グラフで見る「パフォーマンスとコンディション」の関係性
“心・技・体”ベストバランスエンジニアがいい仕事人生を歩むために、「心と体のコンディション」と「仕事のパフォーマンス」にはどんな相関関係があるのだろう? 高いパフォーマンスを発揮するエンジニアの経験談から「心・技術・体」のベストバランスを学ぶ!
グラフで見る「パフォーマンスとコンディション」の関係性
“心・技・体”ベストバランスエンジニアがいい仕事人生を歩むために、「心と体のコンディション」と「仕事のパフォーマンス」にはどんな相関関係があるのだろう? 高いパフォーマンスを発揮するエンジニアの経験談から「心・技術・体」のベストバランスを学ぶ!
2020年、NTT東日本と独立行政法人情報処理推進機構(以下、IPA)が提供した、無償かつユーザー登録不要で利用できるシンクライアント型VPN『シン・テレワークシステム』が話題を呼んだ。
このシステムをわずか2週間で完成させたことで称賛を集めたのが、自ら経営するソフトイーサの代表取締役、筑波大学産学連携准教授、IPA技術研究室長、NTT東日本特殊局員と、4足のわらじを履くプログラマー・登大遊さんだ。
優れたアウトプットを出し続ける登さんだが、「パフォーマンスと自身のコンディションは、基本的に常に一定」なのだという。登さんはなぜ、ブレずに高いパフォーマンスを出し続けることができるのか。その理由を聞いてみた。
――グラフを拝見する限り、パフォーマンスとコンディションはおおよそ一定に保たれているようですね。
もちろん人間なので毎日小さな山谷はあります。でもそれは電気の流れや電流、電圧が常に変化しているけれど100V60Hzの枠内で収まっている、いわゆる交流電源みたいなもので。
マクロな視点で見れば、基本的にコンディションもパフォーマンスも大きく変わりません。
ただ、2017年3月からの3カ月だけは例外です。それまでの自分のコンディション貯金をすべて使い果たし、平常運転に戻るまでに数カ月かかりました。
——確かに2017年だけ、二つの波の振幅が激しく変化しています。この年は、何があったのでしょうか?
すべては、このけしからんIPAのせいです(笑)
この年の4月1日に、IPA内に産業サイバーセキュリティセンターが立ち上がり、私はその中の研究室で高度なサイバーセキュリティに関する調査分析を行なうことになっていました。
しかし大学の繁忙期を終え、4月にこちらに来て驚きましたよ。なぜならセンター自体がまだ立ち上がっておらず、サイバー技術研究の環境だけでなく、センター全体をつくる作業が必要な状況だったからです。
それにも関わらず、センターを7月3日までに必ず稼働開始させなければなりませんでした。
——3カ月間でセンターをゼロから立ち上げなければならなかったと。
はい。そもそも、ネットワーク、サーバー、Wi-Fi、メールシステムはおろか、机や椅子すらなく、あるのは空っぽの部屋だけ。それこそセンター長印の準備や職員証の印刷すら、自分たちでやらなければならないありさまでした。
でも、こうなったら腹を決めて取り組むしかありません。
センターの設立日は経産大臣の指示で決まっていましたし、そのための予算も組まれていた。7月3日には、多数の重要インフラ事業者の方々をお招きして、高度なサイバーセキュリティの人材育成を開始する必要もありました。
しかし4月末になっても、インターネットすらなくて……このまま「準備が間に合いませんでした」では済まないわけです。
やるべきことはいろいろありましたが、表向きには、技術的作業に過ぎません。しかし、よく見ると、実はもっと大変な問題が大きく両手を広げて立ちはだかっていたのです。
——自力のオフィスづくりよりも、大変なこと?
