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航空自衛官から情報セキュリティのエキスパートへ。武田圭史教授に学ぶキャリアの切り拓き方【連載:匠たちの視点】

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    優れた技術者たちは何を目指すのか?各社の「匠」の視点を覗こう

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    慶應義塾大学 環境情報学部教授 博士(政策・メディア)
    武田圭史氏

    1970年生まれ。防衛大学校理工学専攻電気工学教室に学び、1992年卒業。同年、防衛庁航空自衛隊に入隊し、航空警戒管制システムの運用をメインに情報システムやセキュリティ関連業務に携わる。2001年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。在学中に米ヴァンダービルト大学への留学を経験する。2002年にアクセンチュアのセキュリティ担当マネジャーに転身。以後カーネギーメロン大学客員教員、同日本校教授を歴任し、2009年より現職。専門分野はドローン、ITマネジメント、情報倫理
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    「プライバシー保護に関して言うと、今日本では一番弱い立場の人に立って保護をすべきという意見と、利便性と引き換えにある程度のリスクは許容しても構わないという意見がせめぎ合っている状況です。

    プライバシーに関する考え方は、個人の生き方や価値観に根ざしたものですから、万人に通用する正解はありません。セキュリティ対策についても同じことが言えます。すべての人に『正しさ』を押し付けるのではなく、必要とする人に必要な情報やノウハウが正しく届けられることが重要なんです」

    そう話すのは、慶應義塾大学環境情報学部で教鞭を取る武田圭史教授だ。

    武田教授は、インターネットの普及が本格化に始まった1990年代の後半、航空自衛隊から慶應大学大学院に進み、当時国内では類例がなかった侵入検知システムを独力で作り上げた経験を持つ。

    近年議論されることの増えたセキュリティ問題に、武田教授は“黎明期”から携わってきた

    近年議論されることの増えたセキュリティ問題に、武田教授は“黎明期”から携わってきた

    「慶應に入る前から、国内でもフロッピーディスク経由で感染が広がるタイプのウィルスが出回っていたので、防衛庁(現・防衛省)内にもセキュリティ対策の必要性を感じている人はいました。

    とはいえ、大部分の日本人にとってリアリティのある話ではありませんでした。ましてやネット接続したコンピュータにクラッカーが侵入したり、不正なプログラムを送り込まれたりするなんてことは、映画の中だけの話だと思われていました」

    しかし、海外の掲示板で繰り広げられる議論は、日本の状況とはまったく違っていた。

    「すでに、来るべきサイバー戦やそれに伴う組織防衛のあり方などが議論されていたんです。もし将来、日本でもそうした事態に直面するとしたら、自分に何ができるか。自衛官として関心を持たないわけにはいきませんでした」

    そこで彼は、知見を深めるため上司に大学進学を願い出る。進学先に選んだのは、創立間もない慶應大学大学院政策・メディア研究科。今日もSFC(湘南藤沢キャンパス)の名で通る同校は、当時からインターネット活用や情報技術研究で国内最先端を走っていたからだ。

    「入学してみると、授業はすべてメールやネットの活用が前提でしたし、新しい挑戦を奨励する校風でしたから、関心の赴くまま最先端の技術領域に首を突っ込んでいました」

    そんな彼にある日突然転機が訪れる。きっかけは、見知らぬ人物から届いた一通のメールだった。

    バラバラだった関心が「侵入検知システム」で一つにつながる

    オープンソースの不正侵入検出ソフトとして古くから知られる『Snort』

    オープンソースの不正侵入検出ソフトとして古くから知られる『Snort

    「ある時たまたま見つけたWebサイトのオーナーが、自分と似たような技術領域に関心を持っていたのでメールを送ってみたんです。すると、ほどなくして帰ってきた返信に、『今欧米の研究者たちの間で侵入検知システムに注目が集まっているが知っているか?』とありました」

    そのころ、彼の関心はセキュリティやネットワーク以外に、当時リリースされたばかりのJavaや人工知能、モバイルエージェント、データマイニング、データ分析といった領域にもおよんでいた。

    「彼によると、そのすべてが活かせるのが侵入検知システムだと言うんです。驚くと同時に非常に大きな可能性も感じました」

    調べてみると、日本で取り組んでいる人はほとんどおらず、侵入検知ソフトウエアのオープンソースプロジェクト『Snort』もすでに存在していた。が、まだ立ち上がったばかりで、完成度は今後の取り組み次第、ということも分かってきた。

    「それなら自分でも作れるんじゃないかと思って、挑戦してみることにしたんです」

    世間を騒がせたネット事件後の対応にも活かされた研究成果

    研究の成果が意外なところで活かされたこともあった。2000年1月から2月にかけて、20を超える省庁関連のWebサイトが何者かによって書き換えられた『中央官庁Webサイト改ざん事件』の事後対策だ。

