増井俊之(@masui)
1959年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部教授。ユーザーインターフェースの研究者。東京大学大学院を修了後、富士通半導体事業部に入社。以後、シャープ、米カーネギーメロン大学、ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所、Appleなどで働く。2009年より現職。携帯電話に搭載される日本語予測変換システム『POBox』や、iPhoneの日本語入力システムの開発者として知られる。近著に『スマホに満足してますか? ユーザインターフェースの心理学』
増井俊之(@masui)
1959年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部教授。ユーザーインターフェースの研究者。東京大学大学院を修了後、富士通半導体事業部に入社。以後、シャープ、米カーネギーメロン大学、ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所、Appleなどで働く。2009年より現職。携帯電話に搭載される日本語予測変換システム『POBox』や、iPhoneの日本語入力システムの開発者として知られる。近著に『スマホに満足してますか? ユーザインターフェースの心理学』
メールやメッセージが届いたことをユーザーに知らせる通知システムが広く使われています。1980年に開発された「4.0 BSD」というバージョンのUNIXには「biff」というシステムがあり、メールが届いた時、ユーザーのターミナルに通知メッセージを表示できるようになっていました。
その後、1985年ごろ発売された『Sun Workstation』はBSD版UNIXの上にビットマップディスプレイと先進的なGUIを搭載していましたが、以下のようなメールボックスアイコンで表現されたメールアプリケーションでは、メールが届いた時にメールボックスの右側の旗が立つようになっていました。biffをGUI化した通知システムが1985年ごろにはポピュラーになっていたということになります。
メール到来を通知するアイコンは30年前から使われていたことになりますが、アイコンなどの表示で知らせる手法は現在のスマホなどでもよく使われています。
昔のメールはメールサーバ間のバケツリレー方式で転送されていましたから、メールが届くのは多くても1日に数回程度で、このような通知が煩わしいと感じることはありませんでした。
現実世界でも、通知により作業が中断されるのは誰かが来た時や電話が掛かってきた時ぐらいでしたから、通知が煩わしくて困ることも多くありませんでした。
一方、現在のパソコンやスマホでは、所構わず一方的なタイミングで通知音が鳴ったり、表示が変わったりするため、精神が休まることがありません。現在のスマホユーザーは「通知地獄」に陥っていると言えるかもしれません。
仕事をしている時に通知音が鳴ると気になりますが、通知音が鳴るたびに対応していると、細切れ時間で仕事を行う「マルチタスキング」を行うことになってしまいます。マルチタスキングは効率が悪いので避けたいものですが、通知を完全に無視するのは精神力が必要なので、適切な通知だけが適切なタイミングで届いてほしいものです。
通知の問題はパソコンユーザーにとって昔から悩みの種になっていたようで、通知問題を解決するためのシステムの研究が2000年ごろから盛んになっていました。
インターネットの普及によりメール以外のさまざまな通知がリアルタイムで届くようになったことが、こういう研究の背景になっていたのだろうと思います。
通知手法に関する研究は近年、また盛んになってきたようで、先日大阪で開催されたUbiComp2015コンファレンスでは、通知問題に関連する論文が何件も発表されていました。
モバイル機器の普及により、どこでも通知を受けられるようになり、通知を制すれば人間行動を制することができるとサービス会社が考えているのか、いろんなサービスがやたら通知を出すことになって地獄化が進んでいることに加え、ユーザーが通知を受けられる状況かどうかをさまざまな方法でセンシングしやすくなってきたことが関係しているのだと思われます。
そもそも通知地獄が進行したのは、インターネット技術やモバイル技術の進化のせいだと思われますが、このような通知地獄はIoT技術によって解決できる可能性があります。
という2つの課題をIoT技術で解決できる可能性があるからです。さまざまなセンサを利用してユーザーの状況を検出して通知タイミングを調整したり、ユーザーに負担を与えない通知方法を工夫したりすることができるでしょう。
ユーザーが通知を受けられる状態かどうか、退屈しているかどうか、疲れているかどうかなどを判定できれば、それを利用してタイミング良い通知を行うことができるでしょう。
ユーザーの状態を正確にセンシングできれば、通知に適したタイミングを知ることができます。動悸センサ/発汗センサ/筋電センサ/脳波センサなどを利用すれば、ユーザーの脳の活動状況やリラックス具合などを計測できるでしょうし、アルコールセンサを利用すれば飲酒状況も計測できると思われます。
こういった生理センサを利用して、適切な通知タイミングを知ろうとする研究が行われてきましたが、通知を制御するだけのためにこのようなセンサを装着して暮らすのは、現状では少々難しいかもしれません。
ユーザーの会話状況、誰かと一緒かどうかといった周囲環境を観測したり、ユーザーの椅子の加重状況を計測したり、ユーザーのキーボード利用状況などをモニタしたりすれば、ユーザーにセンサを密着させなくても、ユーザーの状況をある程度センシングできるでしょう。ユーザーがしばらく動いていなければ、沈思黙考しているか居眠りしているかだと思われるので、後者の場合は適切な通知を送るのが良いかもしれません。
