NOT A HOTEL株式会社
上級執行役員 CTO
大久保 貴之さん(@okbtks)
九州工業大学博士課程修了。博士(工学)。博士研究員を経て、2012年株式会社カラクルを創業。17年M&AによりZOZOグループ入りし、ZOZOテクノロジーズ執行役員に就任。21年10月、NOT A HOTELに参画。現在は「AIネイティブな組織」へのアップデートを牽引する
NEW! ITニュース
AIがコードを書くようになれば、エンジニアの仕事は減る。世の中に漂うそうした言説をよそに、エンジニア採用を一段と加速させている企業がある。
世界的な建築家やクリエイターが手がける別荘をシェアで購入し、利用しない日はホテルとして貸し出す。斬新なビジネスモデルで、あたらしい暮らしを提案するNOT A HOTELだ。
2026年2月にはシリーズCおよびデットファイナンスにより総額101億円の大型資金調達を発表し、名実ともに日本を代表する急成長スタートアップとして注目を集めている。
同社が今取り組んでいるのは、経営陣一人一人に専属のエンジニアを配置する「1:1」体制の構築だ。一見すると「贅沢すぎるリソース配分」にも思えるこの施策。しかしその裏には、AIツール『Claude Code』を全経営陣に配布した夜に起きた“ある熱狂”と、そこから導き出された極めて合理的な「AI時代の組織論」があった。
ビジネスとテクノロジーが極限まで混ざり合う現場で、エンジニアの役割はどう変わっていくのか。CTOの大久保 貴之さんが語る、手探りながらも確信に満ちた「組織実験」の全貌に迫る。
NOT A HOTEL株式会社
上級執行役員 CTO
大久保 貴之さん(@okbtks)
九州工業大学博士課程修了。博士(工学)。博士研究員を経て、2012年株式会社カラクルを創業。17年M&AによりZOZOグループ入りし、ZOZOテクノロジーズ執行役員に就任。21年10月、NOT A HOTELに参画。現在は「AIネイティブな組織」へのアップデートを牽引する
目次
ーーこの度「全ての経営陣に専属エンジニアを配置する」という思い切った体制を発表されました。この構想の原点には何があったのでしょうか?
そもそもNOT A HOTELには建築、ホテル運営、料理、コーポレートなど多様なプロフェッショナルがおり、これまでもその全ての業務プロセスの接点にテクノロジーを介在させることで、事業を大きく前進させてきました。
その中で、当初は各チームの現場にエンジニアが入り込んでいく「FDE(Forward Deployed Engineer)」的な発想を持っていたんです。現場のさらに近い距離にエンジニアがいれば、もっと面白いことができるのではないかと。
ただ、試しに全経営陣に『Claude Code』の環境を用意してみたところ、想像以上のことが起きたんです。
ーーというと?
