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現役大学生ら3人が開発した、「普通の家電」をスマート家電にするデバイス『Pluto』がすごい

働き方

    NEXTユニコーン企業で働くエンジニアたちに体当たり取材!NEOジェネレーションなスタートアップで働く技術者たちの、「挑戦」と「成長」ヒストリーをご紹介します

    今回話を聞いたのは、家にある家電を「スマート家電」に変えてしまう『Pluto』を製作・販売するPlutoの3人。いかにして彼らは、自宅のLANをつなぐだけでただの家電をスマート家電に早変わりさせる仕組みを実現したのか? その歩みをひも解いてみよう。

    株式会社Pluto
    (左)取締役 金田賢哉氏
    (中)代表取締役 業天亮人氏
    (右)取締役 市東拓郎氏

    2013年1月27日、産経新聞は経済産業省がスマートフォンによる家電の遠隔操作に関する規制を緩和する方針を固めたと報じた。

    この規制緩和を期に、ネットとリンクして遠隔操作が可能になる「スマート家電」は増加していくだろう。そんな、家電スマート化を推し進める急先鋒といえるのが『Pluto』だ。

    Plutoとは、2012年11月より発売が開始された、たった1万2800円(税込み)でリモコン制御の家電を「スマート家電」に変えてしまう手乗りサイズのリモコンステーション、およびスマート家電化サービスのこと。

    ステーションを家のルータや有線LANとつなぎ、スマホからWebアプリにアクセスするだけで、家中の家電をスマホ経由でコントロールすることができる。例えば、外出先から帰宅前にエアコンをオンにしておくなどが可能になる。

    データベースに登録されていない家電でも、手持ちのリモコンボタンをステーションに向けて押せば、その赤外線信号がPlutoのクラウドサーバに自動でアップロードされるため、家電を選ばず利用可能なのが特徴だ*。
    *一部設定を読み込めない赤外線リモコンもあり

    アイデアの出発点:iPhoneを見て「これは良いリモコンになる」

    現在、東京大学工学部精密工学科に籍を置くPluto代表取締役の業天亮人氏。同氏が東大の学園祭用に、Plutoの原形となるリモコンステーションを自作したのは2010年4 月のことだ。

    「学園祭以前から『インターネットを利用したネット家電』には興味がありました。でも、機能を組込むために何十万もする家電に買い換えるなんて現実的じゃない。ネットと家電をつないで、飛躍的に利便性を向上させるための技術はあるのに、一般には広まらない状況をもどかしく感じていました」(業天氏)

    「スマホ家電」という言葉がまだなかった当時、インターネットとつながった家電は「ネット家電」と呼ばれ、10年ほど前から注目されてはいた。しかし、現在ほどブロードバンドが浸透していなかったことや、操作に適した端末がなかったことから、普及しなかったのは周知の通り。

    「高校生のころからネット家電に興味があった」と話す業天氏。iPhoneとの出会いが、夢を現実にするきっかけとなった

    業天氏自身、高校生のころからネット家電に興味はあったものの、リモコン操作を一括操作するのに適した端末がないため、なかなか開発には至らなかった。しかし、2008年に状況は一変する。日本でiPhone 3Gの発売が開始されたのだ。

    「iPhoneを見たとき、真っ先に思ったのが、『これはリモコンになる!』ということでした。それから学園祭をきっかけに、実際に作り始めるまで約2年の歳月が過ぎてはいますが……(笑)」(業天氏)

    ただ、作り始めてからは早かった。学園祭用にデモ機を作るのに要した期間は若干1カ月。それだけの短い期間で回路図を書いて基板からデモ機を作り、操作のためのiOSアプリの開発まで行ったというのだから、東大生の実力、ここに極まれりといったところだろうか。

    業天氏が回路図を描いてiOSアプリを開発し、2人の友人にはんだ付けやデバッグを手伝ってもらい、何とか学園祭の展示までに完成。デモをしたところ、これが大盛況だったという。

    「昔から自分が『これはいい!』と思うものに出合うと、人に紹介したくなるんです。デモで自信を付け、例によって『こんな便利なものはもっと普及させなければならない!』と考え、量産を決意しました。当時は『まあ、半年やったらできるでしょ』くらいに考えていたんですが……。現実はそう甘くはありませんでした」(業天氏)

    リモコンステーションの実物。手のひらにのるサイズで、重さはたったの322gしかない。興味があれば、Amazonから購入することが可能だ

    製品版を作る場合、内部に熱がこもらないように流体力学の計算が必要だったり、どんなネットワークでも作動するようにしなければならなかったりと、業天氏1人の手に余る課題が山積みだったのだ。

    そこで、大学でお世話になっていた先生に相談したところ、紹介されたのが、東大大学院の工学系研究科で航空宇宙学を専攻する金田賢哉氏と、電気通信大学大学院で情報ネットワークシステム学を専攻する市東拓郎氏だった。

    金田氏、市東氏とも、「同じようなリモコンステーションを自宅用に自作していた」こともあって、3人は意気投合。ここにPluto開発陣が集結した。

    開発のポイント:動作テストのため自宅に「小インターネット」を構築

    Plutoの開発時、こだわってきたポイントについて、業天氏は「購入の手軽さと導入(設定)の手軽さ」と答える。

    「そもそものきっかけに『普及させたい!』という思いがありますから、Plutoは一般の人でも手の届きやすい価格で販売しなければ意味がない。1万2800円という価格は、採算性と購入しやすさを天秤にかけた、ギリギリのラインです。この価格で家中の家電がそのままスマート家電になるのであれば、決して高くない買い物だと思いますよ」(業天氏)

