代表取締役 阿部慎也さん
茨城県出身。看板制作会社での業務経験を生かし、祖父の創業したセイビ堂(当時、セイビ堂看板店)の代表に20歳で就任。以後、看板業界のスペシャリストとしてキャリアを重ねている
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全ての企業にとってテクノロジーの活用が必須となった時代。いわゆる「レガシー産業」と呼ばれる事業を手掛ける企業がテクノロジーの力によって躍進し、注目を集めるケースが増えている。
東京・銀座、大阪、茨城にオフィスや工場を構えるセイビ堂も、その劇的な進化を実現した企業の一つだ。
セイビ堂は看板の製作や施工を行う「看板会社」として昭和42年に創業。現在は、NFTアートのオンラインギャラリーやeスポーツの普及活動、デジタルサイネージを活用したビジネス提案など、テクノロジーを駆使した事業を多数推進している。
ものづくりとテクノロジーの融合で数々の実績を生み出してきたセイビ堂。彼らはどのように新たな価値を世の中に提案し続けてきたのか。代表の阿部慎也さんとエンジニアの橋本結樹さんに話を聞いた。
代表取締役 阿部慎也さん
茨城県出身。看板制作会社での業務経験を生かし、祖父の創業したセイビ堂(当時、セイビ堂看板店)の代表に20歳で就任。以後、看板業界のスペシャリストとしてキャリアを重ねている
橋本結樹さん
DVDのオーサリング事業を手掛ける会社を13年間経営したのち、液晶サイネージの開発会社へ転職。2018年8月にセイビ堂入社。デジタルサイネージの開発を担うエンジニアとして数々のプロジェクトに携わっている
もし電車に乗る予定があったら、駅の外で少し立ち止まってみてほしい。
顔を上げた先には、「〇〇駅」という文字が建物の壁面に立体的にあしらわれているだろう。あなたがいるその駅の看板も、もしかしたらセイビ堂が手掛けたものかもしれない。
駅だけではない。アパレル、ジュエリーショップ、飲食店など、いまやあらゆる店舗の看板が立体的だ。看板が進化した背景には、セイビ堂の活躍がある。
「昔は平面にベタッと文字を印刷したような看板がほとんどでした。ですが、お店に人を集めるには、目を引いて『かっこいいな』と思われる看板が大切です。
そこで、新しい看板のデザインを店舗に向けてどんどん提案していきました」(阿部)
セイビ堂が手掛ける看板の新しさは、デザイン性だけに留まらない。現代では当たり前となったLED看板にもいち早く着目し、1995年にはLED事業を新設。「当時の日本の看板会社で、LEDを専門的に手掛けている企業はほぼなかったのでは」と阿部さんは振り返る。
今や、同社のビジネスはあらゆる産業に及んでいる。意外な例を挙げると、有名芸能事務所が運営するグッズショップだ。
かつては人気商品である生写真の現物が店内に並んでいたが、売れ残りが発生した際には大量の廃棄が生まれてしまう問題を抱えていた。そこでセイビ堂が提案したのが、デジタルサイネージを活用した新たな販売手法だった。
「最初は『商品情報をデジタルサイネージに投影したいから、1画面あたりの料金が知りたい』という見積もり依頼でした。しかし、それでは単純な価格差で他社と競り負ける可能性がありますよね。
そこで当社からは、デジタルサイネージをより有効活用する方法をセットで提案しました。それが、デジタルサイネージに投影された商品のQRコードを読み取って電子決済をすると、購入した生写真がすぐさま印刷される仕組みです。
購入者の利便性向上はもちろん、以前から企業が抱えていた廃棄削減という課題にも応えられるソリューションが評価され、採用となりました」(阿部)
この他にも、大手建設現場で作業員が必要な情報を視覚的に理解できる大型モニターの設置や、国際的スポーツイベントの会場装置の設計・開発など、阿部さんの提案が決め手となって数々の大型案件を獲得してきた。
大規模な現場になればなるほど、関わる人数も増えていく。そんな時は、プロジェクト全体の進捗を正確に把握するための管理システムの開発から行うこともある。
前述したスポーツイベントのプロジェクトでは、協力会社を含む3万人超の作業員がセイビ堂が企画した管理システムを利用した。
さまざまな企業をとりこにする阿部さんの発想力。その原点には一体何があるのだろうか?
