日本マイクロソフト
業務執行役員 エバンジェリスト
西脇資哲さん(@waki)
マイクロソフトにて多くの製品・サービスの魅力を伝えるエバンジェリスト。1990年代から企業システム、データベース、Java、インターネットのビジネスに関与し、96年から約13年間オラクルにてエバンジェリストとして活躍。その後、2009年にマイクロソフトにてエバンジェリスト活動を継続
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ChatGPT誕生の衝撃から約3年。加熱する生成AI競争の裏側で、技術のコモディティ化は想像を超える速度で進んでいる。各モデルの性能差が収束しつつある今、ビジネスの勝敗を分ける変数はどこにあるのだろうか。
日本マイクロソフトのエバンジェリスト・西脇資哲さんと、日立製作所でCAXO(Chief AI Transformation Officer)を務める吉田 順さん。生成AIによる変革をけん引する両者の対話から、その答えを探ってみたい。
見えてきたのは、スペック比較の喧騒から脱却し、組織の知性を根底から拡張する生存戦略の輪郭だった。
日本マイクロソフト
業務執行役員 エバンジェリスト
西脇資哲さん(@waki)
マイクロソフトにて多くの製品・サービスの魅力を伝えるエバンジェリスト。1990年代から企業システム、データベース、Java、インターネットのビジネスに関与し、96年から約13年間オラクルにてエバンジェリストとして活躍。その後、2009年にマイクロソフトにてエバンジェリスト活動を継続
日立製作所
AI CoE HMAX & AI推進センター 本部長 兼 Chief AI Transformation Officer
吉田 順さん
1998年に日立製作所に入社。2012年にAI/ビッグデータ利活用事業を立ち上げ、AIやデータ利活用プロジェクトを多数推進。21年より、トップデータサイエンティストを集結したLumada Data Science Lab.のco-leaderとして、Lumada事業拡大の加速と人財育成の強化に取り組んできた。現在は、AI CoE Generative AIセンター 本部長として、生成AIおよびAIエージェントを活用したプロジェクトをリード
※本記事は2026年2月18日~19日に開催された『Eight EXPO 2026』の特別講演「人とAIが共創する未来へ 〜世界の潮流と日本企業の打つべき一手〜」の内容を抜粋・編集して公開しております
生成AIの話題は、しばしば「どのモデルが最強か」という比較に流れがちだ。しかし、西脇さんと吉田さんは、揃ってその論調を否定する。
「機能、速度、品質などを参照した生成AIのユーザー選好スコアの推移を見ると、2025年春頃にGoogleが抜きん出た時期がありました。ですが、直近ではGoogle、OpenAI、Anthropicの三強がほぼ横ばいです」(西脇さん)
GoogleのGemini、OpenAIのChatGPT、中国のDeepSeek、xAIのGrok、AnthropicのClaude、MetaのLlama、フランスのMistral AIのユーザー選好スコアの比較(登壇資料より)
この“追い抜き・追い返し”は、エンジニア自身も現場で感じているだろう。一方、この「生成AIレース」からあえて距離を置いているのが日立製作所(以下、日立)だ。吉田さんは、過熱する開発競争を冷静に見つめる。
「日立ではLLM開発を行っていませんし、研究開発のリソースをそこに割くこともしていません。日立が目指すのは、『使い手』として成果を上げていくこと。各モデルの性能が上がれば上がるほど選択肢が増えるので、われわれにとっては追い風です」(吉田さん)
「自社開発はしない」という日立の割り切ったスタンス。これに、西脇さんも同意を示した。
「マイクロソフトも、現時点ではこのチャートに名前はありません。マイクロソフトのCopilotではOpenAIとAnthropicのモデルを利用しており、質問やデータの内容に応じて切り替える仕組みです。いわば、この競争の『良いところどり』ですね」(西脇さん)
核心はここからだ。短いスパンでトレンドが入れ替わると、意思決定の難易度は増すばかりに思えるだろう。しかし、各モデルの性能差が拮抗した時点で、企業の勝敗を分ける要素は別に移る。
吉田さんは「1年前までは顧客から『どのモデルがいいか』と相談されることも多かったが、もはや『どれでもいい』と言えるようになった」と語る。この意見に西脇さんも深く同意した。
「生成AIを取り巻く喧騒に世の中が包まれていく契機となったのが、忘れもしない2022年11月。ChatGPTが生まれたタイミングです。
あれから約3年、生成AIについて『どのモデルがいいか』と議論する時代はもう終わりました。各モデルの性能は日進月歩なので、どれを選んでも活用時に差が生まれることはほぼありません。
では、どこで差がつくのか。それは、この3年間の蓄積です。
この3年間でいかに生成AIを使ってきたか。どれだけデータを学習させ、AI-Readyなデータを蓄積してきたかです」(西脇さん)
モデル選びに奔走する時間は、もはや機会損失でしかない。視線を向けるべきは、足元にあるデータの質、そしてその圧倒的なポテンシャルを経営資源としてどう再定義するかという点に集約される。
「生成AIの性能は、もはや私たちの想像を超える領域にまで到達しています。大学入学共通テストを解かせれば、最難関とされる東大理科三類に合格しうるレベルといわれているほどです。
その卓越した能力が、月額わずか数千円のサブスクリプションで手に入る。同等の能力を備えた人材を採用しようとすれば、数千万円単位の年収を提示しなければなりませんよね。そもそも採用すらできないかもしれません。
