この連載では、注目企業のCTOが考える「この先、エンジニアに求められるもの」を紹介。エンジニアが未来を生き抜くヒントをお届けします!
「ダメでも学んで500回挑めばいい」エムスリーCTO山崎聡の“アジャイルなチャレンジ”のススメ
2022年4月にエムスリーのCTOに就任した山崎聡さん。もともとは同社のVPoEとして4年にわたり組織を牽引し、各種サービスのクラウド移行や事業横断マネジメントの強化に務めてきた。
VPoE就任後は、たった1年で前年比2倍近くのエンジニア採用に成功。「エムスリー急成長の立役者」としても知られている。
関連記事:コロナ直撃でも開発を加速できた理由は? 時価総額3兆円のシステムを支える、エムスリーのレジリエンス
山崎さんは、2006年にメビックス(後にエムスリーグループに参加)に入社、以来16年間、エムスリーグループ一筋のキャリアを築いてきた。「転職が当たり前」のWebの世界で、一つの会社で停滞することなく成長を続けてこられたのはなぜなのか。エムスリーの躍進とともにキャリアを変化させてきた山崎さんに、詳しく話を聞いた。
エムスリー株式会社 執行役員 CTO/VPoP 山崎 聡さん(@yamamuteking)
大学院博士課程中退後、ベンチャー企業、フリーランスを経て、2006年、臨床研究を手掛けるメビックスに入社。09年、メビックスのエムスリーグループ入り以降、エムスリーグループ内で主にプロダクトマネジメントを担当する。17年からVPoE、18年からエムスリー執行役員。20年4月からはエンジニアリンググループに加えて、ネイティブアプリ企画部門のマルチデバイスプラットフォームグループと全プロダクトのデザインを推進するデザイングループも統括。20年10月より初代CDO(最高デザイン責任者)に就任。22年4月より現職
超ギークな少年が気付いた「誰かの困りごとを見事に解決したい」欲求
8歳からプログラミングを始め、コンピューター漬けの「超ギークな少年時代」を送っていた山崎さん。商用インターネットの幕開けである93年頃にはインターネットデビュー、94〜95年には「いち早くUS版のYahoo!を使っていた」と当時を振り返る。
「高校生の時にUS版のYahoo!を見て、『日本版のYahoo! を作ったら絶対儲かるんじゃないか』って企んだことがあるんですよ。でも翌96年に孫(正義)さんが『Yahoo! Japan』を立ち上げるって聞いて『先を越された!』って高校生ながらがっくりきて。その後、ショックで3日くらい寝込みました(笑)」
大学ではインターネットを学ぼうと、情報ネットワークの専門学科に進学。しかし、その時点ですでにプログラミング歴10年だった山崎さんにとって、大学は物足りない場所。そこで始めたのがスキルを生かしたアルバイトだった。
「いろいろな会社でエンジニア、QA、デザイナー、プロダクトマネジャーを任せてもらったり、武者修行って感じで働いていました。例えば97年に秋葉原にあるPCパーツの聖地で通販サイトの立ち上げに関わったのもその一つ。社員3人の中に学生が1人混ざって、黎明期のECサイトを開発・運用するなどしていたんですよ」
そのまま大学院博士課程まで進むも、アカデミックな世界よりベンチャー企業の方が向いていると方針転換。大学院を中退して、その後、メビックスへ入社を決めた(その後、2009年に同社はエムスリーグループ入り)。
所属会社がエムスリーグループ入りしたり、グループ会社間での異動があったりしたものの、以来ずっと同じ会社で働き続けてきた。プログラミングを35年以上続けてきたように、「基本的にオタクなので、一つのことを工夫しながらやり続けるのも好きなんですよね」と笑う。
「今振り返ると、プログラミングに携わってきた少年時代から、ずっと大切にしてきたことがあります。それは『エンジニアリングの力で誰かを助けたい』ということ。子どもの頃に、ふと思ったんですよ。自分だけが遊ぶゲームを作って自己満足に浸るより、誰かに喜んでもらうものを作った方がはるかに楽しいって」
歴史的に見ても、古来からエンジニアは便利なものを作って、困っている人を助けてきた職業だ。馬車を作る。機関車を作る。自動車を作る。そしてジャンボジェットにロケットーー。これらはすべて、「より多くの人を運びたい」「より遠くに行きたい」という人類の困りごとをエンジニアが解決してきた成果だ。
山崎さんもそんな「困っている人を助ける」エンジニアになりたいと考えながら、これまでのキャリアを歩んできたと話す。
「顧客の困りごとを見事に解決できるサービスやプロダクトを作りたい。その思い一つで、エムスリーで医療者や患者さんたちを助けられるサービスを作り続けています」
チャレンジを続ければ、目線は自然と上がっていく
「困っている人のために、課題を解決したい」というのが山崎さんの根源的な欲求。この思いをかなえるには「転職」という選択肢もあったはずだ。
それでも一貫してエムスリーでキャリアを重ね、会社と共に停滞することなく成長を続けられたのはなぜなのか。山崎さんはその理由の一つに「自身の上司やチャレンジングな環境が自分に合っていた」ことを挙げた。
