優れた技術者たちは何を目指すのか?各社の「匠」の視点を覗こう
『宇宙兄弟』を地で行く男が、HAKUTOで民間初の月面探査に挑む理由【連載:匠たちの視点-袴田武史】
1979年生まれ。名古屋大学工学部を卒業後、米ジョージア工科大学大学院に進学。航空宇宙システムの概念設計で修士号(Aerospace Engineering)を取得。帰国後、コンサルティング会社に入社。2010年『Google Lunar XPRIZE』への参加を目的に設立された『White Label Space』にボランティアとして参加。当初日欧混成チームとして活動したが、2013年欧州チームの撤退を受け、組織を日本単独の『HAKUTO』に改組。運営母体であるispace社を設立し、代表に就任する
《2015年12月31日までに月面へ無人探査機を着陸させ、500m以上移動し、規定の高解像度画像・動画を地球に向けて送信せよ。ただし政府の力を借りることなく》
民間初の無人月面探査を競う『Google Lunar XPRIZE』(以下GLXP)に課せられた達成条件の概略だ。
2009年9月、XPRIZE財団からの呼びかけに応えたのは33チーム。エントリー締め切りから3年余りの時を経て、現在も活動しているのは18チームのみ(2013年3月時点)となったが、歴史に名を刻む栄誉と総額4000万ドルにのぼる賞金を巡って、今日も世界各地で熾烈な競争が続いている。
この賞レースに日本から唯一参加しているのが、元経営コンサルタントの袴田武史が率いる『HAKUTO』(白うさぎの意)だ。
冒頭に紹介したミッションの達成条件を見れば分かるように、『GLXP』の栄冠を勝ち取るためには、打ち上げ用のロケットの調達はもちろん、月面着陸船の「ランダー」と月面探査車の「ローバー」を用意しなければならない。
だが、このすべてを1チームが自前でまかなうとなれば、100億円オーダーの資金が必要になる。そのため『HAKUTO』チームはプロジェクトの実現性を高めるため、ロケットとランダーを他チームとの相乗りや民生品の活用を進め、事業予算を10億から30億円程度にまで抑え込もうとしている。
開発陣の指揮を執るのは、小惑星イトカワから土壌サンプルを持ち帰った『はやぶさ』や、雷雲上に発生する発光現象をとらえるため打ち上げられたスプライト観測衛星『雷神』、『雷神2』の開発に携わった、東北大学大学院航空宇宙工学専攻の吉田和哉教授。袴田はチームリーダーとして、資金調達やプロジェクト運営面から『HAKUTO』を支えている。
留学先で確信した宇宙開発の可能性と、自分が進むべき道
「カッコイイ宇宙船が飛び交う『スターウォーズ』に夢中になったのは小学生の時。あの世界をいつか自分の手で実現するのが夢でした。小学校、中学校時代の成績は常に真ん中くらいで、得意科目は理科と社会。主要3教科が不得意な子どもでした。本格的に勉強するようになったのは高校受験からでしたね」
きっかけは、TVで見た『IDCロボットコンテスト』(※1)に出場していた東京工業大学にあこがれを抱いたからと言う。
「その後、実際に東工大を3回受験しましたが、残念ながら受かることはできませんでした。それで上智大学理工学部に入ることにしたのですが、ここには航空宇宙学を学べる学科がありません。なので、4年間は適当に遊んで、航空宇宙学を学ぶのは大学院に行ってからでいいやと思っていたんですが……」
しかし、数カ月後その考えを改める。高校、予備校が同じだったかつての同級生が別の大学で航空宇宙学を学んでいることが、どうしても頭を離れなかったからだ。
「遊んでばかりいて、好きなことに打ち込んでいる奴に勝てるはずはありません。それに4年後どうなるかなんて分かりませんしね。だから、もう一度挑戦しようと思い直したんです」
袴田は、翌年再び大学受験に挑み名古屋大学工学部に合格する。念願通り約170名の希望者の中、30名ほどしか許されない航空宇宙工学コースへの進学も叶い、卒業後はアメリカのジョージア工科大学大学院への留学も果たす。