「根底にあるのは、驚きと感動を創出する会社でありたいという思いです。
私たちの仕事は単に看板を作ることではなく、お客さまが伝えたいことを表現することだと捉えています。セイビ堂がテクノロジーを積極的に導入しているのは、それによってよりお客さまの思いをより表現できるようになるからなのです」(阿部)
阿部さんのあふれる想像力から生まれる新サービスのアイデアは、エンジニアの力なくしては具現化できない
セイビ堂が手掛ける大規模プロジェクトの実現を支えている一人が、エンジニアの橋本さんだ。
橋本さんは2018年の入社以来、デジタルサイネージに映像を送るシステムや映像を映す端末の仕組みを学び、双方をインテグレートするエンジニアとして経験を重ねてきた。
「セイビ堂に入社するまで、デジタルサイネージを扱った経験はなかったんです。なじみのないモニターや技術について、プロジェクトと平行して勉強してきました。
決して簡単ではありませんでしたが、スキルが上がっていく実感がありましたね」(橋本)
デジタルサイネージに関する知識や技術はもちろん、「具体化する力」や「説明力」が鍛えられていったと話す。
「(阿部)社長と日常的にコミュニケーションを取っていると、全く想像していなかったアイデアがポンと出てくることがあります。その度に『そんなことが本当に実現できるのだろうか?』と思う反面、ワクワクする自分もいるんです。
高度な技術が必要となるプロジェクトでは、外部のパートナー企業とプロジェクトを推進していく。その際、社長のしたいことをエンジニアとして言語化し、実現可能性を探るのが私の仕事です。
アイデアの実現可能性についてはエンジニアとして慎重に考えていますが、同時に『どうやったら実現できるだろう』という前向きな姿勢で仕事に向き合っています」(橋本)
セイビ堂では企画から施工まで一貫して請け負っているため、看板や設備の取り付け方を目で見て学べる点も醍醐味だ。
入社直後はモニターを一つ取り付けて終わるようなプロジェクトが多かったという橋本さんだが、今では100個近いモニターを連動させるような現場も担当している。使うモニターのサイズも幅広く、時には12mもある巨大モニターを扱うこともあるそうだ。
現在では大規模な案件を中心に取り組んでいる橋本さんは、完成に立ち会う際の心境について「いつも『無事終わった』という安心感が強いです」と笑う。しかし、その表情には達成感がにじみ出ていた。
橋下さんは今年で入社6年目。今後の目標を次のように語る。
「今はデジタルサイネージの技術を主に扱っていますが、自分たちが作っているのはデジタルサイネージではなく、あくまで『お客さまの表現したいこと』です。今後も新しい技術が生まれてくると思うので、どんどん吸収していきたいですね」(橋本)
前例にとらわれず、自分の可能性をも限定せず、時代の流れに応じて成長していく。そんな気概を持つエンジニアの力によって、セイビ堂はテクノロジー企業へと進化を遂げてきたのだろう。
創業から56年、20歳で社長のポジションを引き継いだ阿部さんには、まだまだ挑戦したいことが山積みだ。
「現在、サイネージとAIを融合した新しい広告配信の仕組みを模索しているところです。デパートやコンビニエンスストアなどにおける広告配信の在り方を変えていけるに違いないと考えています。
そして将来的には、世界規模の事業を展開したい。すでにベトナムに事業所を据え、グローバル展開への足掛かりは出来上がりつつあります。
何かに驚いたり感動したりする感性は、国籍を問わず誰もが共通して持っているものですから、私たちのビジネスはきっと海外でも通用すると確信しています」(阿部)
現在、セイビ堂に在籍しているエンジニアは橋本さんを含めて2名。今後の挑戦のために、プロジェクトマネジメントを担うエンジニアの増員は欠かせない。
このポジションは「ベンチャー気質のある人」でなければ務まらないと橋本さんは笑う。
「テック企業と一口に言っても、決められた領域の中で事業を展開している会社と、次から次へと新たなサービスを生み出していく会社に分かれると思います。
看板会社からスタートして今があることからもお分かりの通り、当社は新しいことを生み出していくことを得意とする会社です。自身のアイデアをかたちにしていくことにやりがいを感じる方こそ楽しめるフィールドなのだと思います」(橋本)
セイビ堂に限らず、変化の時代と呼ばれる現代においては、既存のビジネスモデルからの脱却を目指す企業も多いだろう。そんな変化のフェーズにいる会社で働くエンジニアには、スキル以上に「マインドが重要」と阿部さんも続ける。
「『まだ世の中にないものだからこそ挑戦しよう』と思えるエンジニアの重要性が、今はとても高いと思います。
私たちも、前例がないからと躊躇するのではなく、世の中にないものだからこそ作る価値があるということに共感できる人と一緒に働けたらうれしいですね」(阿部)
取材・文/一本麻衣 撮影/桑原美樹 編集/秋元 祐香里(編集部)
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