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経理部門からテクノロジーの長へ。リクルートテクノロジーズCTO米谷修の逃げない生き方

働き方

    自らもエンジニアながら、3社の経営に携わっている竹内真氏をインタビュアーに迎え、注目のIT・Webサービスを展開する企業の技術トップにインタビュー。CTO同士の対話から、エンジニアがどのように「ビジネスを創ることのできる技術屋」へと進化すべきか、その思考・行動原則をあぶり出していく。

    今回のCTO対談にご登場いただくのは、リクルートテクノロジーズでCTOを務める米谷修氏。実はインタビュアーのビズリーチCTO・竹内氏は以前同社で開発していた経験があり、米谷氏とは先輩・後輩に当たる。

    今では2人ともCTOの重責を担う立場となり、話も開発から組織マネジメントまで幅広い内容に。テクノロジー面でも進化し続ける両社の技術トップが考えていることとは?

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    株式会社レイハウオリ 代表取締役 | 株式会社ビズリーチ・株式会社ルクサ CTO
    竹内 真氏 (blog:singtacks

    電気通信大学を卒業後、富士ソフトを経て、リクルートの共通化基盤やフレームワークの構築などを担当。並行してWeb開発会社レイハウオリを設立。その後、IT・Webスペシャリストのための転職サイト『codebreak』などを運営するビズリーチ、国内最大級のタイムセールサイトを運営するルクサを創業、CTOに就任。The Seasar Foundationコミッターを務めるなどOSS活動も

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    株式会社リクルートテクノロジーズ 執行役員 CTO
    米谷 修氏

    1988年、大阪大学を卒業後、リクルートに入社。配属先は大阪支社の経理部。同部で全社経理を担当していたが、提案した会計システムの構築を自らの手で行ったことを契機に、エンジニアとしてキャリアをスタートさせる。2000年、全社情報システム部門へ異動し『リクナビ』や『リクナビNEXT』の開発を担当。2012年に現職に就任。サーバのスペックを暗記するのが趣味

    joinを知らない男が、グループ約20社の共通会計システムを作るまで

    竹内 ご無沙汰しております。

    米谷 こちらこそお久しぶりです。

    竹内 米谷さんとは、2007年ごろから数年にわたって一緒にお仕事をさせていただきましたが、こうして膝をつき合わせてお話しする機会はあまりありませんでしたね。

    米谷 言われてみればそうですね。

    竹内 まずは改めて米谷さんのキャリアをお伺いしてもよろしいですか?

    米谷 はい。大学を出て最初に配属されたのはリクルート大阪支社の経理部でした。

    竹内 えっ、経理部のご出身だったんですか?

    米谷 そうなんです。システムとかかわり始めたのは、東京に異動してグループ会社4社の経理を見るようになってからですね。当時、グループ会社も本社の会計システムを使っていたので、どうにか独自でシステムを持ちたいと思って提案したのがきっかけです。

    竹内 経理部にいながら、システムも掛け持ちされていたんですか?

    米谷 ええ。情報システム部がなかったので代行するような形でかかわるようになりました。とは言え当時はIT投資を引き出すのはなかなか難しい時代でしたから、まずは自分たちの手で開発することにしたんです。

    竹内 それはすごい決断でしたね!

    米谷 コーディングからサーバ構築、ネットワークも全部自分でやりました。完全に自己流の開発でしたけど。

    竹内 独学でシステムを作り、改革を起こしていったわけですね。

    完全に「独学」で、経理マンからエンジニアへの転進を果たしたという米谷氏

    米谷 そんなにカッコいい話じゃないですよ。オラクルやWindowsの講習会に行き、その帰りに秋葉原でPCを買ってセットアップして、技術書を片手にコーディングをする。始まりはそんな感じでした。その技術書だって擦り切れるまで読んで、同じ本をもう一冊買う羽目になるくらい読み込んで。疲れ果てて、枕にして寝たこともあったな(笑)。

    竹内 それって、かなりベンチャーっぽい動きですよね。

    米谷 確かにそうかもしれません。SQLの書き方は友だちから、開発ツールは講習をしてくれた会社に常駐させてもらって教えてもらいました。今思えばかなり無謀ですけど、約4カ月間、3人で会計システムを作ったんですよ。

    竹内 ほとんどゼロからスタートしているのに、すごい!

