株式会社パワーエックス
ITソリューション開発部 部長
山内暁さん
東京大学工学系研究科物理工学専攻修了(工学修士)。キヤノン株式会社を経て2010年にグーグル株式会社(現・グーグル合同会社)にソフトウェアエンジニアとして入社し、12年間、検索エンジンの開発に従事。2022年5月に一人目のソフトウェアエンジニアとしてパワーエックスに入社し、現職
生成AIがもたらすインパクトはもちろん大きいが、気候変動の問題もそれと同じかそれ以上のインパクトをわれわれの生活にもたらすはず。
大量の電力需要者であると同時にイノベーションの担い手でもあるエンジニアは、この地球規模の社会課題をどう捉えるべきなのか。
エネルギーテック領域で働くエンジニアへインタビューし、気候危機時代のエンジニアのあり方を探ってみたい。
今回インタビューしたのは、グーグル日本法人で長く検索エンジンの開発に携わってきた山内暁さんだ。山内さんは2022年、突如退職し、まだプロダクトさえなかったエネルギー領域のスタートアップ・パワーエックスに一号エンジニアとしてジョイン。
以来、ソフトウエア開発部門のトップとして、大型蓄電池の製造・出荷、法人向けの電力供給、EV充電ステーション、電気運搬船などスケールの大きな同社の事業を牽引している。
エンジニアとして恵まれた環境にあったグーグル時代、「転職を考えたことは12年間、一度もなかった」という山内さんの心を動かしたものとはなんだったのか。
株式会社パワーエックス
ITソリューション開発部 部長
山内暁さん
東京大学工学系研究科物理工学専攻修了(工学修士)。キヤノン株式会社を経て2010年にグーグル株式会社(現・グーグル合同会社)にソフトウェアエンジニアとして入社し、12年間、検索エンジンの開発に従事。2022年5月に一人目のソフトウェアエンジニアとしてパワーエックスに入社し、現職
━━グーグル時代から気候変動への関心が強かったんですか?
いえ、まったく。もちろんそういう問題があることは知ってましたけど。正直に言って、特別な問題意識を持っていたわけではありませんでした。
━━そうなんですね。
2021年末にグーグルの元同僚だった樽石将人さん(当時パワーエックス外部CTO)から「ご飯を食べにいかないか」と誘いの連絡があって。そこで初めてパワーエックスの話を聞きました。創業から半年経っていましたがまだプランニングの段階で、これから人をとって事業を作っていくフェーズという話でした。そこから2、3カ月考えて、22年5月に入社することになりました。
━━なにがそんなに刺さったんですか?
一番面白いと思ったのは蓄電池です。2021年当時、蓄電池というものに着目すると、三つくらいのすごいタイミングが同時に来ていると思いました。
━━三つのタイミングとは?
一つは単純に再エネ電源が増えていたことです。電力市場では当時、系統逼迫が話題になっていました。太陽光は時間によっては過剰供給になり、九州エリアなどでは出力抑制がかかっていました。それくらいに太陽光発電が普及しているという事実がありました。
ところが、日本における再エネの割合はなかなか増えていませんでした。それはなぜかと言えば、再エネは天候などに左右される不安定な電源である一方で、電気には「溜められない」という前提があるからです。けれども、蓄電池があればこの問題は解決できます。
━━溜められないはずの電気を溜められるようになる。
もちろん蓄電池自体は昔からあります。電気を溜めること自体は人類はだいぶ前からやってきました。問題は生産コストがものすごく高かったことです。ですからモバイルバッテリーやバックアップ用のバッテリーなど、これまでの蓄電池はごく限られた目的にのみ使われてきました。
それがここ数年のEVの急激な普及により、生産コストが一気に下がりました。2021、22年はまさに蓄電池を使うことのメリットがコストを上回る「ストレージパリティ」を迎えるタイミングでした。これにより、電気が安いとき・必要のないときには溜めておいて、高いとき・必要なときに使うことができるようになりました。
これは、縄文時代に農業が発明されたおかげで食料を備蓄できるようになり、いちいち移住しなくて良くなったのと同じくらいの大きなゲームチェンジ。電柱、高圧線などのインフラありきのこの業界は新規参入の障壁が高いのですが、蓄電池を武器にスタートアップのスピード感で戦えば、ひょっとして本当に世の中を変えられるのではないかと思えました。
━━再エネ電源が十分に増えていたことに加え、そこで作られた電気を溜めることも現実的になったタイミングだったと。では三つ目は?