正直、「エンジニアとしての知識がないと難しいだろうからサポートに1週間はかかるかな」と思っていました。
ところが、環境を配布した翌日には経営陣たちが自ら設定を終わらせていて、その翌日の夜には、オフィスで「これ、どうすればいい?」と目を輝かせて駆け寄ってくる状態になったんです。
建築やセールス、ファイナンス、シェフなど専門性やバックグラウンドがまったく異なる経営陣たちが、思い思いに自分の業務課題を解決するアプリをAIで作り始め、社内のSlackで“共有大会”が始まりました。
彼らの頭の中にある「空間」や「オペレーションの流れ」といった言語化しにくいアイデアが、AIとの対話によってそのまま動くアプリとして可視化され始めたわけです。
ある経営陣が作ったものを見て、別の経営陣が「こんなことができるのか」「うちのチームの課題もこれで解けるぞ」と、連鎖的に進化していく。
その光景を見て、各チームの効率化より先に、まずは「意思決定の要である経営陣の思考そのものをAIネイティブに切り替えること」が最優先だと確信しました。
ーー経営者自らがAIでプロトタイプを作れるようになった。一見すると、かえってエンジニアの役割が減るようにも思えますが、なぜそこから「専属エンジニアが必要だ」という判断に至ったのでしょう。
経営陣がAIで動くものを作れるようになったのは事実です。
ただ、それぞれの経営陣には建築やホテルマネジメントなど、その人にしかできない専門領域がある。AIを知ることは大事ですが、その先の作り込みに時間を使うのは能力の使い方として正しくない。
そこで、エンジニアの出番です。社内の既存システムとの接続やセキュリティー、他のチームとの整合性を責任を持って担保する。経営陣が事業に集中し、エンジニアがそのアイデアを最速で形にする。このタッグで、意思決定の速度や総量もまるで変わるはずだと。
そう考えたことが、今回の体制へ踏み切った最大の理由です。
ーー経営陣の隣にエンジニアが「ニコイチ」でつく。これによって、具体的に開発の何が変わるのでしょうか。
経営の最前線で生まれる「今すぐ試したい」という瞬発力のあるアイデアに対して、全く新しいアプローチが可能になりました。経営者とエンジニア、そしてAIの三者が、同じ場でリアルタイムに共創していくというものです。
CTOやCPOが「組織全体の技術やプロダクトの中長期的な戦略」を見るのに対して、専属エンジニアは「目の前にいる経営陣の頭の中を形にする」ことにコミットします。
ここで重要なのは、組織図上のレポートラインよりも物理的な近さです。経営陣のすぐ隣に専属エンジニアがいれば、彼らがAIで作ったプロトタイプの裏側にある本当の狙いを、言語化する前に即座に共有できます。
例えば、経営陣がぼんやりとした事業のイメージを話します。
すると隣のエンジニアが「そういう背景なら、そちらよりこちらのAPIを叩く方が良さそうですね。今の技術スタックなら、こう書き直せば安全に即日デプロイできます」と、その場でプロトタイプを形にし始めます。
そして画面を見た経営陣が「あ、そうじゃなくてこっちの方向性だ」と反応し、それを受けてエンジニアが即座に修正していく。三者でセッションをするように「これだ」という正解に辿り着くんです。
このアイデアを形にする初期段階において、文書を介したコミュニケーションのタイムラグがなくなりました。一緒に考えながら、一緒に作る。AIという強力なツールがあるからこそ、会話をしながらリアルタイムでプロダクトの形が変わっていくんです。
ーーなるほど。そのプロセスを経ることで、アウトプットの質も変わりそうですね。
おっしゃる通りです。面白いのは、この共創プロセス自体が、経営陣自身の事業に対する理解をさらに深めることです。
長年の経験則や本能的にやってきた素晴らしいアイデアも、最初は本人すら完璧には言語化できていないことがあります。
しかし、AIと対話しながら目の前で形になっていくプロセスを見ることで、「自分はこれを求めていたのか」と本人の解像度がどんどん上がっていく。その研ぎ澄まされた状態でエンジニアと一緒に作り上げるからこそ、精度が全く違うんです。
現場の開発チームに対しても、曖昧な要件書ではなく「すでに動くプロトタイプ」が共有されるようになるため、連携がよりスムーズでポジティブなものに変化しています。
ーー実際にこの新体制が動き出して、どのような成果が生まれていますか?
開発のリードタイムが「まずは起票して優先度調整」から「数日、早ければ数時間単位」へと劇的に短縮されました。
これまでも速度感を大事にして取り組んできていたものの、一般的なソフトウェア開発の常識を見つめ直し、アイデアから実装までを直結させた結果だと思います。
大事なのは「仕様書」というプロセスが実装の前から、実装の後ろに移動したことです。「経営陣の頭の中を文書に翻訳して、それを開発チームが解釈して……」というロスがなくなりました。
ーー何か具体的な事例はありますか?
