ゲノムビジネスに乗り出したDeNA南場智子さんに聞く“新規事業のつくり方”
「これからなんですよ。私たちが提供するヘルスケアサービスに“DeNAらしさ”が出てくるのは」
自信を感じさせる表情でこう語るのは、2014年7月に遺伝子検査サービス『MYCODE(マイコード)』を開始して以来、ヘルスケア領域で着々と歩みを進めてきたDeNAのファウンダー南場智子さんだ。
南場さんが事業統括を行うDeNAライフサイエンスは、2015年2月、『MYCODE』の新検査メニューに自分の祖先を調べることができる「ディスカバリー」を追加。翌3月には、住友商事の合弁会社である「DeSC ヘルスケア」を設立し、健保向けサービスの『KenCoM(ケンコム)』を発表。業界に新風を吹き込んでいる。
ただ、遺伝子検査によって各種の健康情報を提供するゲノムビジネスは、日本のみならず世界的に黎明期だ。
アメリカではGoogleが出資する『23andMe』や『Myriad Genetics』といった“ゲノムメジャー”が台頭しつつあるものの、広く市民権を得るまでには至っていない。
これまで『DeNAショッピング』や『Mobage』など多くの新事業を起こしてきた南場さんは、ここ日本でどのようにヘルスケアという新市場を開拓していくつもりなのか?
その構想を聞いたところ、新規ビジネスを立ち上げるのに必要な戦略と、DeNAが描く「ヘルスケアとテクノロジーの未来」が見えてきた。
新しい産業を育てる場合、情報はオープンに
―― 『MYCODE』や『KenCoM』など、ヘルスケア事業でのチャレンジが続いています。現状、その反響はいかがですか?
すごくいいですよ。社員、お客さまだけでなく、社会全体から多くの関心を持っていただいていると感じています。
うれしいことに、DeNAの事業に参加したいという方もいらっしゃいました。中でも特に多かったのは、「もっとサービス内容について詳しく知りたい」という声ですね。
―― 先日Appleが正式に発表した『Apple Watch』もヘルスケア機能を強調していたように、世界規模でヘルスケアとテクノロジーの未来が注目されています。一方で、『MYCODE』のような遺伝子検査のサービスとなると、まだまだユーザーがピンと来ていない印象もあります。南場さんから見て、今のヘルスケア市場はどんなフェーズなのでしょうか?
まだまだ黎明期ですが、これから大きく変わろうという転換点を迎えているとも感じています。
テクノロジーの進化で、ゲノム解析に掛かるコストは劇的に下がっています。その結果、アカデミックな研究のレベルでも、遺伝子の変異と体質、疾患のなりやすさなど、いまだに新しい発見が生まれ続けている状況です。
例えば、がんと遺伝子の関係について、今までの研究ではがんになりやすい遺伝子の方ばかりを見つけていました。が、近年の研究で、人間はがんになりにくい遺伝子を持っているケースがあることも分かってきた。
このように、先端医療の世界ですら発見できていなかったことがたくさんあります。まだまだ遺伝子と健康に関する情報がそろっているという状況ではないんです。
―― アメリカでは解析コストが下がったことに伴い、ゲノムベンチャーの起業が増加していると聞きます(参照記事)。USと日本では、マーケット開拓のやり方や市場ニーズに差があると感じますか?
いえ、少なくともテクノロジーに対するアプローチは、日本もアメリカもほとんど一緒だと思います。他人と違うDNAの1%以下という数値を解析するSNP(一塩基多型)タイピングに関しても、私たちはアメリカ企業と同様のテクノロジーを使用しています。
すでに『23andMe』などメジャーな企業が生まれているという面では、アメリカが少し進んでいるのかもしれませんが、どちらもまだ黎明期であることに変わりはないと思っています。
――そうした黎明期の市場で事業を育んでいくには、何が必要だとお考えですか?