    「当時は航空自衛隊に籍があったため、大学院で学んだことを職場のセキュリティ対策に活かす機会がたびたびあったんです。防衛庁に公式Webサイトがなかった当時、防衛大学校のサイト内に自衛隊の紹介コーナーを作らせてもらったり、侵入検知システムの導入をさせてもらったりもしていました。今ではちょっと考えられないことですね(笑)。幸い、防衛庁のサイトが改ざんされることはなかったのですが、念のためデータを調べると、不審なアクセス記録が多数見つかりました」

    残されたデータは、貴重な資料としてその後の事件捜査や政策決定にも活かされることになる。彼の好奇心が、期せずして政官界に情報セキュリティへの認識を高める効果を生み出したわけだ。

    「この事件をきっかけに、情報セキュリティに対する周囲の関心が大きく変わったように感じます。同時に情報セキュリティが世の中の役に立つことが実感できた初めての経験でもありましたね」

    新しい情報や面白い人たちが集まる場に出かけてみよう

    その後、アメリカ留学を経て博士課程を修了。

    その翌年には航空自衛隊から民間企業であるアクセンチュアへ移り、ビジネスの現状や企業における情報セキュリティの実情を知ることになる。

    航空自衛隊からアクセンチュアへの転身という、一風変わった経歴を持つ武田教授

    航空自衛隊からアクセンチュアへの転身という、一風変わった経歴を持つ武田教授

    官民双方の現場に身を置くことで情報セキュリティに対する思索も深まり、それがやがてカーネギーメロン大学や慶應義塾大学への招聘にもつながった。

    「私自身は、自分がこうと決めた信念にしたがって脇目もふらずに突き進むタイプではありません。むしろ面白そうだと思うことに直感的に飛び付くタイプです。侵入検知システムも、それぞれ別の面白さを感じていた技術が、たまたま活かせる領域だったから興味を持ったのが始まりでした。自分で決めた枠にとらわれていたら、今のような形で研究を続けてはいなかったかもしれませんね」

    ITのライフサイクルは思いのほか短い。一つの領域にのめり込み過ぎれば、時代から取り残される可能性もある。

    そうしたリスクを回避するには「新しい情報や面白い取り組みをしている人が集まる場に自分の身を晒すことが大事」だと武田教授は言う。

    「それが私にとっては大学や企業での活動でした。今なら勉強会を主催したり、ブログやSNSで情報発信したりするだけでも、面白い人と出会う機会はきっと増えると思います。もし現状に行き詰まりを感じたら、自分で動いてみることをお勧めしたいですね」

    デジタルネイティブがネットを新たな次元に引き上げる

    後進育成に話がおよぶと、自然と笑みがこぼれる

    後進育成に話がおよぶと、自然と笑みがこぼれる

    冒頭に紹介した武田教授の言葉にもあるように、プライバシーに対する考え方は人の生き方や価値観によって実にさまざまだ。

    社会全体で個人情報の利活用によって生じる利便性と危険性を共有し、一定のコンセンサスが醸成されるまでは、これからも多くの紆余曲折があるだろう。

    「専門家から、使いものにならないと酷評されていた技術が爆発的に普及することもあれば、期待されていたにもかかわらず一向に広がる気配も見せず廃れていく技術もあります。どんな事柄でも、予め想定していた通りに進むことは稀であり、実際に使ってみなければ分からないことは少なくありません。

    ですから、これからイノベーションを起こしたい技術者にアドバイスをするとしたら、まずは自分が社会に対してどんな価値を与えたいのか、具体化することから始めるべきだと思います。そうした土台があって初めて必要セキュリティ対策が峻別できるからです。このアプローチが逆になってしまっては本末転倒。社会に良い影響を残すことはできません。失敗を過度に恐れず挑戦してほしいですね」

    もちろん若い世代には大きな期待を寄せている。

    「今、大学に入ってくる学生たちは、いわゆるデジタルネイティブ世代です。入学前に起業経験があったり、サービス開発経験があったりする子たちも少なくありません。彼らもまたかつて私たちがそうであったように、上の世代が作り上げた世界に大きな不満を抱いています。

    ただ、それを実現する過程では、若さゆえの失敗もあるでしょうが、大人たちが正しい方向に導いてやることはできるはずです。私は彼らのようなデジタルネイティブが、インターネットを新たな次元に引き上げてくれると信じています」

    イノベーションには試行錯誤が付きものだ。それをどこまで許容できるか。今、日本社会は自らの成熟度を試されているのかもしれない。

    取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

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