「誰でも実践できる圧倒的な生産性を生む思考法」を惜しみなく紹介した『世界一流エンジニアの思考法』が話題の、米マイクロソフトのシニアエンジニア・牛尾 剛さん。『物語思考』の著者である起業家のけんすうさん。
そんな二人の対談イベント「仕事と人生が変わる新しい思考法」が2023年12月21日に誠品生活日本橋にて開催された。
メソッド≒ハウツー好きで共通する2人が強調する、メソッド、ノウハウ、ツールを最大限活用するポイントは「魔改造」しないこと。「魔改造が日本(企業)をダメにした」とはどういうことか。「魔改造のわな」に陥らないためにできることとは——。
本レポートでは、同イベントの内容を牛尾さんのエピソードを中心に紹介する。
『世界一流エンジニアの思考法』著者
牛尾 剛さん(@sandayuu)
1971年、大阪府生まれ。米マイクロソフトAzure Functionsプロダクトチーム シニアソフトウェアエンジニア。シアトル在住。関西大学卒業後、日本電気株式会社でITエンジニアをはじめ、その後オブジェクト指向やアジャイル開発に傾倒し、株式会社豆蔵を経由し、独立。アジャイル、DevOpsのコンサルタントとして数多くのコンサルティングや講演を手掛けてきた。2015年、米国マイクロソフトに入社。エバンジェリストとしての活躍を経て、19年より米国本社でAzure Functionsの開発に従事する。ソフトウェア開発の最前線での学びを伝えるnoteが人気を博す
アル株式会社代表取締役
けんすうさん(@kensuu)
1981年生まれ。本名は古川健介。起業家、エンジェル投資家、アル株式会社代表取締役。浪人時代に受験情報掲示板「ミルクカフェ」を開設。在学中に、レンタル掲示板「したらばJBBS」を運用するメディアクリップの社長に就任。同システムは後にライブドア社に売却。新卒でリクルートに入社後、起業してハウツーサイトの「nananpi」をリリースし、2014年にnananpiをKDDIへM&Aされる。翌15年にKDDI傘下に設立されたSupership社の取締役に就任。18年にアル株式会社を創業、マンガ情報共有サービス「アル」を手がける。現在、きせかえできるNFT「sloth」、成長するNFT「marimo」などを手掛けている
「ガチの三流」がレイオフされない理由
牛尾さんは米マイクロソフトのAzure Functionチームに所属し、いわばクラウドサービス開発の最前線にいる。ところがそんな自分を「ガチの三流エンジニア」と評する。これは卑下しているわけでも、一流ばかりに囲まれて仕事をしているからそう思えるという話でもないという。
「偉そうな言い方をすれば、僕はエバンジェリストとしては才能があるんです。他の人にやってもらうのは超得意なんですよ。でも自分で何かをやろうとすると、てんでダメ。プログラムもそうだし、ギターを弾くのでもそうです。日本にいた時から自分で手を動かすプログラマーとしては通用しなかった。周りの人からも才能がないから止めた方がいいと言われていました」(牛尾さん)
そのように客観的に自己分析する牛尾さん。にもかかわらず、実際にはエンジニアとして自ら手を動かすキャリアを選んでいる。
「それはもう、子どもの頃からプログラマーになりたかったから。それが一番かっこいいと思っていたから。理屈ではないんです。残念ながら(一流の)力はなかったですけど」(牛尾さん)
米マイクロソフトともなれば、どんどん優秀なエンジニアが入ってくるはず。苦手なことに取り組んでいながら、それでも活躍し続けられているのはなぜか。牛尾さんの答えは明確だ。
「戦略、工夫。これに尽きます。僕は一流エンジニアが言うことを愚直に実行してきました。例えばクリスというメンターがいるのですが、彼はエンジニアとしてほんまに世界一流。何か困ったことがあったら必ず彼に相談します。するとアドバイスをくれるので、それをそのまま実行する。そうすると大抵のことはうまくいくんです」(牛尾さん)
苦手なことは自己流に走って「魔改造」せず、遠慮することなく一流の知恵を頼る。牛尾さんはそれを「一流のブレーン(脳みそ)を借りる」と表現する。
無駄嫌いな米国人でも、重要なこと“だけ”に注力できる人は少ない
「人の力を借りる」ことについて、けんすうさんは自身が新卒で入社したリクルートでの思い出を話した。