当センターは、コンピュータやネットワーク、セキュリティに関する最先端の活動を行なう目的があるにもかかわらず、IPAにはICTユーザー向けの組織ルールしかなかったんです。
それをそのまま適用しようとすると、構築作業が機能不全に陥ってしまうことが判明しました。
そこで私たちが、膨大な準備や手続きと並行して、手の掛かる新組織の運営ルールをつくらねばならなかったのです。
もちろん当時から、IPA職員がコンピュータやインターネットを使うためのルールはありました。ただそれはあくまで、独立行政法人の事務職員が事務システムをいちユーザーとして利用する場合のルールであって、われわれのような高度なサイバーセキュリティに関する調査研究や技術開発のためのルールではありません。
私たち研究側の人材が、無理をして既存の事務ルールに合わせようにも、矛盾だらけで機能しないのは明らかでした。
——研究や技術開発を阻害するルールとは?
例えば「コンピュータでソフトウェアを実行するときはソフトウェア台帳を作り、情報セキュリティ最高責任者の許可を得る」、「インターネットと接続する際には、あらかじめどのような通信が行われるかリストを作成し、ファイアウォールを調達して設置する」、「コンピュータやネットワークの機器の構成図を事前に作成する」といった、単なる IT事務ユーザーのためのセキュリティ規程です。
一方、われわれはコンピュータでソフトウェアを作りますし、インターネットと接続するのではなくインターネットの一部としてBGPバックボーンを稼働させますし、そのためのルータなども自作します。ファイアウォールは使うのではなく、その技術を自ら作るわけです。
そして、自分たちの環境は毎日のように自分たちで組み替えるため、静的な構成図をつくることはできません。
これらは、高いレベルのサイバーセキュリティの進化の実現のために必須です。
既存のルールをそのまま適用するということになると、ありふれた低い商用レベルでの情報セキュリティは実現されますが、試行錯誤や自らプログラムや装置を作った技術検証を行なうための環境は実現されません。
そもそも、このような既存ルールは、一般的なITユーザーや情報システム部門およびシステムインテグレータなどの外注業者のためのものです。われわれは、そういったいわゆる職業ICTユーザーの明日のための新しい技術進歩を生み出す役割と責任がありますから、当然「使う側のユーザー」とは異なるルールが必要です。
従来のルールを誤ってそのまま適用してしまっていては、ネットワークの安全を守るための技術開発も、重要インフラ事業者に対する高度な訓練も行なうことはできず、センターを設置する目的が達成できません。
——研究や技術開発に試行錯誤はつきものですから、利用者を念頭に置いたルールを適用するのは無理がありますね……。
われわれが、全国各地の大学から集まった専門家達で合議を組み、慎重に議論した上で必要不可欠な機器の購入を決定しても、それを購入する段階になって、事務担当から「よりスペックの低い機器にするべきだ」「過去に購入実績がないので」などと言われて差し戻しされてしまうのです。
産業サイバーセキュリティセンターは前例なきことを行う組織なのに、前例主義的なルールをそのまま適用しようとしたら、正当な業務が阻害される結果となりました。
しかし当時は、開所日までほとんど時間がなかったので、仮の意思決定の仕組みを設計し、それを用いて物事を専門的に、正しくかつ迅速に決める仕組みを急いで整備するところから始めなければなりませんでした。
——単純に作業量も多いし、時間も足りない上に、頭を悩ませることも多かった。だから登さんのコンディションとパフォーマンスに大きな影響が出たわけですね。
はい。それで無理やり100%のパフォーマンスを出していたので、疲れ切って反動がきたという感じです。
体のコンディションの面では、この時期、左目の視野がぼやける変調に見舞われました。眼科で目を診てもらっても異常は見つからなかったので、原因は定かではありません。
しかし状況からすれば、一時的なキャパオーバーのせいであると思われます。
その年の冬、休暇でスキーに出かけたら目の調子はもとに戻りましたが、それまでしばらく不調が続いていました。
——2017年の例外はあるものの、それ以外では仕事のパフォーマンスも心身のコンディションにもあまり変動がないとのこと。なぜここまで安定した状態を維持できているのでしょうか。
体を動かすのは心身のコンディションを保つのに大分役立つと分かったので、夏は登山、冬はスキーに出掛けるようにしています。
でも、それ以外は特に心掛けていることはありません。
——普段通り過ごしているつもりでも、思うようなパフォーマンスが出せなくて困ることはありませんか?
