この連載では、注目企業のCTOが考える「この先、エンジニアに求められるもの」を紹介。エンジニアが未来を生き抜くヒントをお届けします!
うつ、二度の組織崩壊「絶望を味わったから幸せに働く大切さが分かる」ラブグラフCTO横江亮佑の予定調和を“あえて崩す”働き方
「撮りたい」カメラマンと「撮られたい」ゲストをつなぐ、出張撮影サービス『Lovegraph』を展開する株式会社ラブグラフ。
全国に約1,000名(2023年3月現在)のカメラマン、通称「ラブグラファー」を抱え、累計37,000組の撮影。
22年3月には株式会社MIXIにグループ入りし、子どもの写真・動画共有アプリ『家族アルバム みてね』との連携強化を図りながら、写真業界のNo.1プラットフォームを目指している。
MIXI傘下となったタイミングで、ラブグラフの執行役員CTOに就任したのが横江亮佑さんだ。
横江さんは、UUUMやコインチェックでエンジニアとして活躍した後、30歳でラブグラフのCTOとなった。
「もともと偉くなりたいなんて思うようなタイプの人間じゃなかったんですけどね」と笑う横江さんだが、CTOでなければ実現できないことがあると分かってからは、一転、CTOになるためにキャリアを選択したと語る。
横江さんがCTOにならないと実現できないと感じたものとは何なのか。話を聞くと、エンジニアが長くキャリアを築いていく上で大切にしたい視点が見えてきた。
「予定タスクはほぼ全て遅れる」開発現場を変えた就任1年目
ラブグラフが展開する出張撮影サービスとカメラマンの育成事業は、予約フォームや決済システム、レビュー機能、オンラインアルバムをはじめ、サービスの大部分がITによって支えられている。
その機能一つ一つで、ユーザー体験を良くしていくことがプロダクトや事業の成長に直結するため、同社にとってITシステム面の強化は重要指標でもある。
しかし、横江さんがジョインした当初、開発組織はタスク進捗が慢性的に遅れる課題を抱えていた。
「やりたいことややるべきことは山ほどあるものの、なかなかスピーディーに開発が進まない開発現場を助けてほしいと創業者のこまげ(駒下純兵)さんから相談を受けたのがラブグラフとの出会いでした」
当時からラブグラフはMIXIと協力関係にあり、水面下では資本提携の話も進んでいたことから、横江さんは一度MIXIに入社。エンジニアとしてラブグラフの開発をサポートしながら、3カ月後には正式にラブグラフのCTOとなった。
「就任1年目は『タスクが遅れる問題』を解消すべく、無駄な作業を徹底的に排除し、エンジニアがタスクに集中できる時間を生み出すことに取り組みました。
例えば、会議の見直し。週1回1時間、プロダクトマネジャーやデザイナー、エンジニアの全員が集まっていた会議を、各領域の代表者のみ集まり20分で終えるルールに変更しました。
スクラムが機能せず冗長になっていたため思い切ってやめたり、ステージングや本番などの各環境ごとにバラバラだったシステムのバージョンをそろえたり、動作が重いページを速くしたり。開発時間の捻出や、開発のしやすさにつながる部分は、細かい部分からどんどん改善していきました」
そうして1年目で整えた開発体制をベースに2年目は、ユーザーが撮影予約を入れる「依頼開始時間の変更」の大刷新に着手。
「難易度の高い実装が求められたので、自ら実装に取り掛かりました。なので、2年目はひたすら実装の日々でしたね。3年目の今年は『なるべくメンバーに実装させる』を方針に掲げ、私はペアプロなどのサポートに注力していこうかなと思っています」
トップに立たなければ、エンジニアも組織も守れない
「ラブグラフで、ベンチャーならではの、がむしゃらに成長を加速させていく風土に身を置きながら、大企業としての戦い方を垣間見れたり、グループインにあたってMIXIとラブグラフのIT部分でのPMIのための橋渡しを行えたことは、他では味わえない経験でした」
CTOとしての一歩をラブグラフで歩み出せた魅力をそう語る横江さんだが、もともとは「偉くなんてなりたくなかった」のに、何がきっかけでCTOになろうと思うようになったのだろうか。
「考えが変わったのは、二度の組織崩壊を経験した直後でした。UUUMでもコインチェックでも、在籍期間中に周りの社員が大量離職してしまう時期を経験したんです。
事情や背景はそれぞれ違いますが、せっかく期待を抱いて入社してきた仲間たちが、相反する感情を抱いて退職していってしまう。
その人はもちろん、組織にとっても全く幸せじゃない結末を見るのはつらかったですね」
一度目の組織崩壊の時は、当時の上司の力になれればと、マネジメント関連の本を読み出した程度だったという横江さんだが、二度目の組織崩壊に直面した時には「自分がトップに立たなきゃ」という思いに変わっていた。
「二度目の組織崩壊の時、私はチームリーダーという立場にいました。幸いにも自分のチームから退職するメンバーはほぼいなかったのですが、会社組織全体でみると多くの退職者がいるわけです。辞めていく社員をどうこうする力も到底ない。