「リクルートでは新卒1年目であってもプロダクトの主担当を任せられ、1日に50回くらい『お前はどうしたいんだ?』と聞かれました。ぶっちゃけ『こうしたい』なんてものはなくても、聞かれ続けると『こうしたいんです』と言ってしまう。すると『じゃあやれ』『お前がやりたいって言ったんだろ』と詰められるわけですが(笑)」(けんすうさん)
「そうなると、否が応でも主体的にならざるを得ない。ただ、自分には経験がないので周りの優秀な先輩に聞きまくるしかなくて。結果として、人の力を借りて事を成していくことを1年目から学ぶ文化があったんだなと感じますね」(けんすうさん)
一方、牛尾さんは「一流エンジニアの脳みそを借りる」ことで具体的にはどんな戦略を実行してきたのか。いの一番にあげたのは「Be Lazy(怠惰であれ)」。要するに「物量で勝負するのではなく、重要なことにフォーカスしよう」という考え方だ。
「日本人は無駄なことが好き。一つのことにフォーカスするのが苦手です。優先順位をつけるまではいいんですが、上から順番に可能な限り全部やろうとする。対してアメリカ人は、文化的に面倒臭いことが嫌い。一番重要なこと『だけ』をやり、他の仕事はやらないのが米国でいう優先順位づけです。
ただ、そんなアメリカ人であっても最重要なこと『だけ』にフォーカスしきれる人は多くはありません。僕は一流に学ぶことで、最もインパクトの大きいことだけにフォーカスしている。だからプログラミングが遅くても、高い生産性を保つことができているんです」(牛尾さん)
一流は「理解に時間をかける」ことを恐れない
日本人は「試行錯誤」も好き。だが牛尾さんによれば、一流は「まずやってみる」ことをよしとしない。手を動かす前にしっかりと考える。基礎や物事の本質を理解するのに時間をかけることを恐れない。そこが分かっているかどうかで、その後の生産性が大きく変わってくるからだ。
「Azure functionはものすごく複雑なアーキテクチャをしています。その複雑なアーキテクチャを開発者向けに説明するビデオがマイクロサービスごとに用意されているんです。それぞれ1時間半とかなりのボリュームで、内容としてもすごく分かりにくい。でも、大学を卒業したての子たちがそれを理解して、ガンガンコードを書いている。できない自分からすると、なぜできるの? と思うくらいに」(牛尾さん)
ある時、2人の新卒エンジニアに「なぜできるのか?」と率直に聞いてみた。返ってきた答えに、牛尾さんは衝撃を受けたのだという。
「2人は『確かに難しいよね。だからビデオはそれぞれ10回くらいは見ているよ』と言ったんです。えっ? 10回!? と心底驚きました。なぜって僕は1回しか見ていなかったから。分からないものに時間をかけるより、コードにダイブした方がいい、そうすればいつか分かるようになるだろうと思っていました。でも、自分よりはるかに頭のいい彼らでさえ10回も見ていた。“あほにゃんにゃん”の僕が1回見ただけで分かるはずがなかったんです」(牛尾さん)
その後は彼らの真似をすることに。「そうしたらいい感じになった」と牛尾さん。理解には時間がかかる。だが、時間をかければ理解はできることが分かった。
「優秀な、若い人たちと比較して焦っても仕方がない。時間がかかっても自分なりに理解できるところまでやろうと思ったのがよかった。最初は時間がかかっても、一回理解してしまえばその後は楽です。いちいち考えなくて良くなるし、おかしなこともしなくなるから、問題が起きることも少なくなる」(牛尾さん)
けんすうさんも「日本だと『理解に時間をかける』より『早く行動に移す』ほうが評価されやすいので考える時間を削りがち。そこは盲点かもしれない」と共感する。
「空手や茶道など、伝統的スポーツでは型を習得した上で次のステップへ進むのに、仕事となるとなぜか『いきなり実践投入』する風潮は不思議です。
『理解に時間をかける』と『早く行動に移す』は相反するものではなく、表裏一体なんだと認識する必要があるのかもしれませんね」(けんすうさん)
アメリカの学生が即戦力なのはなぜか
先ほどの例のように、アメリカでは大卒新人がいきなり活躍する。「いきなり難しいコードを書いたりアーキテクチャを理解したりすることができる。しかもそれを自らリードしている。日本ではあまり見ない光景」だという。この違いはどこからくるのか。
牛尾さんが考える理由の一つは、持っている知識の違いだ。
「日本にいた時、自分は『勉強は社会に出ても役に立たない。大学は人生の夏休み。エンジョイしろ』と言われました。社会に出てみても実際にそうだった。でもアメリカでは違います。コンピューターサイエンスの知識は必須です。それなしでは就職さえできないし、アルゴリズムを組むことなどできないと考えられている。でも考えてみれば、当たり前ではないかと。イノベーティブなことをするのに知識がなくていいわけがない」(牛尾さん)