実は、それもないんです。
もちろん事前の想定通りにいかないことはあります。でも、A案でうまくいかなかったらB案、B案でもダメならC案を試せばいいだけのこと。
私の場合は、そこに楽観も悲観もなく、ただ目標達成に必要なことを淡々とやるだけですから、感情的な浮き沈みがない分パフォーマンスの変動も少ないんだと思います。
そもそも私にとって人生の一番の目標は、コンピュータやインターネットなどサイバー技術の分野で、日本から世界の進化に役立つ大きな成果を出すことです。
自分自身も当事者として生み出したいですし、日本中のさまざまな組織に点在している優れた方々が、世界中に広く普及するサイバー技術を生み出すことができる仕組みを実現したいと願って仕事に取り組んでいます。
日本中の大企業や役所のような組織に点在するICT人材は、その潜在的能力が極めて高い。ですから今後、日本から米国のMicrosoft、Google、AWSなどに匹敵するような、システムソフトウェアやクラウドシステムの基盤技術の、より新しいものが多数出てくる可能性も十分あるでしょう。結果として、日本は、米中に続いて、3番目の ICT 大国になるかもしれません。
そのような目的を実現するためには、一度や二度の失敗でいちいちめげていられませんし、本気でやらなければ達成が難しいからこそ、日々の小さな浮き沈みにはとらわれていられないと考えられます。
——独立行政法人で新たなルールを作るために尽力されたのも、「世界を進化させる」という大義があったからなんですね。
先ほど申し上げたルールづくりなどの仕事は、単に組織内の問題に終始するものであり、たいしたものではありません。
しかしながら、メンバーになった以上は、組織において価値がある仕事をするために必要な手段を講じる責任があります。誰かのせいにしたり、不平を言ったりするだけでは状況を変えられません。
——なるほど。
また、サイバー技術を進化させるためには、米国などの先進国の例を見ても、民間企業だけでなく、公的機関と大学をあわせた三者がうまく連携することが極めて重要です。
日本には、今後のICT技術の進化のために重要な役割を果たす可能性がある政府機関、地方自治体、独立行政法人や国立研究所等の公的組織や、ICT人材が数多く存在します。世界的にも極めて高いレベルのICT人材が実はこれらの組織に点在しているのです。
ところが、そのような組織に入ってしまったICT人材は、前述したような、単なるICT技術ユーザー向けのポリシーやルールに引きずられ、新しい試行錯誤を行ったり、新しい技術を生み出したりすることができない状態にいます。
公的機関だけでなく、民間でも大企業も、だいたい同じようになっている。役所や日本の大企業に勤めたけれども、前記の問題で能力が発揮できず、やむを得ず、いわゆるGAFAに転職するという例が多数あります。
もし、このような多数の日本的組織の ICT のルールやポリシーの不具合を解決することができれば、日本から多数のサイバー技術が生み出されます。
そしてそれが米国のように産業化に成功したならば、これらの人材と組織の価値が高まると共に、日本人すべてが、その恩恵を受けられるのです。
このような理由から、これからの日本を背負って立つ若い人たちのためにも、われわれがあれごときで簡単に諦めてしまったら後が続きません。
——登さんくらい常に気持ちをフラットにできればいいのですが、仕事のストレスで参ってしまうエンジニアも多くいます。
そうですね。ストレスを感じる理由はさまざまあると思いますが、一つ例をあげるなら、仕事の目的が「お金を稼ぐこと」それ自体になっている人は疲弊しやすいかもしれませんね。
稼ぐことを目的としている人のゴールは、おそらくご自身の「安寧な暮らしの実現」にあるのだと思います。それがとても大事なことなのは言うまでもありませんし、否定するつもりも毛頭ありません。
一方で、私や私の周りにいる人たちは、現状の成果に満足せずに得たお金を次の進化のために再投資しようと試みる人ばかり。どちらが良いとか悪いとかではなく、価値観が違うだけのことです。
ただ、前者の「お金を儲けて安寧な暮らしがしたい」という人にとって、仕事から受ける疲労や気分の落ち込みというのは、ある種当たり前のことだとも思うんですよね。
——というと?