『MYCODE』しかり、DeNAが提供しているヘルスケアサービスに対して、お客さまや研究者の方々から個別具体的なご指摘をたくさんいただくことが大切だと考えています。そして、この「ご指摘」をたくさんいただくために、情報をオープンにする必要があると思いますね。
例えば『MYCODE』は、東京大学医科学研究所とDeNAが共同研究を行い、SNPと体質、病気のなりやすさの関係を解析する日本人向けのロジックを構築しましたが、項目ごとにどのSNPを読んでいるのか、判断の根拠とした研究論文は何かなど、全てを公開しています。
我々が遺伝子情報をどう解析し、どう解析データを使っているのか、全てをできる限り開示しなければ、「安心して使っていただくフェーズ」に入ることができないからです。
本当は、他のゲノムベンチャーもどんどん情報開示するべきだと考えています。「競合他社に情報を明かせない」という考え方ではなく、みんなで協力しながらユーザーやアカデミアの方々からの信頼を築き、未開拓のマーケットを育てていかなければいけないと考えています。
遺伝子検査サービスは、人間のプライバシーに関わるもの。信頼を何より大切にしていきたいんです。
――市場を育てていくために、手を取り合うべきだということですね。それでは、ヘルスケアに関するテクノロジーの進化についてはどう見ていますか?
この領域の面白さは、メディカルとコンピュータサイエンスが限りなく近づいている点にあります。
今までは、長年遺伝子を研究してきた専門家の方々が持つ特別な知識を用いて仮説を立て、遺伝子の変異を突きとめていました。仮説を検証するために、圧倒的な専門知識が必要な時代だったとも言えます。
しかし、コンピュータの計算速度が上がったことによって、「仮説の質」よりも「量」が重要になりました。例えば遺伝子の30億塩基対を調べる中で、思い当たる組み合わせ全てに計算を走らせて調べた方が、良い結果が生まれるという声もあります。
かつて、医療の進化は「In vitro(試験管)の中」にあると言われていましたが、今は「データの中」にあると言われています。スーパーコンピュータの『京』では計算できなくても、『エクサ』ならば実現できる。そういう次元で遺伝子解析技術は進んでいます。
健康管理をもっと楽しくする方法
―― 信頼を築き上げた後のフェーズ、次の展開についてはどうお考えですか? 『MYCODE』では遺伝子検査の結果をアバターで表示するなど、ヘルスケアにエンタメ要素を追加している印象を受けました。これには何か狙いが?
健康管理って、どうしても重苦しい話になりがちなんですよ。「死んでもヘルスケアを続けなきゃならない」なんて考え方では、長続きしないし本末転倒ですよね。
だから、DeNAが考えるヘルスケア事業の“第二幕”では、人々の価値観を変えて「ヘルスケアは楽しい!」と思っていただくことがカギを握ると考えています。
生活習慣を変えるということは、継続しないと意味がありませんよね? だから、ユーザーの方々に「もっとやりたい」という気持ちになっていただくための仕掛けが大切になる。例えば、ソーシャルグラフをヘルスケアと組み合わせ、ちょっとサボろうかな?と思っても仲間からプレッシャーが掛かるみたいな。
―― DeNAが『Mobage』で培ってきたソーシャル性が、ヘルスケア事業でも活きるということですね。
そう思います、ソーシャル性は、あくまで市場を形成していくための手段の一つですが。ソーシャルネットワーキングを活かした娯楽性とヘルスケアを組み合わせていくのは、DeNAでしか成し遂げられないことなのかもしれません。
自分の遺伝子の特徴を知って、健康管理に向けて動くことは、人々にとってとても大事なことです。そして今、遺伝子解析技術が進歩して、ユーザーにさまざまな情報を比較的安価に届けられる状況になっています。
この「届ける」フェーズで、価格以外のユーザーニーズをどうキャッチアップするか。それこそが、次の課題になるでしょうね。
―― 「ディスカバリー」のように、遺伝子に刻まれた祖先のルーツを知るサービスなどは、確かにその「届ける」フェーズを切り開く一つの手段になりそうです。
ええ。例えば、「ディスカバリー」のユーザー同士が、調べた祖先のデータを基に、ランチや飲み会で盛り上がっていただく。遺伝子検査を、そんなレベルまで一般的にしたいと思っています。
今までも、血液型について「あなたは何型?」って質問し合ったりしていたわけじゃないですか?そうやって自分の遺伝子について当たり前に語れる世の中を目指しています。
―― 一方で、「自分の遺伝子情報を知る」というのは、とても勇気がいることでもあります。アメリカでは女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが遺伝子検査を受けたと話題になりましたが、日本国内では、いまだ多くの人が遺伝子検査に対してある種の恐怖感を抱いているように感じますが?