現在は誰もがスマホを持ち歩いていますが、これに加えて誰もがスマートウオッチやウエアラブル端末を持ち歩くようになれば、これらのセンサ情報だけを利用して、かなりの精度でユーザーの状況を把握できるようになると思われます。
ユーザーの周囲の状況を観測するためにカメラやマイクを設置するのは大変ですが、着席時にスマホを脇に置いておくぐらいならば問題なさそうです。寝落ちしたら通知音が鳴るとか、酩酊状態でネット投稿しようとすると警告されるとかいった応用に利用できそうです。
しかし、ユーザーの状況を計測して完全な通知ハンドリングシステムを作ることは困難です。ボーッとしているのか/関係ないことを考えているのか/ものすごいアイデアが出ているところなのかを判定することは相当難しいでしょう。
また、通知の内容によって動作が変わることが好ましい場合もあります。例えば会議中はメールの通知は届いてほしくないのが普通ですが、会議で議論されているシステムの進捗メールは届いてほしいかもしれないので、通知の中身まで考慮したフィルタリングが必要かもしれません。
しかし、メールの内容を元にspamを根絶することが難しいのと同様に、通知内容を元に通知を制御することはかなり難しいでしょう。完全な通知システムを作ることは無理かもしれませんが、現在より適切な通知システムを作ることは可能でしょうから、さまざまな試みの研究が進んでほしいものだと思います。
大きな音や光による通知は邪魔ですが、もっと穏健な通知方式を利用すれば、通知イライラ問題は解決するかもしれません。ネットに接続されたディスプレイやアクチュエータをアンビエントな通知システムとして利用する、さまざまな試みが行われています。
MITメディアラボの石井裕氏は、1995年ごろから『Tangible Bits』という名前で実世界と計算機世界を融合するさまざまなシステムを提案しており、さまざまなアンビエントな通知システムも提案しています。
『Water Lamp』はAmbient fixture(アンビエントな家具)シリーズの作品の一つで、水面を経由して情報を天井に投射することができます。
WaterLamp 1997 from Tangible Media Group on Vimeo.
『Orb』はメディアラボ出身者が設立したAmbient Orb社が開発した、ランプのようなアンビエントな通知システムです。株価や天気などの情報をアンビエントに通知することができます。
『Orb』は製品としてはあまり成功しなかったようですが、アンビエントな光を出す家具というアイデアはまだまだ健在で、auは8月に『Umbrella Stand』という製品を発表しました。本体底のLEDが光ることによって、傘が必要かどうかが分かるようになっています。
Phillipsの『Hue』のようなネットワークから制御が可能な電灯製品が増えてきましたが、『Hue』のような製品を使うと、『Orb』や『Umbrella Stand』のようなアンビエントな照明を比較的簡単に自作できます。
例えば橋本翔氏が公開しているソフトウエアを利用すると、20行程度のRubyプログラムを使って今日の天気を『Hue』で表示するシステムを作ることができます。
モータのようなアクチュエータを利用すると、さらに面白いアンビエントな通知システムを作ることができます。
前述の石井裕氏らによって2000年に製作された『Pinwheel』は、ネットのケーブル上のトラフィックを「風車」でアンビエントに通知するシステムです。ケーブル上を流れるデータの量に応じて風車が回転するので、ネットワークのデータを体で感じることができます。
Pinwheels 1997 from Tangible Media Group on Vimeo.
右の写真は、私の研究室の小浦侑己氏と山田尚昭氏が作成した『江ノ島の風』通知システムです。
プロペラの向きと回転数をサーボモータと直流モータで制御することにより、江ノ島の現在の風速と風向きが常に表示されるようになっています。
ヨットやウインドサーフィンのようなスポーツが好きな人は、部屋に置いたこれを眺めてソワソワすることができます。
世の中の通知がまだまだ増えるのは間違いありませんし、通知を扱うための使いやすいIoTデバイスやセンサが増えるのも間違いありませんから、今後もいろいろな通知システムが登場してくるでしょう。
いつでもどこでも誰でもコンピュータが活用できる「ユビキタスコンピューティング」の世界が実現しつつありますが、スマホにどっぷり漬かって通知に右往左往する人たちが増殖している現在は、理想と程遠い状況のように感じられます。
ユビキタスコンピューティングという言葉を提唱したMark Weiser氏は、早くからこのような危険に気付いており、「カーム(Calm)テクノロジー」という概念を1995年に提唱していました。
カームテクノロジーの世界では、コンピュータはあまり主張せず、さりげなく人間を助けてくれる存在になります。このような目標が実現された社会を「アンビエント情報社会」と名付けて、その実現に向けて研究を行っている人たちもいるようです。
Weiser氏の提案から20年も経つのに、カームな世界が実現されていないのは悲しいことです。ユーザーが能動的に努力してコンピュータを利用しなくてもコンピュータやネットの恩恵を十分に受けられるようにするため、IoT技術を駆使して通知地獄を解消するところから始めていきたいものだと思います。
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