どこかで成長を諦め、安寧な生活を望むような性向が、かえって心身の不調やフラストレーションを生み、パフォーマンスを落とす一因になっているのではないかと思っているんです。
「お金を稼ぐためだから、しょうがないか」と思ってやっていること自体が、ストレスになるのではないかと。
でも、こればっかりは人の価値観ですからね。変えようと思っても、すぐに変えられるものでもない。
どんな価値観で生きるのかを選ぶのはその人ですし、どんな人生を選んでもリスクはついて回ります。
安寧な生活や休息を優先する生き方には、仕事に対するストレスやそれに付随する心身の不調などの副作用があるということに過ぎません。
ただ、一つ言えることがあります。日本において、「大義を持って働く」生き方を選択をした人は、これから大変有利だということです。
——どういう意味でしょう?
自分の手で未来を変えようと野心に燃える人が世界中から集まるシリコンバレーなどでは、埋もれてしまうかもしれない人であっても、日本の旧態依然とした組織の中では、同じことをするだけで、比較相対的に価値が高くなりますから。
技術者がわざわざベンチャーを立ち上げ、投資家からお金を引き出すために詭弁を弄したり、ニーズをでっち上げたりしなくても、日本の大企業にはストレートに解決すべき課題がいくらでもあります。そしてそれらの問題を、自分自身の頭脳を用いて解決しようとする時は、必ず、従来とは異なる方法で解決する必要があるのです。
なぜなら、まさに従来手法では解決できなかったことからその問題が放置または堆積されているためです。
——その場合は、どうすればいいのでしょうか。
その問題を一旦一般化・抽象化した上で、これを解決することができるより低レイヤーのフレームワークのようなものを作ってしまうことが重要です。一定の労力はかかりますが、それによって生じた汎用的成果物は、他の業務や他の組織においても普遍的価値を持つようになります。
ここで重要なのは、目的を「業務上の特定の問題の解決」から昇格させ、「その特定の問題と本質的に類似しており、かつ既存の最適な解決方法が存在しない、新たな汎用的解決方法の実現」という、より価値の高い目標に設定する必要があるということです。
——目先の特定の問題をその場しのぎで解決するのではなくて、普遍的な価値を目指すと。
その結果、問題がうまく解決され、成果物が出たならば、サラリーマン的な自分自身(個人)と自組織にとっての短期的な狭い利益だけでなく、同時に「世界における技術の進歩」という長期的で大きな価値が生じます。
具体例を挙げると、たとえば「UNIX」を構成する重要な機能、たとえばシェルやプロセス間通信、パイプ、grepといった機能。これは電話会社であるAT&T社の特許部門における、膨大なテキストファイルを全文検索するという特定の業務を解決しようとした同社の社員たちが、単にその社内問題解決にとどまらず、さまざまな組織や目的で汎用的に利用できる仕組みを考案し、プログラミングして実装したものです。
結果として、「UNIX」は汎用的に利用される価値を有し、単に一企業の業務に留まらず、全世界的に普及し現在のサイバー世界の基礎となっています。
このように考えれば、ICT技術者は、これまで組織内で放置または堆積されてきた多種多様な課題について、目先の解決ではなく、「正しい普遍的な方法で解決する仕組みを作る」という気概で、真摯に向き合えば、自然に世の中に貢献できる成果ができるわけです。
——素晴らしい考えだと思います。
古いルールに縛られている大手企業や役所に勤める多数の優秀なICT技術者たちは、これから、こういった問題解決の試行錯誤を許容するための別の合理的なルールを自ら整備することができれば、前記のような多数の価値を作り出すことができるようになります。
わざわざ、いわゆるGAFAに転職しなくても、日本人が日本組織の中から突出した技術を生み出し、世界の進化を後押しできることを証明できたら、きっと日本も大きく変わるはずです。
これから、日本におけるシリコンバレーのような役割は、実は、日本型の巨大な伝統的大企業や役所が果たすことになる可能性があります。
私は、その実現に向けて働いているので、自身のコンディションやパフォーマンスに左右されている暇はないんですよ。
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/野村雄治 編集/大室倫子
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