そう思えば、生成AIを使わない手はない。経営者の方は、今こそ決断の時だと思います」(西脇さん)
しかし、いざ実装のフェーズへ駒を進めようとすれば、そこにはテクノロジーのスペックだけでは解決できない壁が立ちはだかる。
吉田さんは、社会インフラを支える現場特有の切実な障壁を明かした。
「電力や鉄道の現場において、人材の高齢化と未来を担う若手の不足は避けがたい現実です。そこで、長年事業を支えてきた熟練者のノウハウを継いでいくべく、AIを活用しています。
難しいのは、現場の知見を『形式知』として正しくAIに学習させること。テキストデータだけでなく、表や図形、図面が混在し、理解するだけで一苦労です。また、たとえ書面化されている情報をすべて読み込ませたとしても、AIが即座に熟練者の代替を果たすわけではありません。
なぜなら、データ化されていない『暗黙知』が存在するから。この暗黙知を現場から引き出し、形式知として定義し直すことが関門です」(吉田さん)
この課題は、開発現場にもそのまま当てはまるだろう。障害対応の勘所、レビュー観点、運用時に「やってはいけない」ことなど、コードや文書に残りにくい知識ほど、実業務では価値を持つことが多い。
西脇さんは、暗黙知に加え、各社固有のデータをいかにAIで活用するかが、今後の企業競争の命運を分けると語った。
「現在、生成AIが学習したとされるデータ総量は、地球上に存在する全データのわずか0.00017%であるとされています。AIの知能をもてはやす声は多いですが、実際にはこの程度。データという広大な海において、AIが触れたのは、米粒一つ分にも満たない極小の領域に過ぎないのです。
では、残りの99.99983%は一体どこに眠っているのか。それこそが、皆様の手の中にあるデータです。
社内を行き交う無数のメール、秘匿性の高い法的文書、顧客情報、売上データ、そして日々の会議で交わされる議事録。これらをAIに取り込み、活用することが競争力の源泉になるに違いありません」(西脇さん)
ここからは、より手触り感のある「現場での実装」へと議論の焦点を移そう。日立、マイクロソフトという巨大な組織を、いかにして変革の場に変えているのだろうか。
「われわれは、AIを徹底的に使うために『カスタマーゼロ』という方針を掲げています。
日立には5万人を超えるシステムエンジニアが在籍し、電力、鉄道、製造といった広範な事業を抱えています。この中で徹底的にAIを活用すれば、社内に大きな変化がもたらされるはず。そして、得られた成功体験をお客さまに提供していこうと推進しています」(吉田さん)
マイクロソフトも、Copilotをはじめとするさまざまなサービスを活用し、業務プロセスの再構築を行っていると述べる。
「マーケティング、営業、カスタマーサービス、ファイナンス、人事、法務、IT、開発まで、さまざまなプロセスでの活用を進めています。
社内ヘルプデスクへの問い合わせは36%削減され、資金計画の作成時間も60%短縮されるなど、具体的な成果も見られるようになりました。中でも象徴的なのはサポート部門で、全世界で700億円規模のコスト削減を実現しています」(西脇さん)
登壇資料より
一見すると、インパクトのある成果に見える。しかし西脇さんは、あえて「ROI(投資対効果)」の視点の必要性を問いかけた。生成AIの導入において、ROIは意識すべきなのか否か、と。
吉田さんはこの問いに対し、変革をリードしてきたからこその苦悩を滲ませた。
「こういった数字の出し方は、極めて難しいと思っています。時間短縮できたとして『だから何なのか』が問われる。その後の成果まで語る必要性があるのです」(吉田さん)
投資が絡む以上、経営者がリターンを気にするのは当然だ。ただし、生成AIは活用が広がり、定着するまで効果が見えにくい。
だからこそ、不確実性の高い数字を見通そうとしすぎるリスクもあると吉田さんは続ける。
「ROIの議論をしようと思えば、いくらでも時間を掛けられてしまう。ですが、そうこうしているうちに大きく遅れを取ることになるでしょう。それならば、ある程度は勢いで推し進めた方がよいのでは、というのが現時点での考えです」(吉田さん)
吉田さんの話を受け、西脇さんもまた、従来の経営判断の枠組みでは捉えきれない生成AI特有の「リターンの性質」を強調した。
「3年前に、生成AIでここまでコーディングができるようになると、誰が想像したでしょうか。先が見えないからこそ、ROIベースの提案は行わない方針にしてきました。先ほどお話しした成果も、生成AI活用を始めてから1年半経ってやっと出てきた数字です。
私は、この数字より重要なことがあると思っています。先ほどのユーザー選好スコアのグラフを思い出してください。月額を投資した分、各社がこぞって性能を上げてくれるんです。
その性能を手に入れることができると思えば、使わない手はないと思いませんか?」(西脇さん)
開発現場で言い換えるなら、ROIは「工数削減」だけでなく、「能力拡張」をどう評価するかに移っている。生成AIの進化速度そのものが「外部から供給されるリターン」であり、それを取り込める組織・プロセスになっているかどうかが勝負になるといえるだろう。
日立とマイクロソフト。両者が共通して見据えているのは、AIを単なる道具として消費するのではなく、組織の知性を拡張し続ける「終わりのない進化」そのものだ。
不確実な未来に対してROIという定規を当てることに汲々とするか。それとも、世界中の頭脳が磨き上げるAIの進化速度を、そのまま自社の「加速力」として取り込む決断を下すか。その答えは、もはや明らかなのかもしれない。
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