ご指摘どおり、自分の遺伝子を知るって、とても不安で怖いことだというのも理解しています。だからこそ、精神的な不安が少ないところから検査を受けてほしいと考えています。
例えば体質的な太りやすさを調べた後で、遺伝子的になりやすい病気まで調べられるようにするとか。もちろん、「知らないでいる」という選択肢もあり得ますが、こうやって徐々に不安な気持ちをアンロックして、多くの人が科学のメリットを享受してほしい。
この不安を取り除き楽しく前進するプロセスで、DeNAは本領を発揮したいです。
最終的に目指すのは「健康管理の一大プラットフォーム」
―― どうして、昨年『MYCODE』をリリースした時点からそうしたエンタメ要素を実装しなかったのですか?
先ほど話したように、この領域では何よりも信頼を作り上げることが先決だと考えたからです。DeNAはメディカルの領域では新参者。まずは、遺伝子検査やヘルスケア領域について、チーム全体で徹底的に学ぶ必要がありました。
遺伝子データの管理法一つをとっても、研究畑の方々から「そこまでやらなくていいのでは?」と言われるほどに、チームでとことん話し合いました。アカデミアに勤める研究員の方々ときちんとコミュニケーションが取れるレベルにまでチーム全体の知識を高めなければ、「ヘルスケア業界が今後、発展するために」なんて語れるはずありませんから。
―― これまでDeNAはeコーマスやゲームなどさまざまな分野で新規事業を興してきましたが、こういったアプローチがDeNA流?
いえ、ヘルスケア事業は、過去の事業とは違ったアプローチを採っています。
この領域は、法の規制や倫理観、社会的観念などの面でまだまだ議論が続いていく、いわば「未整備な産業」です。こういった場合は、ゼロから全てを整えていく必要があります。
だからそのプロセスは、ゲームやeコマース、インターネットを使った効率化など、もともと産業として存在していた領域に比較すると全く違う進め方になっています。
―― では、ヘルスケア事業においてDeNAが目指しているところを教えて下さい。
セルフメディケーションのプラットフォームを作り上げることを目標にしています。自分の情報と専門情報が集まる場所です。
自身のゲノムについては『MYCODE』。検診やお薬、受診カルテ、ライフログについては4月に始まる『KenCoM』。この2つは、自分の情報を知るための情報源ですね。
他方で、病気や新薬、生活習慣病についての一般的な専門情報を知っていただくために、『Medエッジ』というオウンドメディアも立ち上げています。これは、「最先端を親切に」をテーマに運営する医療と健康の情報サイトです。
学会では日々価値の高い情報が発表されていますが、ほとんどが英語の論文なので、こうした専門的な情報を多くの人に分かりやすく伝えることも大切だと考えました。
『Medエッジ』では、ヘルスケア情報にもっと気楽に触れていただくのを目的に、硬派な記事はもちろん、カジュアルな内容の記事なども載せています。
こうした多面的な取り組みでDeNAが目指すのは、病気になるリスクを予見して、人々が健康な時期に手を打ってもらうことなんです。
私自身、身内が病に倒れた際に後悔したのは、日々の忙しさにかまけてしまい、何も事前の予防策を打ってこなかったということでした。健康に関して、何か一つでも良いことをしていたら、ここまで後悔しなかったと思います。
健康に向けて何かアクションを始めるには、ちょっとしたアラートが必要です。例えば健康診断の情報、あるいは遺伝子情報でなりやすい病気について考えるなど。それが今のサービスラインナップにつながっています。
何だかんだ言っても、DeNAは学習能力とサービスマインドを持ち合わせたプラットフォーマーなんですよね。だから、ダイエット支援サービスや健康管理用のアプリを出すだけにとどまらず、「健康管理の一大プラットフォーム」を作り上げ、人々の暮しを本質的に変えたいんです。
これって、すごく意義のあることだと思っています。
―― 何か、楽しそうですね(笑)。
楽しいですよ! ヘルスケア事業はすごく楽しい(笑)。
やっぱり社会的意義の高いことに携わっている実感がありますし、新しいことを勉強することも楽しい。また、DeNAとしても全く新しい事業ですので、未知の産業を開拓していく喜びがあります。
エンジニアは「π(パイ)型」のスキルアップが必要に
―― ところで、ヘルスケア事業におけるエンジニアの構成はどうなっているのですか?