「日本の大学で航空宇宙工学を学んで感じたのは、研究自体は最先端かもしれませんが、ものすごく細分化され過ぎているということでした。それで全体を見渡せそうな航空宇宙システムの概念設計を学ぼうとアメリカに渡ることにしたんです。でも向こうに行って学び始めると、必ずしも自分がエンジニアとして宇宙開発に携わらなくてもいいのではないかと思うようになりました」
子どものころからの夢を捨てようと思ったわけではない。むしろその逆だった。
「2005年のある日、大学の構内で民間初の有人弾道宇宙飛行を競う『Ansari X Prize』で優勝した『SpaceShipOne』のパイロットが講演会を開くというので足を運びました。そこで感じたのは、会場を包む異様な熱気。そして、民間でも宇宙開発にチャレンジできるという確信でした」
この日を境に自分が進むべき道も以前より明確になった。巨額な資金を必要とする宇宙開発を民間の手で実現するには、効果的なPR活動や大胆なコスト削減は不可欠。ならば、その不可欠な役割を担ってやろうと考えたのだ。
「以前から経済学にも興味がありましたし、自分がエンジニアになるのではなく、エンジニアが効率的に働ける場を作ることを自分の仕事にしようと考えたわけです。それで帰国後、さまざまな業界のコスト削減手法を身に付けるつもりで、コスト戦略を専門とするコンサルティング会社に就職しました。当時はここでしばらく経験を積んで、30代後半で夢を叶えられたらいいなと思っていたんですが、人生はなかなか思い通りにいきませんね」(笑)
入社から3年目の2009年の夏、袴田のもとに知人を介して思いもよらぬ知らせが舞い込んできたのだ。
(※1)『IDCロボットコンテスト』
1990年から毎年開催されている『IDCロボットコンテスト大学国際交流大会(International Design Contest)』は、世界中から集った大学生同士が1つのチームを結成し、2週間、寝食を共にしながらロボットを制作し競技に挑むインターナショナルなロボットコンテストだ。
不意にヨーロッパから届いたGoogle Lunar X PRIZEへの誘い
思いもよらぬ知らせというのは、『GLXP』にエントリーしていた『White Label Space』というヨーロッパのチームからの打診だった。
「彼らが持ちかけてきたのは、ヨーロッパ側でロケットの調達とランダーの開発を担当するので、東北大学の吉田教授にはローバー開発を、わたしには資金調達と組織運営を担当してくれないかという内容でした。でもフタを開けてみると、想定事業予算が50億円もかかる壮大なプラン。夢が一歩近づいたと思う反面、実現性は薄そうだと感じて、半年ほど受けるべきか断るべきかで悩み続けましたね」
このオファーがあったのは、奇しくもリーマン・ショックの翌年。不況の余韻が色濃く残る時期だっただけに悩むのも無理がなかった。だが、打診から半年後の2010年1月、ヨーロッパから主要メンバーが来日したことで事態が動く。
彼らの要望で行った講演イベントの手伝いを買って出ていた袴田は、その夜初めてヨーロッパから来たメンバーと吉田教授を交え、朝まで酒を酌み交わした。
袴田が腹を決めたのはその時だ。
「話しているうちに盛り上がって、まずはボランティアとしてローバー開発をかかわろうということになりました。フィージビリティ・スタディ(実行可能性調査)を行うところから始め、ボランティアメンバーを集め合同会社を設立したり、クラウドファウンディングの活用や企業の広告スポンサー集めの方などを検討したりしながら、徐々にプロジェクトとしての体裁を整えていったんです」
現在プロジェクトにかかわるメンバーの数は、東京の恵比寿にあるラボと東北大学宇宙ロボット研究室に拠点を置く開発チームのメンバーを合わせると総勢30名ほど。
昨年、プロジェクトの母体であったヨーロッパチームが活動休止を表明するという波乱もあったが、運営母体であり、出資の受け皿になる株式会社の設立や、開発プロセス、投資スキームの見直しなどを経て、プロジェクト名も『HAKUTO』に変更。