    米谷 いえいえ。当時は恥ずかしくなるようなプログラムを書いていました。なにしろ、joinを知らなかったくらいですから(笑)。

    竹内 プログラムでつなげていたんですね。

    米谷 そうなんです(笑)。でもさすがにそれではまずいので、改めてエンジニアリングをきちんと勉強し直して、1年後には会計システムを再構築しています。最終的には20社が使う共通会計システムになったんじゃなかったかな。

    システム障害と闘い続けたリクナビ担当時代

    竹内 で、その後はどうされたんですか?

    米谷 2000年に全社情報システム部門に移り、リクナビの担当になったんですけど、あの当時のリクナビは、急増するトラフィックに対応するのが大変だったんです。もしシステムが止まったせいで、志望する会社の説明会にエントリーできなかったとすると、結果的に学生さんの人生を変えてしまうわけじゃないですか? だから本当に必死でした。今にして思えばこの時期、現場でギリギリの対応を経験したからこそ、アプリケーションのアーキテクチャやインフラの基盤を学ぶことができたと思っています。

    竹内 僕、大学を卒業したのが2001年なんですけど、リクナビの裏でそんなことがあったとは思いもしませんでした。

    米谷 実はそうだったんです。その後は改善点を洗い出し大胆に対策を打ったので、障害を起こすこともなくなったんですが、今度はコストが爆発的に増えてしまうという新たな問題に直面してしまいました。それで次に取り組んだのは品質を維持しながらコストを半減させること。こうした経験もエンジニアとして勉強になりましたね。

    竹内 今日のリクナビは、当時の米谷さんの努力があってこそのものだったんですね。

    自身が就職活動で使った『リクナビ』の開発裏話に興味を示す竹内氏

    米谷 ありがとうございます(笑)。

    竹内 それで、その後は?

    米谷 次はシステム基盤推進室という、事業のシステム基盤を横断的に見る部署を自ら作りました。それ以前は事業サービスごとにインフラが別に存在していたりと、開発リソースに無駄が多かったため、組織体制の見直しを図ったんです。ちょうど竹内さんと一緒にアジャイルで開発していたタイミングです。

    竹内 2007年ごろ、一緒に「SWAT」というスピードを追求したアジャイル開発スキームを作ったりしたんですよね。

    米谷 そうです。ちょっと懐かしいですね(笑)。あの時の竹内さんたちが、われわれと一緒に頑張ってくれたおかげでリクルートグループのIT基盤が整い、よりいっそうビジネスに貢献できるようになったと思っています。事業横断での基盤を作ったことで、大規模開発プロジェクトが動き出したり、スマートデバイスの開発体制を整えたりと、活躍の場が大きく広がりました。

    エンジニアリングを「開拓」「実装・展開」「運用」に分ける意味

    竹内 今はどのような取り組みをされているんですか?

    米谷 今は一貫して、基盤と開発手法、開発体制を整備して、新しい取り組みに注力して、事業をいかにスケールさせるかを意識しています。

    竹内 マネジメントで工夫されていることは?

    米谷 今は技術も多様化、専門化しているので、1人のエンジニアが複数の技術を深めるには相当な精神力が必要です。ですから、なるべく開発メンバーを1カ所に集めて、エンジニア同士が切磋琢磨できるような環境作りを行っています。

    竹内 確かにそうすれば、教えることも教えてもらうこともできますね。

    米谷 そうです。マネジメントについてもう少し細かくご説明すると、弊社ではマネジメントを仕事のフェーズに合わせて「開拓」「実装・展開」「運用」の3つに分けています。

    米谷 具体的には、先端技術をリサーチ・検証する「開拓」メンバーと、そこから選別されたものをシステム化し、事業やサービスに「実装・展開」するメンバー、そして徹底的に標準化と効率化をしてコストミニマムを狙っていく「運用」メンバーの3つです。これらすべてを1人のエンジニアが対応するのは技術的にも、適性的にも無理があるので、段階ごとに適材を配置して、うまく次のフェーズに受け渡せるようマネジメントしています。

    竹内 なるほど。僕がいた頃もいろんな志向を持つ人が混ざり合って、組織がうまく回っていた感じがあります。

    米谷 そうでしたね。今はそれが体制として整ってきた感じです。

    ビッグデータ、スマホ対応…巨大組織でも最新技術をすぐ採用できるワケ

    竹内 ところで「開拓」にあたるメンバーは、やはり一匹狼的に最先端テクノロジーに取り組む研究者のような人たちなんですか?

