この連載では、注目企業のCTOが考える「この先、エンジニアに求められるもの」を紹介。エンジニアが未来を生き抜くヒントをお届けします!
「役割に縛られすぎない」が、キャリアも世界も面白くする。“NOT AN ENGINEER”な思考【NOT A HOTEL・CTO大久保 貴之】
「世界中にあなたの家を」
NOT A HOTELのサービスサイトは、まずこの一言から始まる。自宅にも別荘にも、時にはホテルにもなる、全く未知のサービスを提供するPropTechスタートアップだ。
NOT A HOTELが販売する物件を購入したオーナーは、住宅や別荘として部屋を利用するだけでなく、旅行で家を空ける際には、ホテルとして貸し出すことができる。
しかも、アプリ一つで自宅とホテルの切り替えが可能。
室内のコントロールやコンシェルジュAIサービスの利用もNOT A HOTELが提供するアプリ上で容易にできる。
こうした一連の体験や運営を支えるソフトウェアの開発を牽引しているのが、CTOである大久保貴之さんだ。
大久保さんは、大学研究員時代に起業したカラクルをZOZOに売却。その後、ZOZOテクノロジーズ執行役員兼ZOZO研究所 所長を務め、2021年にNOT A HOTELにジョインした。
博士号(工学)取得→起業→大手企業役員→スタートアップCTOと、縦横無尽にキャリアを切り拓いている大久保さんにその秘訣を問うと「エンジニアという言葉にとらわれすぎないこと」だと語る。
研究者のバックグラウンドを持つからこその深い洞察や探求心の強さから、社内では「CTO」ではなく、「ハカセ」と呼ばれ慕われている大久保さんに、その言葉が意味することと、彼を動かす原動力について話を聞いた。
輪郭があいまいで、あるべきモデルケースもないNOT A HOTELへ
研究員時代に立ち上げたベンチャー企業をZOZOへ売却し、ZOZOテクノロジーズに参画。ZOZOテクノロジーズ内に研究所を立ち上げ期から手がけ、経営にも携わっていた大久保さん。
そんな彼が、なぜ21年10月にZOZOを離れ、スタートアップ企業の『NOT A HOTEL』にCTOとして参画したのだろうか。
「ZOZOで学んだことはたくさんありました。豊富なデータがあって、優秀なエンジニアもたくさんいて、スピード感が半端じゃない。ここにいれば自分の力以上のことが実現できる。
しかし、そんな恵まれた状況にいたからこそ、自身の油断というか、甘えのようなものに気付くことも度々あり、自分自身の成長にはいま一度の 0から1を生み出すような挑戦が必要なのではと考え、辞することを決めました」
ZOZOを飛び出した大久保さんだったが、次に何がやりたいか、具体的に考えていたわけではなかったという。
「退職して、人々のライフスタイルに携わりたいという漠然とした考えがありました。
ファッション領域は長く経験してきていたので、次に関わるテーマは衣食住のなかの「食」か「住」だなと考えていたところ、NOT A HOTEL代表の濱渦(伸次)さんから声を掛けてもらったんです」
NOT A HOTELは、家でもホテルでも別荘でもない、「新たな暮らし」を提案する企業。会社のミッションは「すべての人にNOT A HOTELを」。
服や食のように暮らしが自由になれば、人生が豊かになり、世界はもっと楽しくなる。NOT A HOTELはそんな世界をすべての人に体験してほしいという願いが込められている。
「NOT A HOTEL は今はまだ、多くの人にとって不可欠なサービスではありません。眼前の社会課題を解決する『あたらしい暮らし』の選択肢を提供し、世界をもっと面白くしていくことに全力を注いでいます。
やがて、私たちの取り組みが皆さんの生活に深く根ざしたインフラとなり、その存在が当たり前となる未来を創り出すことを期待しています」
NOT A HOTELは、ホテル業でも不動産業でもない、新しいサービスだ。輪郭があいまいで、進む道もあるべきモデルケースもない。だからこそ、「チャレンジしがいがあると思えた」のだと大久保さんは語る。
「持てる知識や技術を使って、あいまいな輪郭を鮮明にして世の中に届ける。それこそ、やりたいと思っていたライフスタイルのデザインだと思いました」
NOT A HOTELへ集まっている人材はエンジニアのほか、建築家、料理人、セールスなど多種多様。特筆すべきは、全員がほぼ「ホテルづくり」未経験者ということだ。
「社内のバリューの一つに『超自律』を掲げていることもあり、職種に関係なく、みんなどんどんソフトウェアのシステムに意見してくれます。それこそ営業がシステムの仕様を考える、なんてことも珍しいことではありません」
そこをCTOとしてまとめあげるのは、苦労も相当多いだろう……。しかし、そんな質問に対して、大久保さんは困ったように首を捻る。
「人をまとめる苦労っていうのは、あまり感じたことがないですね。NOT A HOTEL はフラットな組織で、一人ひとりが超自律して、コトに向かい、高いパフォーマンスを発揮してくれています。
スタートアップなので、縦割り分業なんてことはそもそもできませんが、こぼれたイシューは自ら拾いにいくような心強いメンバーが揃っていると思います」
人材マネジメント面での苦労は少ない。だからこそ、「NOT A HOTELが描いている世界をどのように実現していくか」だけにフォーカスできるという。