アメリカの学生が即戦力なのは、知識だけが理由ではない。「学生に限らず、そもそもの仕事のスタイルが違う」のだと牛尾さんは続ける。
「日本では、何をするかを決めるのはマネジャーで、残りの人は兵隊のようにそれを実行する。ところがアメリカでは、上から落ちてくる要求がフワッとしているんです。それをクラリファイする(=仕様を明確にする)のは各人の役割。設計する、実装する、運用するを全員がやる。1人の偉いアーキテクトがやるのではなく、その人自身がリードする。卒業したての新人でもそうです。誰も怖じ気付かない。そういうものだと思っている」(牛尾さん)
ただし、新卒社員に経験が足りないのは事実。1人ですべてをやり切ることはできない。だから自然と「人の脳みそを借りる」ことも学ぶのだという。そうしてなんとか食らいついて、1年目から難しいこと、日本であれば「とても新人には任せられない」ような仕事にも主体的に取り組む。それが日米の違いだと牛尾さんは言う。
文化は意外と簡単に変えられる
牛尾さんは今回の対談に臨むにあたり、けんすうさんの著書『物語思考』を熟読し、「魔改造せずに」そのまま実行してみたのだという。
『物語思考』は「自分がなりたいキャラを想定し、それになりきり、シミュレーションをすることで行動しやすくするためのハウツー本」。その内容に忠実に従ってやってみた結果、「しっかりとストラテジーを立てる方」を自認する牛尾さんでさえ新たな発見があった。
「メソッド、ノウハウ、マニュアルでうまくいくポイントは魔改造しないことだと再認識しました」(牛尾さん)
日本企業がうまくいかない原因もそこにあるという。何かと「魔改造」しがちで、メソッドもツールも生かしきれない。だから生産性を上げることができない。
「僕はもともとアジャイルとかDevOpsのコーチをやっていたのですが、クライアント企業の9割が『弊社は特殊なので』と言うんです。こちらからしたら、いやいや一緒ですよ、ザ・日本カンパニーですよという感じなんですけど。『日本文化だから』とかいろいろな理由をつけて魔改造しようとする。でもそれではうまくいかないんです」(牛尾さん)
けんすうさんも「アメリカではツールに人を合わせるけれど、日本だと人(業務)に合わせてツールを作ってくれとよく言われますよね。日本のSIerビジネスもその慣習が生んだ構造だと思います」と続ける。
「私の会社ではスクラムを導入する際、『正式なスクラムの手順から外れないように』専門家にコーチングしてもらい、徹底的に守る方針で進めました。魔改造すると遠回りになると思ったからです。
もちろん、基礎を徹底的になぞって3年くらい経ったあとに少し変える分にはいいと思うんです。ただ、スクラムが浸透してないうちにイジると間違える。だって基礎が分かってないんですから。改造するべき方向や意義を見失ってしまうはずです」(けんすうさん)
こうした文化の違いが障壁になるという日本企業の認識はある意味で正しい。なぜなら、アジャイルもDevOpsもアメリカの文化の中で生まれたものであり、それらは日本文化の上には成り立たないからだ。
ではどうすればいいのか。「日本文化をぶち壊す必要はない。ソフトウエアエンジニアリングに必要なところだけ西洋文化をインストールすればいい」のだと牛尾さんは言う。
「例えば先ほどのBe Lazy。物量ではなく、重要なことにフォーカスしてインパクトを出すのはいいことですよという考え方を経営と現場の双方にシェアしてあげる。それだけで結構変わるんです。これまでであれば『あいつ怠けやがって』となっていたところ『ああ、Be Lazyをやろうとしてるのか』となるので実行がものすごく楽になる。こうしてコンテキストを理解できれば、魔改造はしないで済むんです」(牛尾さん)
そして「文化は意外と簡単に変えられるものなのだ」と続ける牛尾さん。
「こんなにマイクロソフトの製品を使う日が来るとは思わなかったというソフトウエアエンジニアは多いのでは? 大丈夫。僕自身もそうでした。それもそのはず、マイクロソフトが今のような組織文化になったのは14年にサティア・ナデラがCEOになってから。文化や制度を徹底して変えていったから今がある。文化は変えられる。そのことはマイクロソフト自身が証明しているんです」(牛尾さん)
文/鈴木陸夫、撮影/赤松洋太