なすすべもなく、退職していく仲間の姿を見ながら、チームリーダーレベルじゃ人や組織は守れないんだと痛感したんです。
だったら、自分が開発トップに立って、自分の手でエンジニアや会社組織を守れる側に回ろうって。それが明確にCTOというポジションを意識したタイミングでしたね」
絶望を味わったから分かる「幸せに働く」の重要性
自分自身がトップに立って、メンバーが「幸せに働く」組織をつくりたい―。横江さんが持つその使命感は、一体どこから来るのか。
そう問うと、「自分が幸せじゃなかったからじゃないですかね」と返ってきた。
「実は、高校1年生の時にうつになってしまって。学校も休みがちだったので出席日数が足りず、留年して高校2年生を2回経験しました」
卒業後は、独学で北海道大学に進学したものの、再びうつ症状に悩まされた。
「大学は5年在籍しましたが、最後は食事も取れない、家から一歩も出られないほど重症化していました。いよいよらちがあかなくなって、親と教授とカウンセラーと私で四者面談が開かれて。
そこでカウンセラーが言った『このままだと良い方向にはいかないですね』の一言で、その日のうちに実家のある埼玉へ連れ戻されました(笑)」
実家に帰ってからはうつの症状も徐々に良くなり、大学の授業で触れて興味を持ったプログラミングをするようになった。
「中学生時代に自作で着メロを作り出したときから、自分で打ち込んで何かを作り出す、ということの楽しさを知っていたんだと思います。あの頃は楽しかったな、なんてぼんやり思い出すようになったら、いつの間にか手が動いていました。
その時は自分でスマホアプリが作れる時代になっていたので、これは面白いぞ! となって、Cocos2d-xでのアプリ制作を目標に、参考書片手にC++の学習や開発に没頭しました」
そうして実家に戻った6カ月後には、アプリ開発会社の面接で自作のアプリを見せてエンジニアとしてアルバイトを始めていた。
「思い返せば、高校時代に初めて自分がうつだと分かったのも『mixi』のような日記サービスに『精神的にしんどい』と書き込んでいたら、それを読んだ人から『それ、うつかもしれませんよ。一度病院に行ってみると良いですよ』と教えてもらったことがきっかけでした。
それで初めて精神科に行って薬をもらって症状が回復して。ネットや『mixi』に救われた人間が、今このネット業界で、しかもMIXIグループでエンジニアをしている。 人生って面白いですよね(笑)」
うつの時、「死のうと思ったことは何度もあった」と横江さんは語る。
「ただ、死に方や死に場所を考えると、死ぬのは痛いし、どこで死んでも誰かに迷惑を掛けてしまうことが分かって。そうなると死にたくても死ねなかったんですよね。
死ねないなら生きるしかないので、せっかく生きるなら楽しく生きようって思ったんです」
落ち込むところまで落ち込んだ後、どこか吹っ切れた感覚と共に生まれた人生の捉え方は、横江さんが働く上でもブレない大切な軸となっている。
予定通りじゃ面白くない。「技術も人生も楽しみ尽くす」が勝ち
そんな横江さんに、エンジニアが長くキャリアを築いていくために大事なことを聞くと、「まずは仕事も人生も楽しむこと。そのために、『予定調和』はあえて崩すといい」と提案する。
「例えば、20代なら収入よりやりたいこと重視で仕事を選んでみる、という選択は分かりやすいかもしれません。
私自身、コインチェックからセンセイプレイスへ転職する時は収入が下がりましたが、それまでの経験ではなかった『10名以下のベンチャー組織に身を置いてみたい』という欲求を優先して環境を変えました。
実際、センセイプレイスでは“一人エンジニア”だったので、企画から実装、リリースまで一連のサイクルを全部やれたこと、エンジニアでありながら事業やビジネスまで俯瞰してシステムを捉えられた経験が積め、エンジニアとして幅を広げることができました。
それに今の時代、エンジニアが収入でキャリアを選ぶと最終的に外資に行き着いちゃいますよね。個人的にはそのストーリーは刺激が少なくて、物足りないかなって。なんだか予定調和な道に感じてしまうんですよ」
そう話しながらも、「とはいえ、まだまだ自分も予定調和で生きてるなって反省しているんです。つい同じことを繰り返したり、考えを制限してしまったり。普通じゃないことや知らないことに、どんどん飛び込んでいきたいですね」と笑う横江さん。
「年齢や役職を重ねても、分からないことは分からないと言えるエンジニアでいたいです。上の立場になればなるほど、自分を下げるようなことって言いづらくなってしまうと思うんですけど、そんな仮面をかぶり始めると成長は止まりますから。
いつまでも『そのやり方があったか!』って周りを幸せな驚きで包み込むような発明や生き方をし続けるエンジニアでいたいです」
どうせ生きるなら、技術も人生も楽しみ尽くしたい。そんな思いが横江さんのキャリアをつくっていく。
撮影/赤松洋太 取材・文/玉城智子(編集部)
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