っ青に晴れ渡るとします。そうすると、一度目に見たときの海とはまた違う輝きを見せてくれます。
同じ島でも行ったタイミングによって、出会う人も、景色も、そこに住む猫でさえ変わっていくんです」
たとえ、世界中全ての島を制覇しても「新しい発見のために、きっと何度も島を訪れるんだろうと思います」と山岡さん。
システムエンジニアと離島写真家。二足のわらじを履いた山岡さんの離島への愛はまだまだ続きそうだ。
文/宮﨑まきこ 写真/山岡成俊(ご本人より提供) 編集/玉城智子(エンジニアtype編集部)
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