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年収550~800万円台の「転職上手」なエンジニアほど危うい時代に?【久松剛解説】

働き方

案件や給与、残業、勤務地に対する「あなたの希望を叶えます」と謳った、いわゆる“エンジニアファースト”な求人があふれていた時代に終止符が打たれようとしているーー。

そう警鐘を鳴らしたnote「エンジニアファーストを撤回したい企業の思惑」に反響が集まっている。執筆したのは、“流しのEM”として、複数企業の採用・組織・制度づくりに関わり、採用側と求職側の事情に精通している久松 剛さんだ。

今、業界で何が起こっているのか。久松さんに、エンジニアを取り巻く採用市場の変化と今後のキャリア戦略のあり方を聞いた。

プロフィール画像

博士(慶應SFC、IT)
合同会社エンジニアリングマネージメント社長
久松 剛さん(@makaibito

2000年より慶應義塾大学村井純教授に師事。動画転送、P2Pなどの基礎研究や受託開発に取り組みつつ大学教員を目指す。12年に予算都合で高学歴ワーキングプアとなり、ネットマーケティングに入社し、Omiai SRE・リクルーター・情シス部長などを担当。18年レバレジーズ入社。開発部長、レバテック技術顧問としてキャリアアドバイザー・エージェント教育を担当する。20年、LIGに参画。22年2月より独立。レンタルEMとして日系大手企業、自社サービス、SIer、スタートアップ、人材系事業会社といった複数企業の採用・組織づくり・制度づくりなどに関わる

様変わりするエンジニア転職市場

——久松さんのnoteを拝読しました。これまで企業側が比較的柔軟に受け入れてきたエンジニア側の希望や要望が一転、「わがまま」だとみなされる時代になりつつあるとのこと。今、エンジニアの転職市場では何が起こっているのでしょうか?

ついこの間まで、エンジニアの獲得競争は熾烈だったため企業は「迷ったら採用する」ケースが少なからずありました。

スタートアップ界隈だと、事業進捗を把握する一環で投資家と採用予定人数を握っているケースもあるため、投資家が紹介してくれる人材を進められるがまま採用をしていたりもしました。合意した採用人数を達成するために、プログラミングスクールから実務未経験層を採用し、配属先で“事故り”ながら育てる方式をとっていたりする会社も見受けられました。

人数に応じて売り上げが決まるSESや派遣だとさらに採用人数の目標値は高くなりますから、極端な話「誰でもいい」くらいの採用を行っていた企業もありました。つまり、エンジニアが気持ちよく働けますという建付けで「エンジニアファースト」を謳うことで一人でも多くのエンジニアを採用しようとした企業があったわけです。

それでどうなったかというと、「絶対リモートがいい」「フレックスじゃないと嫌」「地方在住だから月1出社も無理」と案件を断る利己的なエンジニアが出てきたわけです。結果、うまく事業や組織が回らず、エンジニアファーストを撤回したい企業が出てきたというのが現在です。

同時に、エンジニア採用数を競っていた外資IT企業や国内メガベンチャーはもちろん、VCから巨額の資金を集める気鋭のスタートアップも軒並み採用数を減らしており、採用基準が厳しくなってきています。

The Tech Layoff Tracker

昨年前半からMetaやGoogle、Microsoft、Amazonなどのビッグテック界隈が大規模なリストラやレイオフを行っている(The Tech Layoff Tracker)

——つい最近まで「日本を脱出して海外に活路を見出すべき」という話もありました。そうした活路も消えつつあるのでしょうか?

確かに国内経済を取り巻く厳しい環境や円安ドル高を踏まえ、日本を離れ海外で働くべきだと説く人が大勢いました。ですが私の知る限りでは、国内で採用をしている外資系企業の多くは採用要件がより厳しくなっています。加えて海外で外資系企業就職を目指して日本を飛び出して現地の大学に入学したのに、就職口どころかインターンすら受け付けてもらえず帰国を考えているという方も何名かご相談頂くようになりました。