2000年以降、電力市場の自由化が進んでいたことです。まず発電、小売の自由化が進み、最後に残された送配電を通じた需給調整市場の自由化も2021年に始まりました。需給の最終的なバランスは結局のところこの送配電が担っています。想定されていたより需要が多そうなら多く発電するように、逆に少なそうなら吸い込むように、電源へと指令が送られます。指令を受けて発電量を調整するのは、これまでは旧一電の電源だけでしたが、これが一般事業者にも開放されました(完全自由化は2024年4月)。
火力発電のようなものは当然のことながら、指令を受けてその場ですぐに発電できるわけではありません。というわけで、ここでも最も期待視されているのが蓄電池です。蓄電池であればスイッチを入れればすぐに電気が流れますし、逆に吸い込むこともできます。
このように蓄電池に関していろいろなタイミングが重なっていたのが2021年という年であり、「やるならまさに今だ!」と思えたことが、入社の直接の動機になりました。
━━蓄電池に取り組むのであれば今。とはいえ、それまでのお仕事とはまったく違う分野ですよね?
グーグルでは12年間ずっと検索エンジンの開発、特にi18n(国際化)を担ってきました。Googleは世界中、百数十の言語で使われていますから、GoogleフランスでもGoogleヒンディでも正しい検索結果が出てくるようにしなければならない。それを言語によらない形でどう実現するかがテーマでした。
技術のカテゴリとしては自然言語処理。その基礎には機械学習、AIの技術がありますから、もちろん今も役立ってはいます。とはいえおっしゃるように、今の仕事とはあまり関係がないといえばない。実際、転職を決断したときにはまったく違う分野に行く覚悟でした。
━━どうして決断できたのでしょうか。それだけ蓄電池が魅力的に映ったということ?
それはその通りなのですが、一方で別の説明もできます。
私がグーグルで取り組んできた検索アルゴリズムの改善というのは、非常に小さなことの積み重ねです。たとえば、自分の改善のアイデアを反映したときに、あるクエリに関してはより良くなったとしても、別のあるクエリに関しては反映前の方がいいかもしれない。
1万個くらいのランダムなクエリで比べてみて、6000個で良くなっていれば、トータルでより良いアルゴリズムと判断できます。1万個で見れば6000ですが、10億個で見れば6億です。一つ一つはわずかな改善であっても、ものすごい数を足し合わせれば、それは世の中にとって大きなインパクトになる。そういう世界でずっとやってきたわけです。
そのことに大きな価値があるのは、もちろん頭では分かっています。ですが、やはりこれだけ長くやっていると、もっと個々のインパクトの大きなことをやりたい気持ちも芽生えてきます。エネルギー、貧困問題・・・そういうクリティカルな領域で何かやりたいな、と思うようになりました。
━━なるほど。
2021年は私自身ちょうど40歳になったタイミングでもあり、ミッドライフクライシスのようなことも関係していたかもしれません。最初に伊藤社長(伊藤正裕さん。取締役兼代表執行役社長CEO)と会ったとき、彼が同じことを言っていたのも刺さりました。もともとZOZOでCOOを務めていた人。「1円でも安く服を売るみたいなことをずっとやってきたが、子供もできて、もうちょっと切実なことをやりたいと思うようになった」と。
━━ちなみに、同じように転職を考えたことは過去にも?