名実ともに日本単独チームへシフトすることで事態の打開を図った。
「2015年末までもう2年を切りました。技術的な課題は大方解決しているので、あとはローバーを宇宙仕様に近づけることと、調達資金を確実に積み上げることが重要になってくるでしょうね」
点と点はいつか必ずつながる。夢を実現する方法は一つではない
先月、プロジェクトメンバーにうれしい知らせが届いた。
現在開発中の4輪(開発名:MOONRAKER)と2輪(同:TETRIS)からなるデュアルローバーが、『GLXP』が設定した『中間賞』(※2)のファイナリストに名を連ねたのだ。
「現在は、9月末までに、中間賞受賞の要件を満たしていることを証明するため、吉田先生たちがプレフライトモデルの開発に着手しています。わたしたちの強みは、衛星開発で数多くの経験と知見をお持ちの吉田先生がいること。はやく『HAKUTO』の実力を証明したいと思っています」
『スターウォーズ』の世界にあこがれた少年の夢は、今少しずつ形を整え夢の実現へ向けて歩んでいるように見える。チャンスを惹きつける秘訣はどこにあったのだろう?
「自分では夢の定義を広くとらえたことで、チャンスをつかむ確率が高まったと思っています。仮に宇宙船を開発するエンジニアになることに固執していたら、きっと今のような立場でプロジェクトにかかわることもなかったでしょう。
わたしの夢はエンジニアになることではなく、その先にある宇宙船が飛び交う世界を作ることにあります。それはエンジニアでなければできない仕事ではありません。スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行った有名なスピーチにこんな一節があります。
『未来を見通して点と点をつなぐことはできない。でも後から振り返ってそれぞれをつなぐことはできる。だからいつか点と点が必ずつながると信じるべきだ』。
わたしにとっての点は、子供時代の夢であり、航空宇宙へのあこがれ、そして『GLXP』との出会いでした。それらをつなぐことができたからこそ今の自分があるのだと思います」
点の1つひとつに個人の努力や思いが宿るのは言うまでもない。だがその1点のみに執着していては、チャンスの糸口をつかむことはおぼつかなくなる。
結局のところ、どの点とどの点が結びつくかは誰にも分からないからだ。
将来の夢を語る時は、控えめながら常に笑顔を浮かべる
「夢を達成する方法は1つだけではないですし、立場や役割は目標や夢を達成するための手段に過ぎません。もし本気で実現したい夢があるなら、手段ではなくその先にある目標にこだわるべきだと思います。それができれば、夢を実現する確率はグッと上がるはずです。
わたしは『HAKUTO』の成功の先に、宇宙船が飛び交う世界があると確信しています。その時、自分がどんな立場でかかわっているかはわかりませんが、おそらく50年以内には達成できるでしょう。それまで長生きしないといけないですね(笑)」
『GLXP』の優勝に向かってまい進する袴田の脳裏には、今も10代の頃に思い描いたビジョンが色褪せずに焼き付いている。それがいつどのような形で実現するかは誰にも分からない。
しかし、点と点は必ずつながる。その日が一日も早く訪れることを願うばかりだ。
(※2)『中間賞』
XPRIZE財団とGoogleが発表した中間賞は、開発を進めているチームを経済的にサポートし、更なる投資や認知を上げることを目的に設定された賞。2014年9月末までに性能要求を満たしていることを証明できれば、部門ごとに25万ドルから100万ドルまでの賞金が支給される。応募は2013年11月に締め切られ、2014年2月19日(太平洋標準時)に、各部門のファイナリストが公表された。
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴
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