「エムスリーの中には、常に新しいチャレンジがありました。僕はもともとブライアン・フーパーという初代CTOの直下にいたのですが、彼がいつも『新しいチャレンジ』を与えてくれていたから、1年として暇な年がなかったんですよね。僕はもともと新しいことに挑戦するのが好きな性分ですから、次々と与えられる新しいチャレンジが良い相乗効果を生んだのかなと思っています」
与えられたミッションをクリアしていくうちに、チャレンジの内容はどんどんレベルアップ。同時に山崎さん自身の目線も上がり、自然と組織づくりへも目を向けるようになったと続ける。
「EMやVPoEを経験したことのある人なら分かると思いますが、良いプロダクト作りと、良いチーム作りは表裏一体の関係にあるじゃないですか。限られた人数でどうレバレッジをかけて良いプロダクトを作るのか、それがチームづくりですから。
若い頃は良いプロダクトを作るためのチャレンジで精一杯、そこからチーム作りに目がいくようになって、良いプロダクトをつくるための組織づくりに注力するようになって……と、常に新しいことに挑戦していたら、いつの間にか今に至るという感じです」
プロダクトマネジメントの経験を重ねた後、グループ会社の執行役員や共同創業を経て、気付けばエムスリー初のVPoEに、そして現職のCTOになっていたと笑う。
こうした1年1年のチャレンジが実を結び、近頃は“強い開発チーム”として名を馳せるようになったエムスリー。しかし山崎さんは「エムスリーの開発チームが組織として強いのは、僕がVPoEとして何かしたからではないんです」という。
「そもそも僕が入った時から、エムスリーは“強い”チームでした。世界的なOSSエンジニアがいましたし、今は転職してしまったけれど西場さんやばんくしさんなど著名なエンジニアも多数輩出しています。
それはエムスリーという会社自体の、超優秀なエンジニアが生き生き働けるミッションやチャレンジを重要視するというカルチャーが大きいと思うんですよね。これは僕だけでなく、代表取締役の谷村も、歴代のCTOもみんな考えてきたことです」
エンジニアが心から満足できるようなチャレンジやミッションを、組織としてどうサステナブルに提供していくか。
そんな組織なら、エンジニアは楽しみながらキャリアを重ねていけるし、山崎さん自身もずっと働きたいと思えるはず。そんな思いから、山崎さんは「チャレンジマネジメント」により注力してきたという。
「そもそも医療という領域は、挑みがいのあるチャレンジで溢れています。日本一のクラウド電子カルテサービスを作る、クリニック向けのキャッシュレス決済サービスのスタンダードを作るなど、乗り越えがいのある課題がたくさんありますよね。それをどう『チャレンジ』として楽しめるか。僕自身もそうですし、メンバーにとっても大事な視点だと考えています」
目の前にある「アジャイルなチャレンジ」を繰り返せ
山崎さんはCTOに就任したタイミングで、この16年間を振り返ってみて、改めて「チャレンジ」の重要性を実感している。
「『良いチャレンジ』は、それだけでキャリアを良い方向に変えてくれます。それは僕自身も実感しているところで、会社や当時のCTOが用意してくれたことも、自ら挑戦したことも、全てが良い経験となっているんですよね。
その中でも僕が若手の皆さんにオススメしたいのは、『アジャイルなチャレンジ』をすることです。
長いキャリアの中ではいろんなターニングポイントが訪れると思いますが、どんな時でも挑戦する道を選ぶこと。同時並行でもいいからアジャイルに挑戦していくんです。
それがもし失敗したとしても、そこから学び、新しい方法で500回チャレンジを繰り返せば、いつか必ずうまくいきますし、その後の仕事の質も量も高まってくるはずです。僕だって未だに失敗することもたくさんあるけれど、とにかく諦めず前を見続けていたら見える景色がどんどん変わってきましたから」
そんな個人の「チャレンジ精神」は周りに伝播し、さらに自分自身のチャレンジ精神も刺激されるようになる、良いサイクルが生まれると続ける。
「先ほどもお話した通り、エムスリーの卒業生で新しいチャレンジをしている人はすごく多いですよね。ばんくしさんはCADDiの機械学習エンジニア テックリードやCADDi AI Labで活躍しているし、西場さんはSansanのVPoEとして今までやったことのないことにトライしている。
それを見ていると、始めは内輪でしかなかったチャレンジ精神がどんどん広がっていると感じますし、僕も負けていられないと思えるんですよね」
今まさに山崎さん自身も、CTOという立場でチャレンジを続けている。
「今はまず、4年続けたVPoEという立場を後任の岩佐(淳史)さんに任せる。そして改めてCTOとして、エムスリーのプロダクト全体強化にチャレンジしているところです」
エンジニアとしての根源的な欲求と、無限の挑戦がエンジニアのキャリアを大きく強くする。山崎さんが停滞することなく長く働き続けられた背景には、そんな「チャレンジ精神」の継続があったのだ。
取材・文/石川 香苗子 編集/大室倫子
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