「販売時は、完成した建物がなく、あるのはパースと呼ばれる物件の完成CG画像だけ。それでも私たちを信じて、まだこの世に存在していない建物やサービスを買ってくださった方が大勢います。
昨年は、その方々との約束を果たすため、ひたすらにサービスをつくってきた一年でした。
無事2拠点が開業となり、ここからさらに拠点数を増やしていく予定です。サービスのクオリティー向上に向けてまだつくりきれていないものや、よりワクワクするつくりたいものがたくさんあるので、ここから先はそうした時間に費やしていきます」
「技術に官能なる士君子であれ」原点は学生時代の出稽古
なぜ、大久保さんは常に「より挑戦できる環境へ」と進み続けてこれるのだろうか。
その原点は、学生時代の「出稽古」教育にあるのかもしれない。
大久保さんは九州工業大学を出て、大学院の博士課程に進んだ。大学の建学精神は、「技術に官能なる士君子」の養成を目指すことだった。
つまり、「広くテクノロジーに精通した人格者を育てる」という趣旨だ。そのため、大学では幅広い専門性を求められたという。
「大学研究員時代は、それぞれ専門が違う四つの研究室を半年ずつ回って、半年に1回修論のようなものを出す、『出稽古システム』という教育制度がありました。
私の場合は脳型計算理論、ロボティクス、視覚の情報処理及び心理情動、生化学・分子生物学を扱う研究室を周り、1分野ごとに研究成果を出し審査を受ける。今考えれば過酷な修行でしたが、複数の専門分野を深く知ったのは良い経験でした」
四つの研究分野から、最終的には世の中にある情報データを整理して理解して役立てる「脳型計算理論」の分野に進んだ大久保さんだが、複数の専門分野を深く研究したことで、どの分野にも裏に共通する原理原則のような何かがありそうだと感じた。
「人の価値観や行動にも、全てに共通する原理原則がある気がしていて。未だに解明できないこの共通のアルゴリズムを追求するのが好きなんです」
それは意外とシンプルなような気もするが、大久保さん自身もまだ言語化できず、ぼんやりとしている。
しかし、この「原理原則」を解明し、仕組み化して当てはめれば、どの分野でも人の生活や感情を豊かにするモノやサービスを生み出せるのではないか……。
その学者らしい探究心が、起業からZOZOへ、そしてNOT A HOTELへと大久保さんを導いた。
「ZOZOの『ファッション』も、NOT A HOTELの『暮らし』も、共通しているのは人々の価値観です。人は自分の価値観で、どのように暮らすかを選択します。
そしてその裏には普遍的な感情や欲望のような何かがあるはず。それを理解して新しいライフスタイルをデザインできれば、人々の人生はきっと豊かになると思うんです」
エンジニアリングは手段の一つ、重要なのは「どうありたいか」
長くエンジニアとして活躍し続けるためには、何が必要か?
最後の質問に対し、大久保さんはしばらく考え込む。そして、導き出した答えに合う言葉を探すように、慎重に切り出した。
「エンジニアの定義は一旦置いておいて……長くエンジニアを続けることが重要ではなく、優先すべきは自分がどうありたいか、何が一番楽しいかということじゃないでしょうか。
私の場合、それを実現する手段が『エンジニア』だったというだけです」
「エンジニア」は自己実現や課題解決の手段でしかなく、「エンジニアであり続けること」を目的とすべきではない。さらに、頭の中で描く「エンジニア」というカテゴリーの狭さもまた、問題をややこしくすると、大久保さんは続ける。
「多くの方が考えるソフトウェアの『エンジニア』像は、コードを書いたり、モノやシステムを設計したりして、世の中に役立てている人だと思います。だから、そのイメージに対して『自分はエンジニアに向いていない』ってどうしても思ってしまう。実際はいろんなタイプのエンジニアが存在しているし、そっちの方が面白いと思います」
その意味では、自分は狭義のエンジニアではない。だからこそ、多様な才能を集め、自分にできない箇所を補い合っているのだと。
「自分が好きなこと、成し遂げたいことに到達するために選んだ手段が、世間から見たら『エンジニア』だというだけ。その意味では、私にとって『CTO』も同じです。
今、NOT A HOTELという心惹かれるビジョンがあって、それを実現する手段としてCTOという役割をもらっているだけなんです」
一つのエンジニア像だけにとらわれず、広くテクノロジーに精通した人格者になる。大学時代からの理想像である「技術に官能なる士君子」を目指し続けるという姿勢が、今も大久保さんの思考を支え続けている。
「エンジニアというカテゴリーにとらわれず、自分がどうありたいか、どういう世界を見てみたいかを優先すればいい。
自分の理想に近づく手段が、今はエンジニアかもしれないし、もう少し進んだらマネジメント寄りの仕事になるかもしれません。
だから、『自分はエンジニアだから』といって可能性を狭めてしまうのは、もったいない。目の前の壁を突破するためにいろんな手段を考えてみて、違うなら別の手段を探せばいい、と思います」
文/宮﨑まきこ 撮影/Ryo Saimaru(NOT A HOTEL) 編集/玉城智子(エンジニアtype編集部)
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