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シリコンバレーから帰ってきた僕がSansanのCTOになった理由

働き方

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    Sansan株式会社 CTO
    藤倉成太さん(@sigemoto)

    株式会社オージス総研に入社し、ミドルウエア製品の導入コンサルティング業務に従事。赴任先の米国・シリコンバレーで現地ベンチャー企業との共同開発事業に携わる。帰国後は開発ツールやプロセスの技術開発に従事する傍ら、金沢工業大学大学院(現・KIT虎ノ門大学院)で経営やビジネスを学び、同大学院工学研究科知的創造システム専攻を修了。2009年にSansan株式会社へ入社し、クラウド名刺管理サービス「Sansan」の開発に携わった後、開発部長に就任。16年からはプロダクトマネジャーを兼務。18年、CTOに就任し、全社の技術戦略を指揮する

    みなさんはじめまして。
    Sansan株式会社でCTOをしている藤倉です。

    この度、エンジニアtypeで連載をさせていただくことになりました。この連載では、ソフトウェアエンジニアとして働くことをテーマに書いていきたいと思っています。自分のキャリアを振り返ったり、日々の採用活動で感じることなど、思いつくままに書く予定です。

    今回は連載の一回目なので、まずは私のキャリアを紹介します。

    就職活動

    唐突ですが私、小さい頃から機械をいじるのが好きでした。ロボットに憧れて、大学では精密機械工学科に入り、ハードウェアエンジニアになることを夢見ていました。

    1998年に学部3年生であった私は就職活動を始めます。もちろんハードウェアエンジニアになるために。いくつかの会社から内定をいただくことができました。内定をいただいたときには非常に興奮したことを覚えています。そして、いよいよ会社を決める段になります。しかし、どういう基準で決めてよいのかさっぱり分かりません。そこで、先輩エンジニアの方々がどんな風に働いているのかを見学させてもらうことにしたのでした。

    内定をいただいていた会社が大きな優良企業だったこともあってか、みなさんきちんとした雰囲気です。服装もスーツの方が多い。なんだか違うと思い始めました。そこで働いている自分の姿が想像できなかったのです。このまま、今の選択肢の中で決めてしまって良いのだろうか。悩みます。小さな頃から憧れていたハードウェアの仕事ができる。しっかりとした会社の中でやっていけそう。理屈で考えれば、その中から決めるべきです。

    そのとき、小学校5年生の頃にMSXを買ってもらって、毎日BASICでプログラムを書いて遊んでいたことを思いだしました。ふと、ソフトウェアエンジニアも選択肢に入れてみようと思い、調べてみたのです。確か、何かの書籍だったと思いますが、シリコンバレーという地域がソフトウェアエンジニアの聖地であるとして紹介されていました。それを見た瞬間、正体不明の衝撃が私の中で走りました。

    この場所で働いてみたい!

    それからというもの、毎晩、シリコンバレーで働いている自分の姿を妄想し続けました。それまでの会社選びの悩みは吹っ飛び、ソフトウェアエンジニアとしての就職活動をやり直すことにしました。

    現地の会社に直接応募する勇気も実力もなかった私は、日本の会社でシリコンバレーにいける可能性のある会社を調べました。その中で、会社としても魅力的だった最初の会社に入ることになります。

    シリコンバレー

    入社から4年目、なんと念願が叶います。2002年の春にシリコンバレーにある子会社に出向することになるのです。

    シリコンバレーでは、日本のSI事業の武器となるような、魅力的な製品や技術を見つけるというミッションが与えられました。リサーチをしたり、現地のベンチャー企業との共同研究や開発を通じて、良いものがあれば日本に紹介するという仕事です。

    オープンソースプロダクトのコミッターをしたり、新しい通信プロトコルの標準仕様を作るワーキンググループに参加したり、カンファレンスで登壇したりと、多くのことを経験しました。本当に優秀なエンジニアの方々と一緒に仕事をすることができ、技術的な学びもたくさんありました。そんな中で、その後の私のキャリアに大きく影響を与えてくれたのは、ベンチャー企業とのプロダクト開発でした。

    一緒に働くエンジニア達は、自分たちのプロダクトが世界を変えることになるんだと力説します。一緒にお酒を飲めば、いつでも目を輝かせてその話になるのです。彼らと働いているうちに、そんな風に生き生きとコードを書く姿に憧れるようになりました。

    彼らのように世界中に影響を与えるものづくりがしたい。

    アメリカの生活では、日本のソフトウェアプロダクトやサービスに触れる機会が全くありませんでした。日本にだって優秀なエンジニアがたくさんいるのに。プロダクトを作るのならば、日本発のプロダクトが世界で勝負できることを証明したいと思うようになっていました。

    Sansanとの出会い

    2008年の春。日本に帰国した際に、創業1年のSansanに出会います。

    名刺管理のWebサービスというのが、最初はピンときませんでした。よくよく話を聞いてみると、Sansanがやろうとしているのは、ビジネスにおける出会いの再発明のようなもの。紙である名刺の管理は世界中の誰に聞いても煩わしいものです。それを正確にデータ化してくれるサービスがあれば、使われない理由はない。それが世界中で使われるようになれば、世の中のビジネスパーソンの繋がりや、その人たちの経歴がデータとして可視化される。そうなったら、これまでになかった何かが生み出されるはずだと。

    シリコンバレー時代の経験からも、国外でも多くの名刺が使われていることは知っていました。もしかしたら、これは世界に通用するサービスになるかもしれない。可能性を感じました。そして私は、Sansanの6番目のエンジニアとして入社します。

    入社当時はまだ市場と言えるものは何もなく、毎日が手探りの開発でした。どんな機能があれば使ってもらえるのか、ユーザの不満はどこにあるのか。マーケティングチームや営業、コンサルティングチームのメンバーと一丸となって、目の前のお客様の声に耳を傾けながら、自分たちが作るべき世界を実現するために機能開発を進めていました。

    そして事業が少しずつ成長していきます。それと同時にエンジニアも集まり、チームになっていきました。機能開発を優先していた状況も変化し、運用基盤の強化や、技術的な取り組みもできるようになっていきました。また、創業期から開発していたSansanに加えて、個人向けの名刺アプリである『Eight』をローンチして、新しいユーザ体験の提供にも乗り出しました。

    当初はおぼろげにしか捉えられなかったミッションですが、徐々にクリアになってきていると感じます。「出会いからイノベーションを生み出す」というミッション実現のためのピースを揃えるべく、新規サービスも順次リリースしています。

    世界中に影響を与えるプロダクトを作るという目標には、残念ながらまだまだ遠いです。チーム作りや技術開発、海外市場への対応など、やるべきことはたくさんあります。

    連載に向けて

    エンジニアになったからにはすごいものを作りたい。自分が携わったプロダクトで人々に影響を与えたい。

    私は、ソフトウェアエンジニアには市場をつくり出す力があると思っています。日本のエンジニアには優秀な方が多いです。そんな日本のエンジニアであれば、世界中で使われるサービスをつくることが可能だと信じています。

    この連載では、私が感じるプロダクト開発の面白さや、仕事の楽しみ方、成長のために必要だと思うことなどを書いてみたいと思っています。多くの日本人エンジニアが世界に向けて挑戦していくきっかけの一つにでもなれれば嬉しいです。

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