H2L創業者/琉球大学教授
玉城絵美さん
1984年生まれ、沖縄県出身。琉球大学工学部情報工学科卒業。筑波大学大学院システム情報工学研究科修了。東京大学大学院学際情報学府で暦本純一教授に師事。博士(学際情報学)。2011年に発表した「PossessedHand(ポゼストハンド)」が米『TIME』誌の「世界の発明50」に選出される。12年にH2L, Inc.を創業(現在CEO)。アメリカのディズニー・リサーチ社、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員、早稲田大学理工学術院准教授などを経て、現在は、東大大学院工学系研究科特定客員大講座教授、琉球大工学部教授、経済産業省研究開発・イノベーション小委員会委員も務めるなど、多方面で活躍
エンジニアのネクストキャリアは「カヤック乗り」? 新たなUIがもたらす産業革命に乗り遅れるな【H2L 玉城絵美】
画面に映し出された男性らしき姿をしたアバターが、汗をかいている。名前の横にはハート型の器。だが、ゲージは枯渇しかけている。
これがテレビゲームの主人公なら、ひと目で「ヤバい」と分かる状態だ。
しかし、これはゲーム画面ではない。実在する、とあるスタートアップ企業のメタバースオフィス。アバターは、この会社で開発を担う社員のものという。
汗やハートは、男性が精神的にも、肉体的にも追い詰められていることを示している。開発部の『Slack』を見ると、担当するプロジェクトが難航している旨がつづられていた。
どうやら彼は、本当に「ヤバい」状態にあるらしい。
疲労や緊張が目に見える世界
琉球大学工学部教授の玉城絵美さんには、過去にも何度かお話を伺ってきた。
彼女らが提唱した「BodySharing」という技術では、人間のさまざまな感覚を身体や場所の制約を超えて他者やロボット、アバターなどと共有できる。「そのことにより、人々がさまざまな体験を自由に分かち合える世の中を目指している」と彼女は語った。
冒頭の「とあるスタートアップ企業」とは、彼女が代表を務めるH2Lのことだ。
H2Lは、乃村工藝社と共同開発したメタバースオフィス『BodySharing for Business』を近日中にリリース予定。H2Lの社員は毎日、自社サービスであるこのメタバースオフィスに出社し、働いている。
都内にリアルオフィスはあるが、基本的には誰もいない。「入社以来、自分の上司と(現実世界では)会ったことがない」という社員もいる。
「社員によってはいろいろなところを旅しながら仕事をしていたりして、すごく楽しそうです。代表の私はなにかと対面を求められる機会が多く、そうはいかないんですけど」
とまあ、ここまでであれば、昨今はそれほど珍しい話ではないかもしれない。似たようなバーチャルオフィスサービスを提供する会社は、ほかにもある。
『BodySharing for Business』が類似サービスと異なるのは、ユーザーの「元気度」や「リラックス度」を可視化していることだ。そうすると、これまでとは働き方が大きく変わると玉城さんは言う。
「例えば冒頭の開発担当の社員に残された体力はほとんどありません。こんな状態の社員にさらに仕事を振ったところで、彼を苦しめるだけだと分かりますよね。
けれども現実世界では、そういったことが日々起きている。夕方6時、ほとんど体力残量のない社員に残業が課される、といったことが」
逆のケースもある。同社の別の社員のアバターを見てみると、体力は有り余っていて、かたわらには音符マークも表示されている。担当する仕事が余裕すぎて、リラックスしまくっているのだ。
「このままだと暇すぎて、成長の機会を求めて会社を辞めてしまうかもしれません。もうちょっと重い仕事を渡さないといけない、渡しても大丈夫という判断ができるわけです」
メタバースは現実世界を超える
コロナ禍を機にリモートワークは当たり前のものとなった。だが、リアルオフィスでの対面コミュニケーションにはかなわない、オンラインではこぼれ落ちるものがある、ともよく言われる。
「それはその通りなんです。ビデオ通話や画面共有といった機能を駆使しても、伝わるのは視覚情報、聴覚情報だけ。文字通り、情報が不足しているんですね」
その点、『BodySharing for Business』が扱うのは視聴覚情報だけではない。「元気度」や「リラックス度」は、ユーザーの固有感覚と呼ばれる感覚情報をもとに測定されている。
固有感覚とは、物の重さ、抵抗感や、自分の身体の部位がどこにあるかを把握する位置覚など、物体に作用する際に重要な身体感覚のことをいう。
能動的で臨場感のある体験をするには、視覚や聴覚よりも、固有感覚が重要であることが分かっている。
「五感というのは紀元前の古典的な分類で、実際には、人間には少なくとも20以上の感覚があることが分かっています。けれども、視聴覚の共有技術と比べて、それ以外の感覚共有は進んでいませんでした。