いや、なかったです。仮想通貨で遊んだりとか、趣味でいろいろやるタイプではありましたが。今話したようなことが頭のどこかにあったのは事実ですが、そうは言っても、グーグルの環境は素晴らしいので。待遇もいいですし、仲間にも恵まれている。
ある種のコンフォタブルゾーンです。退職して新しいことにチャレンジしようと思ったことは、12年間一度もなかったですね。
にも関わらず、なぜ今回に限って心境の変化が起きたのか。これを説明するのは難しいです。おそらく理由は一つではない気がします。
どこかで「このままでいいのか」という気持ちもあったでしょうし、「今から新しくチームを作れる」という楽しさに惹かれたところもあったでしょう。そういったいろいろなことが足し合わさって決断に至った、というところでしょうか。
━━実際に移ってみて感じていることを伺いたいです。グーグル時代と同じと感じることが多いのか、それともまったく違う世界と感じることが多いのか。
弊社には蓄電池そのものを開発するハードウエアのチームと、それを使うアプリケーションを開発するソフトウエアのチームがあります。私は後者のトップという立場です。所属する開発エンジニアは現在13人。プロダクトマネジャー、品質エンジニア、インフラ系のSRE、DevOpsを含めると、二十数人からなるチームです。
グーグル時代の私はIndividual contributer、要するに個人の成果にコミットするエンジニアでした。管理職の経験は一切なし。そういう意味では、私自身がやっていることは当時とはまったく違いますし、入社前に考えていたこととも違います。
━━そうなんですね。
ソフトウエアの一人目として入ったので、責任者としての立場はもちろん自覚していましたが。チーフエンジニアとして自ら手を動かすつもりでいました。
ところが、前の職場で退職の挨拶をした時点で「話を聞かせてください」という人が現れるなど、ありがたいことに、想定していたよりも早いスピードで大きなチームになってしまって。なりゆきで管理職になったところがあります。
━━未経験で人を束ねるのは大変じゃないんですか?
いまだに管理職って難しいな、よく分からないなと思ってますよ。
ただ、経験がなかったことが逆に良かったと思える点もあります。私には何の経験もなかったがゆえに、常にただひたすら「グーグルのマネジャーだったらどう考えるか、どう言うか」と考えてきました。
その結果として、このチームはよくも悪くもグーグルのカルチャーを引きずることになりました。
もちろん他の会社から来ているメンバーもいるので、あまりグーグル、グーグルとなりすぎるのも良くないとは思っているのですが。ことマネジメントという観点で言うと、私はグーグル流しか知らなかった。それをそのままやったことで、結果としてなんとかなっている面はあると思います。
━━「グーグル流」をもう少し言語化してもらうとすると?
キーワードとして「信頼」「心理的安全性」「透明性」「民主主義」といったところを大事にしています。
マネジャーがすべてスケジューリングして「あれをやれ、これをやれ」と仕事を投げるようなマネジメントはまったくしていません。優秀な人をとりたいと思ったらそのやり方では回らないと思います。
スケーラビリティのことを考えても、10人だったらよくても、20人にもなれば破綻する。ですからそれとは逆に、放っておけばベストの仕事をしてくれると信じて「マネジャーをツールとして最大限使ってください」というスタンスで接しています。
幸運なことに伊藤社長も同じ考え方の人だったので、そこはやりやすかったですね。
━━ちなみに、山内さん自身にプレーヤーへの未練はないんですか?
それはあまりないですね。最初は「自分が直接開発せずにちゃんと価値を作れるものなのか」と不安でしたが。たくさんの優秀なメンバーが入ってくれたおかげで、もしかしたら私自身は特別何もしていないにも関わらず、今のところは良い成果が出ています。
それを見ると、まあ良かったのかなと。結局のところ、成果にコミットできるかどうかがすべて。プレーヤーかマネジャーかというのはあまり問題ではないと思います。
━━その考え方は昔からですか?
