キャリアVol.60

コードで「社会とつながる」ということ~26歳で再就職した元ニートの『skillstock』開発記【後編】

株式会社kamado 竹原正起さん(26歳)1986年岡山県生まれ。倉敷芸術科学大学を卒業後、地元の焼肉チェーンに入社するも1年半で退社。半年にわたって東南アジアやインドを旅しながらカレー研究に明け暮れる。帰国後の2011年4月、上京してギークハウス武蔵小杉に入居(現在はギークハウス新丸子に転居)。自ら主催したカレーパーティーで知り合ったあるWebプロデューサーから『skillstock』プロジェクトに誘われ、開発に携わる。2012年7月より現職

ニート生活を送っていた竹原さんの人生を変えるきっかけとなった、ボランティアつなぎサービス『skillstock』
ニート生活を送っていた竹原さんの人生を変えるきっかけとなった、ボランティアつなぎサービス『skillstock』

ボランティアつなぎサービスの『skillstock』開発で、プロボノ参加するYahoo! JapanやNTTレゾナントのエンジニアと共にコーディングに臨むことになった竹原正起さん。

「本格的なプログラミングは、中学卒業以来ほとんどしてこなかったので、実は『僕にできるだろうか』と及び腰になっていました」

当時の思いをこう吐露したのも、プログラミングが単なる趣味の域を出なかった竹原さんの過去を考えれば当然だ。

ただ、それでもコードの世界への関心が失われていたわけではなかったのは、これまでの経歴を見れば明らかである。

もし、本当にプログラミングと決別したかったなら、大学時のゲームサークルへの参加も、上京してギークハウスに居を定めるようなことも、なかったはずだからだ。

疑問が生じるのは、にもかかわらずなぜ、これまで一度もプログラミングを職業にしようとしなかったのか。話を聞き進めると、竹原さんの胸中には「開発業務」に対するある種の恐れがあったからと察せられる。

「エンジニアの世界では、『デスマ』とか『社畜』とか、よく言われるじゃないですか。だから、プログラミングを仕事にすると、何だか疲弊しそうだよなぁと勝手に思い込んでいました」

そのイメージが、『skillstock』プロジェクトを通じて大きく変わった。「業務」以上の意義あるものとしてプログラミングに取り組む人たちを、目の当たりにしたからだ。

顔を突き合わせての緊急ミーティングで学んだプロの流儀

「最初はRuby on Railsの知識もプログラミング能力も追いつかなくて、期日までに仕上げる約束をしていた機能を実装できないことが何度か続いたんですね」

今思うと、できない、分からないことを早めに報告すべきだったと反省するが、開発業務の経験が皆無だったためどう伝えればいいかさえ分からず、「抱え込むだけ抱え込んで何もできていない状態」(竹原さん)から抜け出せずにいたという。

竹原さんが共に開発した『skillstock』チーム。ほとんどがプロボノで参加する社会人や学生だ
竹原さんが共に開発した『skillstock』チーム。ほとんどがプロボノで参加する社会人や学生だ

そんな状態を見かねた『skillstock』開発陣のYahoo! Japan高橋義典氏とNTTレゾナント澤村正樹氏は、ある日、彼を都内のコワーキングスペースに呼び出した。

「skillstockの開発は皆ボランティアで行っているので、そもそも期日や内容をコミットするような指示を出すのは難しいのです。でも、『この仕事をやり遂げれば経験になって次につながる』という話をみんなですることで、問題をチームで解決していく進め方を肌で感じ取ってほしかったんですね」(高橋氏)

その日は、顔を突き合わせて何が遅延の理由なのかを洗い出し、彼が抱えるタスクと現状の課題を整理。

「プログラミングの知識はWebや書籍でも得られますが、仕事の進め方や技術をどう組み合わせてサービスを具現化していくかは、実務経験を通じてしか分からないじゃないですか」(澤村氏)

その「実務」に当たる部分を、高橋氏と澤村氏は『skillstock』で疑似体験してほしかったのだという。

「実際に使ってくれるユーザーがどういう行動をするかと想像して、やることに優先順位を付けたりチームのメンバーに意見をぶつけたりするよう心掛けることができれば、どこに行っても重宝されるエンジニアになれると思っていました」(澤村氏)

こうして、大先輩2人による厳しくも温かい指導を受けたことで、竹原さんは本気モードに入っていく。そのあとの数日間は、ギークハウスに籠もって徹夜で開発。分からないことがあるとすぐに澤村氏や高橋氏にFacebookでメッセージを飛ばし、教えてもらったり指示を仰いだりしながら、何とか任された機能開発をやり遂げたのだ。

Webサービスを、初めて「チームで開発」することでプログラミングの楽しさを思い出した竹原さん
Webサービスを、初めて「チームで開発」することでプログラミングの楽しさを思い出した竹原さん

そんな「職業エンジニアとほとんど変わらない毎日」(竹原さん)の甲斐あって、『skillstock』は何とかα版からβ版への格上げを終える。当初の目標通り、今年の3月11日を目前にローンチにこぎつけた。

これが、竹原さんに大きな自信を与えると同時に、チームでWeb開発を行う楽しさも覚え始める。

「高橋さんや澤村さんと開発を続けていくうち、とにかくプロのエンジニアってスゴい人たちなんだなって思いました。ボランティアだからって手を抜かず、使命感を持って開発する人がいるんだってことにも、『skillstock』にかかわらなければ気が付かなかったと思います」(竹原さん)

「技術面は僕や澤村さんから、サービス内容は(チームリーダーの)藤代(裕之)さんからと、各分野のプロから厳しい指摘を受けて大変だったと思います。『skillstock』の開発は、彼がアルバイトで経験してきたような仕事のやり方とは違っていたでしょうし、ボランティアという部分でも戸惑うことが多かったでしょう。にもかかわらず、われわれの励ましにちゃんと応えてくれた。それがとてもうれしかったですね」(高橋氏)

「プロ」への最終関門として、機能開発ほぼすべてを任される

竹原さんが主導して開発することを任された、『skillstock』の「プロジェクトページ」
竹原さんが主導して開発することを任された、『skillstock』の「プロジェクトページ」

この経験を経て、竹原さんはエンジニアとして生きていくことを希望するようになった。持てる開発スキルを出し惜しむことなく、本気でプロボノ活動に取り組む大人たちに感化された結果だ。

そんな矢先、竹原さんは藤代氏からある打診を受ける。

ネクストフェーズとして取り組むことにしていた、「プロジェクトページ(ボランティアを求める各種団体の紹介ページ)」開発を、竹原さんが主導して行ってほしいというものだった。

このオファーを出した背景を、藤代氏はこう打ち明ける。

「当初の『skillstock』では、スキル登録はできたものの、ボランティア情報のフィードはまだ手つかずの状態。そこで、この機能開発を竹原さんに任せてみようかと考えました。人が成長するためには経験が必要です。ローンチから1カ月くらい経ったころ、改めて彼に声を掛けてみたんです」(藤代氏)

まだまだ自分の技術力に自信のなかった竹原さんは、この依頼を受けるべきかどうか、数日悩んだという。しかし、『skillstock』ローンチの達成感を経験し、エンジニアとして生きていく腹決めをしかけていた竹原さんに、断るという選択肢はなかった。

「まだこのころは、技術的につまずくたび、一人で抱え込んで動けなくなってしまうクセが直っていませんでしたが。ある時も、高橋さんから『先週からGitHubのコミットが途絶えてますけど大丈夫ですか?』って聞かれて、『ヤバい、またやってしまった』と……」(竹原さん)

(次のページへつづく)

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