    米谷 ええ。部署名で言うとATL(アドバンスドテクノロジーラボ)のメンバーがそれにあたります。彼らは先端技術を「開拓」するのがミッションですから、国内でバズワード化する何年も前に、本場に乗り込んで新しい技術を吸収する役割を担っています。

    リクルートグループが現在、Hadoopなどを駆使してビッグデータの活用で成果を挙げつつあるのは、彼らが自由に動いてくれた1つの成果だと思っています。ただ、どんなに優れたテクノロジーも見つけた段階で、将来本当に化けるかどうかまでは分かりません。ですからATLのメンバーには、最先端のR&Dに徹してもらって、収益についてうるさく言わないことにしているんです。

    リクルートグループが成長し続ける上で、R&Dの重要性は非常に高いと話す米谷氏

    竹内 今どきそこまで自由度の高いR&Dを行っている会社は多くないでしょうね。

    米谷 これは先端技術への取り組みがおろそかになっていた時期の反省です。例えばスマートデバイスへの対応もそうですが、世間で流行る前から取り組んでおかないと、他社に先駆けサービスに実装することはできませんからね。

    竹内 これは以前から思っていたことなんですが、御社は新しい開発手法に取り組むのも積極的ですよね。私が参加させてもらっていた頃ですと、複数のSIerが協力して、共通のフレームワークを用いてインフラを統一するという、普通ではあまり考えられないことをやりましたよね。

    米谷 そうでしたね。SIerはそれぞれ、自分たちのノウハウが詰まった独自のフレームワークを使いたがるものですから、確かに普通では考えられないやり方だったというのはおっしゃる通り(笑)。でも無理を承知でやってみたら、OSS的な感じでとてもうまくいったんですよ。やっぱり所属する会社は違っても、現場を知るエンジニア同士は分かり合えるものなんです。実現こそできませんでしたが、実際に「このプロジェクトで得た成果を、オープンソースとして公開したいね」って話もありましたしね。

    竹内 そんな話もありました(笑)。今思い返しても、本当に良いコミュニケーションができていたと思います。

    米谷 おっしゃるようにコミュニケーションは大事な点です。僕らは社員でも、個人への業務委託でも、SIerへの外注であっても、同じ場所で一緒に開発することを大切にしているんです。そうすることで、エンジニア同士、横のつながりが増えますし「フレームワークをどうするか」「インフラ基盤をどうするか」という共通の目標を持ちながら、技術を磨いていけますから。

    竹内 僕も当時フリーエンジニアとして参加していましたから、今のお話はよく分かります。

    米谷 変化を恐れないこと、コミュニケーションを密に取ること。それが今でもわれわれの強みの源泉になっていると思っています。

    変化を恐れないのは今もベンチャーである証

    竹内 米谷さんは今後、意識して取り組みたいことって何ですか?

    米谷 テクノロジーのライフサイクル戦略を考えて、人とお金の投資・育成ができるエンジニアをいかに集めるか、集まったエンジニアが楽しく成長するにはどうしたらいいか、考えていきたいと思っています。

    同時に事業インターフェースやITソリューションをマネジメントしながら、どう組織を設計するかも課題ですね。現状は事業横断のシステム基盤で成長していく組織づくりを行っていますが、ある程度うまくいったら今度は事業サービスごとの縦割り型組織に戻すかもしれません。これからもそうやって、組織を横で切ったり、縦に切ったりしながら、会社を成長させていくことになるんでしょうね。