キャリアを重ねる中で変わっていった部分はあると思います。
大元まで辿れば、私は小さいころからコンピュータ少年でした。最初はいわゆる「写経」から始めて、小学校低学年ごろには自分で考えて何かを作るようになっていました。
その後「コンピュータって大学に行ってまで学ぶことなのかな?」と疑問を持ち、一方で物理も好きだったこともあって、そちらに進むのですが。その流れで入社したキヤノンの研究所で社会は甘くないことを知り、甘くないのであれば、やはり自分が本当に好きなこと、本当に得意なことをやらなくてはいけないと思いました。
自分の何が活かせるのか、自分の得意なところで勝負しようと思ったことが、グーグルを受けたきっかけです。
その意味では、パワーエックスへの転職を決めたときの考えはそれとはまったく違います。ある種、自分のことはどうでもよくなっています。
━━自分のことはどうでもいい?
名声をあげたいとか出世したいとか、そういうことではもはやなく。世の中にとって本当に価値のあることがしたいと考えるようになりました。
自分にも2人の子供がいます。子供たちの未来を考えたら、気候変動もそうですが、日本という国にはそもそも資源がないわけで。明らかになんとかしないといけない問題がそこにはある。
その問題を解決するのは必ずしも自分でなくてもいいのですが。他にやれる人がいないのなら自分がやる。自分にできることがあるならやる。今はそういう気持ちです。
━━山内さんご自身の話から少し広げて、気候危機時代のエンジニア、そしてエンジニアリングはどうあるべきか、お考えがあれば聞かせてください。
今はAIブームで、生成AIに大きな注目が集まっています。ですが、あの進歩は当然のことながら必ずエネルギーにより制限されます。特にAIの根幹にある学習に使われるエネルギー量は非常に大きいと聞きます。
もちろん今後モデルが改善していくことでエネルギー効率は上がっていくと思いますが。今はみんながテクノロジーの進歩を盲信し過ぎている。何も働かなくてもAIがすべてやってくれるみたいなことをイメージしがちじゃないですか。
繰り返しますが、その進歩は必ずエネルギーの問題に返ってきます。それこそ日本に限って言えば、もともと資源がないわけですから。まったくユートピアではないと思っています。
となると、当然のことながらエンジニアもまたエネルギーのことを考えないといけない。持続可能性を考えてエンジニアリングを行う必要があります。それはでも、必ずしもネガティブな意味ばかりではありません。AIを使って効率化すること、エネルギーまで考えて最適化を図ることにも技術的な面白さがあります。
━━腕の見せどころと言うこともできるわけですね。
そして、それと同じかそれ以上に、UIのところがすごく大事だと思っています。これからの再エネ、脱炭素の取り組みは、そういうことに興味のない人まで巻き込んで世界的にやっていかないといけない。その啓蒙まで含めてITの役割だと思っています。
弊社が開発するEV充電のアプリでは、エネルギーの種類を選ぶことができます。従来の電力系統から来たエネルギーを選ぶこともできるし、パワーエックスで準備した再エネ100%のエネルギーを選ぶこともできる。
このことの持つ意味とはなんでしょうか。機能として、技術として再エネを供給できるということ以上に、世の中に対して「再エネが大事だ」というメッセージにもなっていると思うんです。
もっと単純に「再エネを使いましょう」というメッセージを出すのでもいいですし、「使うとこんなものがもらえます」というキャンペーンでもいい。さまざまな方法を用いて、フロントエンドの部分で再エネをプロモートしていく。これもまたITのミッションだと思っています。
━━どれだけいいことをやっていても、最終的に人々を巻き込むところまで考えないと意味がない、ということでしょうか。
そうですね。そして、ITというのは何かと注目をされる存在だというのもあります。今は再エネだってそうかもしれないですが、ChatGPTの目新しさには敵わないでしょう。ある種、ITの華やかさでレバレッジして、多くの人を巻き込んでいくことに貢献していきたいです。
取材・文・構成/鈴木陸夫 撮影/赤松洋太
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