日本がダメなら海外へ、というのも現時点ではなかなか通用しづらくなっているようです。

——採用市場の現況とエンジニアの認識にギャップがありそうですね。

久松剛 interview

端的に申し上げると、これまでエンジニアファーストを掲げていた企業のあまりの変貌ぶりにエンジニアの理解が追いついていないのだと思います。

エンジニア採用に積極的な企業の大半は、先に挙げたビッグテックと比較してしまうとどうしても給与水準の面では見劣りするのが事実ですが、それが現実です。

にもかかわらず、仕事を選びたがるエンジニアやフルリモートやフルフレックス、副業を認めよと要求する「利己的なエンジニア」は後を絶ちません。企業もマネタイズを強く迫られている背景もあり、内心ウンザリしているのでしょう。

しかしその現実を知らなかったり、現実を受け止めきれないエンジニア、特にこれまで好条件で転職を繰り返してきた人ほど、採用バブルが弾ける前の水準で企業が提示する給与や待遇を判断しがちです。それゆえ、どうしてもそれぞれの認識にギャップが生まれるわけです。

いい給与や待遇を得たいなら、それに見合う能力があることを明確に証明しなければ、転職で年収を上げるのが難しい時代になりつつあります。そういう意味でも、エンジニア採用バブルの背景にあった「エンジニアファースト」は終焉に向かっていると見ていいでしょう。

開発内製から外注へ回帰する動きも

ーーとはいえ、経産省によると2030年までに79万人ものエンジニア不足するのも事実です。「エンジニアファースト疲れ」を感じている企業はあっても、エンジニアファーストを「撤回」してしまったら、採用も立ち行かなくなるのではないでしょうか?

おっしゃる通り、エンジニア不足は長年の課題です。現在でもエンジニアを採用したい企業、より良い環境への転職を希望するエンジニアは少なくありません。

実際、エンジニアの有効求人倍率は12%から13%とまだまだ高い水準で推移していますが、ふたを開けてみると「いい人がいれば採用したい=いなければ採用しない」という温度感の低い求人案件も多くあります。グループ企業各社が同じ求人を重複して出しているケースも散見されます。有効求人倍率が必ずしも実態を表していない可能性があるのは否めません。

久松剛 interview

私は仕事柄、人材紹介会社さんが提出してくださる推薦書類を見る機会が多いのですが、最近はあらかじめ現年収から20%程度落とした金額で希望年収を出すエンジニアも増えています。

おそらく数年前の感覚で当初は強気の希望年収を提示したものの、何社からか低い額を提示されたのでしょう。給与や待遇を落としてまで転職したくないと考え現職残留を選ぶエンジニアも増えています。しかし、どうしても現職を退職したかったり、整理解雇が起きたりすると現職残留も厳しいため、現実を踏まえて減額提示を余儀なくされているエンジニアが多いのではないかと思います。

こうした人材に対し、エンジニアバブル下と同じ感覚で給与を増額提示する企業も少ないことから、「採用が原因で事業が立ち行かない」と喫緊で困っている企業ばかりではないことが伺えます。

——昨今話題の生成AIやノーコードツールの発展も「エンジニアファースト」離れを助長している面がありそうです。

現時点ではできることは限られているとはいえ、便利なローコード、ノーコードツールは増えていますし、GitHub CopilotやCode Llamaのようなコード生成に特化したAIが目覚ましい進歩を遂げつつあります。

こうしたツールが一定水準以上の精度でコードを吐き出すようになれば、コードを書くだけのエンジニアには厳しい状況になる可能性は否定できないでしょうね。一方で、事業責任者などのやりたいことをシステムに落としていく役割であるPjMや、エンジニアや生成AIが出力した結果を検証するQAの役割は残っていくと考えています。

——とはいえAIの活用やDXニーズは盛り上がりを見せており衰えを知りません。エンジニアを積極的に採用しない企業はどのような代替手段を選択するのでしょう?

事業会社であれば、自社採用にこだわらず開発を外注する企業が増えている印象です。

実際、私の周りでも開発の内製化を進めようとしていた企業のうちの何社かは、開発責任者と品質保証エンジニアだけを残し、開発実務をSIerに委託したり、M&Aなどによって事業や企業ごと買収してしまうケースもあったりします。

特に日本には厳しい解雇規制があるため、カルチャーフィットしないからといってエンジニアのクビを簡単に切ることができませんから、利己的なエンジニアを採用するリスクを冒すより品質に定評のある開発会社に外注したほうがいいというのは、ある意味でエンジニアファーストが限界に達した反動といえそうです。

——なるほど。改めてSIerが事業会社から期待を集めているわけですね。SIer自身の採用動向はどうでしょう?