    竹内 リクルートは非常に大きな組織なのに、そういうベンチャーっぽいところを残しているのがすごいですね。しかも中に入れば、誰でも平等に発言できるし、それが採用されたら実現に向けて動き始めるのも早い。僕はリクルートで仕事をさせてもらって、初めてその面白さに気付かされました。当時は「情報誌の会社がどうしてシステムを?」ってくらいの認識しかありませんでしたが、いざ中に入ってみると、いろいろな事業が凄いスピードでWeb化されつつあって本当に驚きました。

    米谷 そうでしたか(笑)。

    竹内 エンジニアはモノを作る人だから、エンジニア以外の人が作った組織だと、プロジェクトがうまく機能しなかったり、自分の仕事を単なる工数で捉えられたりして、反発を覚えたりするものですが、リクルートにそういう環境ではありませんでしたしね。

    米谷 確かにエンジニアを大事にしますし、開発についてもフレキシブルでメリハリがあると思います。失敗が許されない大規模開発では保守的な手法をとることはありますが、スマートデバイスなど、新しく生まれてきた分野については、そこまでは求めません。新しい領域には試行錯誤がつきものですから。

    スキルが伸びるのは最下流の仕事をやり切った時

    エンジニアとして「たたき上げ」同士の2人だからこそ語れる、成長するための糧とは?

    竹内 若いエンジニアが、将来、米谷さんのような立場で活躍したいと思ったら、まずどんなことから取り組んでいけばいいと思いますか?

    米谷 そうですね。どんな分野でもいいので、今自分が置かれている場で一番下流と言われる仕事を必死にやることです。

    竹内 それって、めちゃくちゃ大事なことですよね。

    米谷 ええ。ハイプレッシャーな環境で経験を積むのは、ものすごく大切なことです。ほかに頼れる人がいない環境や、自分の後ろに誰もいない環境で経験を積むと、加速度的にスキルが伸びます。文字通り「生きるか死ぬか」ですから、危機感が違います。

    竹内 なかなかそういう環境で働く機会はないかもしれませんが、もしそういう機会があれば絶対に飛び込んだ方がいいですよね。

    米谷 そうですね。マネジャーも意識してそういった環境を作るべきですし、現場のメンバーも恐れずにトライしてほしいです。

    竹内 僕もこれまで、自分がやりたいことを実現するための技術がどうしても見つからなくて、途方に暮れた経験が何度かありました。そういう孤独感を味わったことがあるのとないのとでは、エンジニアの未来も変わってきそうですね。

    米谷 他人に頼れない環境は苦しいですが、その分、人を成長させてくれますからね。

    技術を心から愛しているからこそCTOを名乗る

    竹内 それでは恒例の質問です。米谷さんにとってCTOとは何でしょうか?

    米谷 難しい質問ですね。

    竹内 これは僕の個人的な印象ですが、いまの米谷さんのお立場ならCIOと名乗られてもいいようにも思うんですよ。CTOと名乗られるのには理由があるのではないですか?

    米谷 僕がCIOではなくCTOと名乗っているのは、テクノロジーのライフサイクルを検討して、ソリューションをいかにうまく入れ替えるかを考えたり、必要になりそうなテクノロジーを予測して手を打ったりすることが自分の役割だと考えているから。だから自分はCTOであるべきだと思っているんです。

    竹内 なるほど。

    米谷 でも本当はもっと大きな理由があります。それは、やっぱりテクノロジーが大好きだから(笑)。特にハードウエア寄りの技術が好きなんですよ。

    竹内 納得しました(笑)。技術嫌いではCTOは務まりませんからね。では最後に読者の皆さんに向けて伝えておきたいことがあればぜひ。

    米谷 エンジニアの皆さんに誤解されがちなんですが、リクルートテクノロジーズは、リクルート本体がコスト圧縮を狙って、IT部門を子会社化した組織ではないということです。弊社のミッションとして、リクルートグループのIT領域でR&Dをしっかりやるということも明確に掲げています。エンジニアの技術力に投資することで、ビジネスを作り出す会社だと伝えたいですね。

    竹内 テクノロジーを追いかけることは、新規ビジネスにつながりますからね。その点、御社ならできることの幅が広いでしょから「自分がこれを作ったんだ」って、胸を張れる仕事ができそうです。本日はお話しできてよかったです。ありがとうございました!

    米谷 こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました!

    編集/武田敏則(グレタケ) 撮影/玄樹

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