私たちが目指す能動的な体験の共有には、数ある感覚情報の中でも、固有感覚の共有が不可欠。そのための技術、インターフェースとして研究開発してきたのがBodySharingです」
『BodySharing for Business』においては、独自開発したデバイス『FirstVR』をユーザーのふくらはぎに装着し、筋肉の膨らみから固有感覚を検出し、デジタルデータ化する。それをAIに解析させることで、元気度やリラックス度を推定している。
どれくらい疲れているか、どれくらい緊張しているかというのは、対面していて分かりやすく伝わる人もいれば、そうでない人もいる。『BodySharing for Business』では、すべての社員のそれを定量的に把握できる。
要するに、対面よりもリッチな情報を参照できている。その意味で「メタバースが現実世界を超えている」と玉城さんは言う。
「世の中には、もうちょっと最適化できることがたくさんあると思うんです。これまでは扱えなかった感覚をデジタルデータとしてメタバースに入力できると、それを現実世界に還元していくことができるようになります」
他人の身体を操作することも
固有感覚のデジタル化ができると、これまでは分からなかったことが分かる。
例えば、スポーツの場面。H2Lでは過去に、ゴルフのスイングをする際の力の入れ具合を筋電位センサー『FirstVR』を使って取得し、プロと素人とで比較する実験を行った。
すると、プロゴルファーは、スイングのたびに力の入れ具合に緩急があり、インパクト時に最も力が入っていたのに対し、素人は常に腕に力が入っていて、小指・薬指に力が入っていなかった。
こうしたことは見た目、すなわち視覚情報からだけでは分からない。固有感覚をデータ化できたからこそ分かったことだ。
「さらに一歩進んで、このデータを人間の身体に出力すると、何が起きるか。ほとんどゴルフの経験がなくても、プロのような身体の動かし方を実際に体験することができます。文字通り『身体で学ぶ』という、新しい指導法が実現するかもしれません」
実は、BodySharingを通じてコンピューターに入力した固有感覚データを他者、つまり別の人間に出力することは、現時点でも技術的には可能という。
「ただ、みなさん、アクチュエーション(出力)に対してはまだまだ抵抗があるようで。だから、まずは入力側をメインに一般普及を目指しているというのが、BodySharingの現在地です」
次の産業革命がすぐそこに
新しいユーザーインターフェースが生まれる、すなわち新たな情報を入出力できるようになると、世の中は大きく変わる。ある種の産業革命のようなことが起きる。そして、そこにAIによる処理プロセスが加わると、起きる変化はさらに劇的なものになるーー。
まさにそういうことが起きようとしている、と玉城さんは言う。
「エンジニアの皆さんはそろそろ危機感を持った方がいいと思います。危機感を持って、新しいものを試してみてほしいです。今それができていないと、2、3年後にはもう追いつけないくらいの経済格差となって表れるでしょう」
産業革命が起きれば、今ある職業がなくなる可能性がある。だが、一方ではその代わりに生まれる新たな仕事もあるはずだ。
例えば、家政婦という職業のニーズはロボット掃除機などの性能向上によりすでにかなり減った。だが、代わりに新築の家のどこにロボット掃除機を置いて、電子機器をどう配置して……というアレンジメントのニーズが発生している。
掃除の勘所を知る家政婦の経験はそうした仕事にも大いに生きるはず。だが、新しいテクノロジーに適応できていなければ、単純に「仕事がなくなった」で終わってしまう。
同じことはエンジニアについても言える、と玉城さんは続ける。
例えば、H2Lが開発した「遠隔操作カヤックロボット」。これを使うと、BodySharing技術により、遠く離れた場所に浮かぶカヤックを動かし、実際にカヤックをこいでいるのと同じ体験をすることができる。
だが、新たなコンテンツを作る、あるいは体験の質を向上させるには、誰かしらが実際にカヤックに乗りに行かなくてはならない。
そして、作るのがデジタルなコンテンツである以上、その「誰か」はやはりエンジニアリングの知見を持った人であることが望ましい。
つまり「カヤックに乗りに行くこと」だってエンジニアの新たな仕事になり得るのだ。
「新しく出てきた技術に仕事を奪われるというのではなく、元々のエンジニアのノウハウを生かして、新しい仕事を自分でつくっていくという発想が大事なのではないでしょうか。
そして、自然とそういう発想をするためには、やはり新しいテクノロジー、とりわけ新しいインターフェースにいち早く触れ、慣れ親しんでおく必要があるのだと思います」
取材・文/鈴木陸夫
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