『MYCODE』も『KenCoM』もWebサービスですので、サーバサイドとフロントエンドの構成は他のサービスと同じです。ただし、遺伝子情報は非常に機密性が高い情報になりますので、プロマネは金融システムで最高レベルの安定性とセキュリティを求められていた者が担っています。
チームの中には、将来的にゲノムの事業を立ち上げようと思ってDeNAに入社した者や、大学時代に分子生物学を学んでいたような者もいます。大学の教授からご紹介いただいた方も在籍していますね。
―― やはり、専門領域を学んだ経験がなければヘルスケア領域のエンジニアとして参加することは難しいということですか?
いえ、そんなことはありませんよ。ゲーム開発の出身でヘルスケア事業に携わっている者もいますから。
社内に生物学の博士号を取得している者が7~8名いるため、ゲノムに関しての社内勉強会を週2回開催したり、外部から権威ある先生をお呼びして勉強会を開催するなど、学ぶ体制は常に強化しています。『ゲノム通信』という社内報もできあがったほどです。
研究者から見たら当たり前のことを知らないまま、ヘルスケア事業を展開することは良いことだとは言えませんよね? DeNAとしては、そうした研究者が「当たり前に知っている基礎」を、何とか短期間でキャッチアップしてきました。
そのため、まだ知識を持っていない方が参加した時に、何をどう学ぶべきかを分かっています。専門性の高い研究領域は別としても、Webサービスを提供する側として必要な知識レベルに至るまでなら、ウチのチームに来て勉強してもらえば何とかなると思っています。
―― 知識はチームに入った後で身に付ければいい、と。それでは、どのようなエンジニアがヘルスケア領域に必要だとお考えですか?
今、当社でヘルスケアに携わるエンジニアたちが提唱している考え方がありあす。
それは「T型人材」から「π(パイ)型人材」への変化についてです。
T型とは、2本の軸を持っている人を指します。つまり、自分の在籍する組織の特性やビジネスの基礎を幅広く理解していることを指す「横軸」に加えて、エンジニアとして高い技術力を「縦軸」として持っていることです。以前であれば、この状態が100点満点でした。
しかし、ヘルスケア事業では、もう1つの「縦軸」を持っている人材が必要だという考え方を持っています。例えば、ゲノム・生命工学の知識がある、情報セキュリティについて深い知見がある、データ解析に超精通している、バイオインフォマティックスに長けている……何でもいいんです。
エンジニアが増えた際に価値を発揮していくのが、π型の人材なんです。もちろん携わる事業によって「第3の線」が変わることは前提の上です。
ちなみに、これから新しい産業を興していくことに興味のあるエンジニアの方、絶賛大歓迎ですよ(笑)。
―― なるほど。貴重なお話をありがとうございました。
取材/伊藤健吾(編集部) 文/川野優希(編集部) 撮影/竹井俊晴
【お話を伺った方】
南場智子(なんば・ともこ)さん
株式会社ディー・エヌ・エー 代表取締役会長。1986年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。1990年、ハーバード・ビジネス・スクールにてMBAを取得し、1996年、マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。1999年に同社を退社して株式会社ディー・エヌ・エーを設立
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