例えば、オーナー様からのご要望に対応する社内業務ツールの改善です。従来、「こういう条件で泊まれる日の候補を教えてほしい」というオーナー様からのお問い合わせを社内の担当者が受け、それをCSが複数の管理システムを叩いて空室を探し、返信文を作成するというステップがありました。
このプロセスに対し、経営陣から「AIを使えばもっとスムーズにできるはずだ」という課題提起とアイデアが出ました。それを受けた専属エンジニアが適切な手法で即日実装し、1日足らずでSlack上で動くAIエージェントとして現場に導入したんです。
ーー1日ですか! それは現場の働き方が一変しますね。
さらに重要なのは、単に開発スピードが上がっただけでなく、「意思決定の総量」が爆発的に増えたことです。
これまでは、新しいアイデアが出ても「開発チケットとして積んで、優先順位をつけて順番に進めよう」とバックログに入れていた無数のアイデアがありました。それが、専属エンジニアの存在によって「明日動くなら、とりあえず試してみよう」とすぐに実行に移せるようになった。
仮に数カ月かかっていた検証や実装が数日で実現できるようになれば、組織の生産性は10倍になります。エンジニア一人の投資でこれほどのリターンが組織にもたらされるのであれば、ROI(投資対効果)の観点から見ても、「むしろやらない方がおかしい」とすら言えます。
ーーこうした環境で働くエンジニアには、どのような資質が求められるのでしょうか。
「フルスタックな技術力」は前提として、それ以上に求められるのは「相手を理解し、ポテンシャルを引き出す力」です。
経営者が今、何に困っていて、どう技術を提供すれば彼らのパフォーマンスが最大化されるか。そして同時に、AIというパートナーに対しても「どう指示し、どう扱えば最高のアウトプットが出せるか」を理解し、そのポテンシャルを引き出せる人。
AIの能力は寝て起きたら変わってしまうほど変化が激しい。その変化を楽しみ、自分の能力の限界(キャップ)を外していける好奇心が不可欠です。
ーーAIがこれほど強力になった今、生身のエンジニアにしかできないことは何でしょうか。
責任を取ること。これに尽きます。
AIはアイデアも出せるし、コードも書ける。本番で動くものだって作れる。でも、「これでいく」と決めて、最後まで意思を持ってやり切るのは人間です。
経営者の隣にいるエンジニアは、「このやり方でいきましょう」と言った以上、最後までオーナーシップを持つ必要がある。障害が起きたら最優先で対応する。想定と違ったら作り直す。その覚悟がある人間が隣にいるからこそ、経営者は安心して意思決定のスピードを上げられるんです。
この「実行責任」こそ、AI時代にエンジニアが価値を発揮する領域になると僕は思います。
ーー「経営陣とエンジニアの1:1」という体制や働き方は、今後、他の組織でもスタンダードになっていくかも知れませんね。
そうなったら先駆者としても嬉しいですね。「AIを活用し、意思を持って事業を動かす存在」というのは、何もエンジニアに限った話ではなく、最終的には「全ての社員」がそうならなければいけないと考えています。
しかし、これまでの働き方や役割をいきなり全社でアップデートするのは不可能です。
だからこそ、まずは意思決定の要である経営陣自らがAIに触れ、働き方を変える必要がありました。そして、私たちエンジニアも一緒になって先頭を走って、AIの力でそのアイデアを確実な形にしていく。
経営陣とエンジニアのタッグが先陣を切り、社内のあらゆる職種に対して「AI時代の新しい働き方・役割のアップデート」のロールモデルになることが重要です。
ここで生まれた成功体験を、いずれは建築やセールス、ホテルマネジメントなど全ての現場に波及させていく。一部の専門家だけがシステムを作るのではなく、全社員がAIを武器に、意思を持って事業を動かしていく組織を作る。
目指すのは「ホスピタリティ業界No.1のAIカンパニー」。今回の「経営陣とエンジニアの1対1」という体制は、この壮大な組織変革というドミノの最初の一枚に過ぎないんです。
文/Ryoh Hasegawa 写真/NOT A HOTEL 編集/今中康達(編集部)
タグ