    アーキテクト的な立ち位置でPlutoの展開や拡張性について語る金田氏。「家電と”友だち”になる」のがこれからの目標だという

    「最近のクラウドサーバは『ユーザーの増加にどれだけ対応できるか?』に主眼が置かれています。しかし、Plutoで重要なのは『導入(設定)の手軽さ』。早さを求め、OS(Linux)とWebサーバ(Apache)のいらないところはできるだけ切り捨て、必要なところはできるだけ“尖らせて”きました」(金田氏)

    アーキテクト的な立ち位置で、Plutoが今後目指すカタチや拡張性についての“絵”を描き、機能の選択と集中を行う金田氏の言葉に、ネットワークシステム担当の市東氏もうなずきながら続ける。

    「ネットワークに関しても、『導入(設定)の手軽さ』にこだわっているのは同じ。ステーションにLANを挿して電源アダプタをつなぐだけで、どんな家でもすぐに使うことができるよう試行錯誤を繰り返しました」(市東氏)

    とはいえ、インターネットのネットワーク構成は、プロバイダやモデムなどによって千差万別。そこで市東氏が取ったのは、力業ともいえる方法だった。

    「インターネット・プロトコル技術を利用して、相互接続によるコンピュータネットワークを構築……要は自宅に『インターネットの縮図』を作ったのです。自宅内にインターネットがあれば、あらゆる組み合わせを再現し、テストすることができますから」(市東氏)

    「おかげで自宅は大量のLANケーブルであふれかえっている」と笑う市東氏。ついには「LANを挿すだけ」で自動的にネットワークが立ち上がる仕組みを実現してしまった。

    「反応性」を重視し、当初はアセンブラやマシン語のみで開発

    学生ベンチャーならではの苦労話もある。

    「最初のころは全然お金がなくてコンパイラを買えず、アセンブラとかマシン語で書いていました」と市東氏。

    マシン語への思い入れを語る市東氏。ネットワークシステムのスペシャリストである一方、実は専門が量子物理学だという猛者だ

    「これはお金だけの問題ではなく、マシン語で書いた方がCで書くよりも実行速度が見積もれるし、処理速度も上げられるという面もあったのは確かです。前述の通り、ボタンを押したらすぐ起動する、という『反応性』には気を遣っていたので、あえて使わなかったところもあります。今はCコンパイラの気持ちがだんだん分かってきて、『だいたい反応速度はこれくらいになるだろう』と予想しながら書いています」(市東氏)

    近年増加している学生ベンチャーのほとんどは、Web上、あるいはPCやスマホといった端末内で完結する「ソフトウエア型サービス」だ。

    一方Plutoは、据え置き型のハード、制御系システム、ネットワーク構築、コントロール用のスマホ用Webアプリまで、あらゆる種類の技術を総動員して作られている。それゆえに、初期コストが低いソフトウエア型サービスに比べ、資金繰りが苦しくなるのは時間の問題だった。

    「プログラムを書いたり、基盤を作ったりといった作業は大してお金がかからないんです。ただ、製品を作るとなると、工場で大量生産しなければならない。そのための金型を作るには、けっこうな費用が掛かります。会社を設立したのは、資金調達のためでもありました」(業天氏)

    2011年12月、3人は株式会社Plutoを設立。Plutoの商品化に向けて大きな一歩を踏み出した。

    「プログラミングできて当たり前」な世代はお年玉でコンパイラを買う

    取材を通して感じるのは、大手メーカーが数十人体制で作っていてもおかしくないような製品を、20代の若者がたった3人で作り出してしまった技術力の高さだ。

    彼らはこれほどの技術力をいかにして身に付けてきたのか?

    「小学校のころから電子工作が趣味だった」と話すのは市東氏。そのため、最初に覚えたのは低級言語だった。

    学生の身でありながら、家電メーカーにもできなかった製品を作ってしまった3人。技術と情熱があれば、たいていのものが作れてしまう時代になってきている

    「電子工作の趣味が高じて自分でプログラムを書くようになりました。だから今でもC言語みたいな高級言語よりも低級言語が得意なんです。例によって小学校の時はコンパイラを買うお金がなく、マシン語しか知りませんでした。中学校の時にお年玉でVisual Basicを買ったのが初めてのコンパイラ購入経験です」(市東氏)

    「僕も中学生のころから趣味でプログラミングを始めていました。よく市東とも話すのですが、僕らの世代にとっては、子供のころから電子工作やプログラミングが当たり前なんです」(金田氏)

    「僕は彼らとは違って小・中学生からプログラミングをしていたわけではないので、『子供のころからやっているのが当たり前』とは思いませんが(笑)、それでも一昔前だと個人レベルでは難しかったモノづくりのための環境が飛躍的に充実していると感じます」(業天氏)

    技術とやる気さえあればWebサービスが作れることは、多くのスタートアップが証明した。さらにPlutoは、技術的に補完しあえるチームと一定の資金があれば、ハードウエアまで作れてしまうことを体現した。

    「MAKERS時代」のおとずれを感じさせるPluto。今後、家電市場にどう食い込んでいくのか楽しみだ。

    取材・文/桜井祐(東京ピストル) 撮影/竹井俊晴

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