事業会社と違って受託開発やエンジニア派遣を営む企業にとってエンジニアファーストな環境を整えるのは、コストではなく事業成長に直結する大切な投資です。

実際に事業を発展させるためにエンジニアを大切に育てているSIerは少なくないのですが、自社開発志向の若手エンジニア(新卒を除く)にはあまり人気がありません。受託開発は自社開発に劣るイメージが蔓延しているからです。こうした負のイメージが払拭されるまでにはまだ時間がかかるのではないでしょうか。

——数十年にわたり各方面で語られていた「SIer不要論」は、過去のものに?

SIer不要論の根底に流れていたのは「不確実性が高まる時代にウォーターフォール開発を前提としたSIerに未来はない」という論調だったと思います。

しかし、今伸びているSIerの多くは、アジャイル開発を標榜しており、プロダクトマネージャーを顧客のもとに送り込み、ぼんやりとした要望から要件や仕様をまとめ実装まで持ってけるようなSIerです。

旧態依然としたSIerではなく、こうした「かゆいところに手が届く」新しいタイプのSIerは、きっとこれから大きく伸びていくでしょう。

転職上手なエンジニアほど危うい時代に

久松剛 interview

——こうした状況下で、もっとも気を引き締めなければならないのは、どんなエンジニアでしょう?

経験の乏しいエンジニアを束ねて成果を出せるリーダーやマネージャークラスのエンジニアは、事業会社でもSIerでも一定のニーズはあります。

未経験からジュニアレベルの転職であれば、教育制度が整ったSIerへ転職する道はありますし、新卒採用に積極的な事業会社も少なからず存在します。

難しいのは、年収レンジでいうと550万円から800万円までの中間層のうち、エンジニア採用バブルに乗って実力以上の評価を受けてきたエンジニアです。実際、高い年収を得ている割にスキルが伴っていない方が少なからずいらっしゃるのが実情です。

——転職上手だったエンジニアほど楽観できないわけですね。今後エンジニアはどのようなキャリア戦略を取るべきでしょうか?

著名なIT企業は難しくても、国内事業会社のIT部門、国内大手傘下のジョイントベンチャーやスタートアップ、大手自動車メーカーなどのモノづくり企業での採用は堅調に推移しています。SIerについても同様です。もしこうした企業を転職先に選びたくないという先入観があるなら、一旦それを脇に置いて、冷静な視点で転職先を見極めるべきではないでしょうか。

その上で企業から求められるエンジニアになりたいのであれば、ビジネスへの理解力やプロジェクトマネジメント力など技術以外のスキルを磨くのを怠らず、自ら困難な仕事を取りにいくホスピタリティーを高めるべきです。こうしたエンジニアは自社サービスを手がける企業でもSIerでも高く評価されるでしょう。

——転職先にこだわりを持ちすぎると何かと問題がありそうですね。

先入観やこだわりが強すぎると、ご自身の可能性を狭めてしまうことはあるでしょう。もちろん高度な技術力や尖った専門性がこの先、不要になるわけではありませんが、求められるレベルは以前よりも高くなっています。

システムやソフトウェアの利用者に寄り添う気持ちや行動を持ち続けられれば、これまでのような恵まれた転職は厳しくても選択肢は広がるはずです。

最近、転職相談にこられるエンジニアの皆さんには、プロジェクトや部署異動によってある程度不満が解消されそうなのであれば、転職を急ぐべきではないと伝えています。むしろ、現職で自らの能力を証明してからのほうがいい転職ができる可能性が増すからです。

転職市場はこの1年で大きく様変わりしました。特にこれまで転職でいい経験をしてきたエンジニアほど注意すべきです。条件のいい会社がなかなか見つからないどころか、次の転職先すら決まらないといった不幸な事態を招かないためにも、状況をしっかり見極め、手堅い選択を重ねていただきたいですね。

取材・文/武田敏則(グレタケ) 編集/玉城智子(編集部)

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